27.シャリーアンナ、出陣します

 わたくしの育ったラグランジュ男爵家は、ほぼ平民同然の貴族である――これは今まで、何度も口にしてきた言葉だ。


 ただ、この表現は正確ではない。

 平民にも貴族にもなれない、どっちつかず。それがラグランジュ男爵家を正しく評価した時の言葉になる。


 まず普通の貴族としては、圧倒的に格が足りない。


 きちんとした貴族であれば、自分の領地を持ち、王都には滞在用の大きな邸宅を構え、使用人をここぞとばかりに大勢侍らせているものだ。

 祖先の築き上げてきた資産をもとに、華やかに暮らして積極的にパーティーなど主催し、自らの立場と権力を誇示する。それが貴族という生き物であろう。


 その点、我が家にはまず、管理すべき領地も祖先から受け継いだ財産もない。

 ラグランジュ邸は王都に一軒――一般人の屋敷から少し広め程度な、結構古い屋敷があるのみだ。

 使用人も必要最低限な男女一人ずつ。たぶん、裕福な平民の方が、よっぽど豊かな暮らしをしていると思う。


 では平民同様、日々あくせく汗水垂らして働いているのかと言うと、それもまた違う。


 父は一応城勤めの人間だし、母は日中家事に従事している。

 が、二人とも「他にやることなくて暇だからやっている」という部分が強くて、「生活のためにやる、やらないと自分たちが暮らしていけなくなる」という切迫感はない。


 父の仕事は、実務は平民が担当していて彼はほぼ判子を押すだけの係だ。極論、出勤しなくとも誰も困らないし、給金がストップされることもない。

 母の家事仕事も、通いのメイドがフォローも代行もしてくれるので、彼女が倒れたら家のことが回らなくなる、なんてこともない。


 何故こんなぼんやりした適当な生き方ができているのかと言えば、ここが王国で、ラグランジュ男爵夫妻がそれなりにいい血統の末裔だからである。我が両親は、保守的で伝統主義なこの国では保護対象というわけなのだ。


 わたくし、シャリーアンナ=リュシー=ラグランジュは、残念ながら男爵夫妻と同じような生き方はできない。とは言え、わたくしには幸運にも、デュジャルダン侯爵家との縁談があった。だから両親と同じように、のほほんとなんとなく過ごすことができていた。


 だが、わたくしは人生の方針を切り替え、正式に侯爵家と縁を切ることに決めた。

 わたくし本人の将来が予定なしの暗雲状態になることは言うまでもないが、侯爵家の機嫌によっては、両親にまで迷惑をかけてしまうかもしれない。


 だから婚約破棄を伝える手紙を出す前に、一度家族にそのことを打ち明けた。


 わたくしを切り捨てて、自分たちは無関係だから報復の対象にはなり得ないと主張するのであれば、それもよし。十七年間ひっそりすねをかじらせていただいたのだ、成人の一年前に放り出されたとしても、充分面倒を見てもらっている。


 もし侯爵家の手回しで、今まで享受できていた貴族特典がすべて消失などするのであれば、そのときはわたくしが、二人の生活が落ち着くまで責任を持って面倒を見るつもりだ。


 ……と、いうようなことを申し出てみたのだが、答えは「いいよ、好きになさい」というものだった。


 この人達、ほわほわしてるからことの重大性がわかっていないだけなのでは? とわたくしは思わず真顔になる。

 しかし、わたくしが重ねて「本当に侯爵家と婚約破棄の話を進めてもいいのですか?」と聞けば、両親は揃っておっとり首を傾げた。


「もともと、私たちはおまえに残してやれるものがないからね。侯爵家に嫁ぐなら安泰かと思ったが、まあ……やっぱり嫌だというのも、なんとなくわかるし。成人したら家を出る予定は変わらないのだろう? なら、多少その途中が変わった程度、別に騒ぎ立てることでもあるまいて」

「家を出たくない、これからもずっと面倒を見てほしい、とか言われたら、困ってしまっただろうけど……シャンナはその、皇子殿下についていくつもりなのでしょう? それなら、あなたはあなた自身のことだけを心配すればいいのだと思うわ」

「でも……ことと次第によっては、“わたくしの親”という肩書きのせいで、苦労することになるかもしれませんよ?」

「そんなの、十七年前、生まれたばかりのおまえを目にしたとき、腹はくくっているよ。そして今まで一切、何の問題もなかったよ」

「“そのときの心配は、そのときになってから考える”が我が家の主義だしね」


 ……正直、わたくしはこの人達を、どこかで親として侮っていた所があったかもしれない。


 けれど、どうやらわたくしの見立て以上に、二人とも大物だったようだ。彼らはきっと、すべて受け入れる準備ができているからこそ、徹底して傍観者であることができるのだ。


 ああ、だからこの人たちが、シャリーアンナの親に選ばれたのか……と、今更にしてようやく知ったような心持ちだ。


 そしてわたくしは、彼らほどは達観できない。その意識の差をほんの少しだけ、寂しいと感じたような気がした。



 だが侯爵家から呼び出しが来てしまえば、感傷的なムードに浸ってもいられない。一番いい装いに身を包み、戦場への支度をする。


 男爵家は一家総出で、いつもよりちょっとだけ豪華に、わたくしの出発を見送ってくれる。


 母はわたくしのドレスの準備と着付けや準備を手伝ってくれる。

 メイドは朝食にしてはちょっと豪華なメニューを並べてくれる。

 執事はいつも通り、事務的に働いている。たぶんこれが彼なりの矜持であり気遣いなのだ。


 そして父は……何か小さな箱を取り出してきて、わたくしの前に置いた。


「まあ、いくら私たちからお前に残せるものがないと言っても、本当に何もないのも味気ないからと思ってね……成人式の日に渡すつもりだったんだが。お前の部屋に置いておくから、もし必要になったら取って行きなさい」


 ――持参金と呼ぶにはあまりに少額な、けれどコツコツ積み重ねられた十七年間の形。


 じんとした目元を押さえ、わたくしはすうっと息を吸う。


「お父様、お母様。行ってまいります」


 背筋を伸ばし、これだけは「貴族らしくない」と一度も笑われることのなかったお辞儀を二人に返し、そしてわたくしは侯爵家からの迎えの馬車に乗り込んだ。




「シャリーアンナ! オレが……オレが悪かった! 頼む、オレ達はちゃんと婚約者だって言ってくれ!!」

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