26.泥棒猫を自分で撃退! なのです
――わたくしには、誰にも言えない秘密がある。この目はその最たる証拠。見つめないように、見られないように、日陰でひっそりと生きてきた。それしかないと思っていた。
けれど、皇子殿下に半ば無理矢理日の光の下に引っ張り出され、別に死にはしないということを知った。
「で、でもあんたはっ! 将来を約束した相手がいるのに、他の男と出かけたりしてっ……!」
「夫以外の男性とは食事も共にしてはいけないと? そのような価値観がないとは言いませんが、我が王国にしてもいささか古風と言わざるを得ませんね。それともわたくしが不貞を働いた証拠でもあるのでしょうか?」
ミーニャも一度出てしまった以上、引っ込みがつかないところもあるのだろう。
けれどいくつか想定していたねつ造証拠すら用意していないらしいとは……ただ勢いで突っかかってきただけなのか。本当にわたくしって舐められていたのですね。
見守り係のロジェなんて、そろそろ退屈そうにあくびまでし始めている。
でも、彼の存在が――根も葉もない噂を一緒に笑い飛ばしてくれて、付き合ってほしいと言えば応じてくれる相手がいることが、とても心強い。
「だけど……あんたはまだ侯爵家の……」
「もし侯爵家として、あるいはレオナール個人として何か言いたいことがあるのであれば、それこそ当事者の問題では? なぜあなたがあれこれ言うのです? 親切ですか?」
我ながら結構なたたみかけ。自分がこんな皮肉を言えただなんて――なんて振る舞うのは茶番ですね。元から普通に、思考に浮かんでいたことではあったのです。ただ、今までは口に出してこなかっただけ。
黙っているだけだった時と違い、こちらが言い返すと途端に相手はまごつきだし、口ごもる。
絶対に殴り返してこない相手に石を投げるのは、さぞかし楽しいことなのでしょう。
ですがあなた方は一つ見誤りました。皇子殿下さえいなければ、元のわたくしに戻るわけではないのです。
わたくしはそこで一度すっとミーニャから視線を逸らし、ある一点を見つめる。
色々と経験も積んで、この目にも慣れてきた。あなたがそこにいるのはわかっている。わたくしの目の気配で身震いしたのも見えている。
――レオナール。出てくるなら出てきなさい。
皇子殿下のいらっしゃらない今、あなたにとって格下の相手しかいないはずでしょう? やり直したいと言うにしろ、再びわたくしを断罪するにしろ――俯いたわたくし相手でなければ、対峙することすらできないのですか。
「……話はこれで終わりでしょうか? わたくし、授業に行かないと。ごきげんよう、ミーニャ=ベルメール」
「……っ! ま、待ちなさいよっ――!」
立ち上がり、この場を去ろうとするが、ミーニャが通せんぼしようとする。
わたくしはすかさず、ポケットから準備していたものを出す。
「……えっ?」
ミーニャは虚を突かれて目を丸くした。
チューチュー、とわたくしの手の中で鳴き声。
灰色のそれが何かわかった瞬間、ミーニャも、そして野次馬達も血相を変えて絶叫した。
「キャアアアアア、ネズミよーっ!!」
「いやあああああああ!!」
「こっちに来ないでえっ!!」
――貴族という種族は、基本的に都会で便利な生活を嗜んでおり、まあつまり生き物全般苦手なことが多い。ネズミは立派な忌避対象の一つだ。
そしてミーニャ=ベルメールも、どうやらネズミは大の苦手であるという話を聞いた。なんでも小さな頃、囓られて高熱を出したことがあってそれがトラウマなのだとか。
シャリーアンナ=リュシー=ラグランジュは、腐っても男爵令嬢。そして未だにAクラス所属。更に今のわたくしには、皇子殿下の世話係という特典もある。
要するにね。お茶会の一つや二つ潜入して、この程度の情報を仕入れてくることぐらいだったら余裕なのですよ、ミーニャさん。
「やっ、やだっ……な、なんでそんなもの! あんた頭おかしいんじゃないの!?」
野次馬がちりぢりになる中、ミーニャは腰を抜かしてへたれこんでしまったようだった。
「人のことを階段から突き落として殺そうとするような人間に、小動物一匹握った程度でおかしい呼ばわりされる義理はないと思いますけどね」
「――わ、わかった! わかった、謝るから!」
「へえ。何をですか?」
「今までのこと、全部言いがかりなの!」
「なるほど。で?」
「ご――ごめんなさい、もうしないから! それを近づけてこないでー!!」
チューチュー音を鳴らす手を威圧感を持って顔に寄せていけば、ミーニャはべそをかきながら陥落した。
……ちょっとかわいそうだったかな。と一瞬思った後、いや階段ダイブの犯人だぞ、忘れるなと心がささやく。
わたくしは期待通りの成果が得られたため、ポケットの中に心強き援軍をしまいこみ、スカートの裾を払う。
「これに懲りたらもう二度とわたくしに絡んでこないでくださいね。次回があれば、あなたのベッドに群れを送り込みますよ。そのぐらいのことなら、わたくしにもできますから」
がくがく頷く彼女を置いて、わたくしは中庭を後にする。
「よ。結局俺何もしてねーけど、これで良かったのか?」
ロジェが追いかけてきて、わたくしの隣に並ぶ。
「いえ、わたくしの心理的には充分働いていただきました。それに保険は、使う機会がなければそれでいいものなので」
「……にしても。ポケットのそれ、今日一日持ってたのかよ……」
「ああ、これですか?」
わたくしは笑い、再び取り出してロジェの方に出す。
逃げずともちょっと嫌そうな顔をした彼だったが、「よく見てください」と声をかけると目を見張る。
「……なんだこりゃ。おもちゃか?」
「ええ。魔道具のおもちゃ――というか、ジョークグッズって言うものなのだそうです。ちょっとしたいたずら用ですね」
「ああ……ってことはセドリックか。あいつが妹にねだられて買ったけど、家では不評だったとか?」
「ご明察。まあ本物のネズミも触れますけど、ポケットにずっと入れておくのはぞっとしませんからね」
キラキラ光るボールは伯爵家でもまあまあ好評だったが、結構リアリティ溢れる見た目の上に、魔力を込めると鳴いてもぞもぞ動くネズミは、五歳幼女のお気に入りとしても許されなかったようだ。
しかし、生き物モデルだと、ただゴミ箱に投げ込むのもなんとなく気が引ける――などと迷っているセドリックを見かけ、譲ってもらうことにしたのだった。
「……な。今日の放課後、空いてるか? 茶の一杯ぐらいならおごってやるよ」
「え、どうしました苦学生。急に羽振りがよくなるなんて、怪しげな収入とかじゃないでしょうね?」
「そりゃ奨学金は貰ってるが、そのぐらいは出せるっつーの。戦勝祝いだよ」
……なんと嬉しい申し出だ。そうか、労ってもらえるようなことを……できたのかな、わたくし。
一度足を止めてから、ロジェに微笑みを向ける。
「ありがとうございます。けれどわたくし……それなら、殿下にご報告してからがいいです」
「はーん、なるほどね。シャンナが一人で頑張ってたって知ったら、あいつも喜ぶだろうしな。どうせだからあの堅物も呼ぼうぜ。功労者の一人だし」
「そうですね、とっても役に立っていただきましたから」
笑い合って廊下を歩くわたくし達。
だけどやっぱり、ちょっと寂しいような気もして……早く帰っていらっしゃらないかなあ、なんてこっそり思った。
――その数日後。
ついにデュジャルダン侯爵家から呼び出された。
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