15.迷子と遭遇したようです
……んんっ?
そろそろ冷めてきた揚げパンを頬張ろうとしたわたくしは、違和感に足を止める。後ろを振り返ってから、視線を下方向へ。
「…………」
「…………」
「こ、こんにちは……?」
なんと、わたくしのスカートの裾を、小さな女の子がきゅっと握りしめていたのだ。
髪は深い青色、目は茶色。年は五歳ぐらいだろうか?
ふりふりがついた可愛らしくも上品なスカートをはいていて――街の子というよりかは、もうちょっとちゃんとした所の子どもなのでは? とパッと印象を持った。
ちなみに当然、見知らぬよそのお家の子である。
「あ、あのー……どうかしました……?」
嫌な予感がしつつも、つかまれてしまっている手を振り払うわけにもいかないので聞いてみる。
女の子の顔がくしゃっと歪んだ。あっ、これは……。
「ふ……ふええええええん!!」
世の中には、予測できても回避ができない事象というものが存在する。幼児の号泣はその典型例の一つだろう。
そしてこういう時、一人っ子兼引きこもりは非常に無力だ。一緒に泣き出さないだけ上等と言えるかもしれない。いやそれはさすがに低レベルよ、シャリーアンナ=リュシー=ラグランジュ十七歳。
――偉そうなことを言っていないで行動したいのだけど、こういうときどうすればいいのか、本気でわからないの……。
「シャンナ?」
「ああん? 何して――」
硬直するわたくしに、少し先を行こうとしていた殿下とロジェが振り返り、すぐに状況を理解したらしい。殿下は素早く辺りを確認し、ロジェは無言で遠ざかっていく――殺生な!
わたくしも思わず周囲に目を向けるけれど、返ってくるのは「なんだなんだ」と言いたげな視線のみ。いたたまれなくなって女の子に目を戻しますが、相変わらずわたくしのスカートを確保したまま泣いている。
買ったばかりの眼鏡をつけていても、やはりわたくしの目って怖いのかな……それではなぜに、そんながっちりとわたくしのスカートを確保なされていらっしゃるのか。
「迷子みたいだね。保護者らしい大人が見当たらない」
殿下がわたくしの隣まで戻ってきてくださり、そのようなことをおっしゃった。
ああ、なるほど! 一瞬誘拐犯の共犯扱いを避けるためにそっと距離を置かれたのかと思いましたが、違っていたようです。先ほどは親御さんらしき大人がその辺にいらっしゃらないか、様子を見られていたのですね。
でも、わたくしが見回してみた限りでも、物珍しさにちらっと一瞥飛んでくるだけ、駆け寄ってくる人も誰かを探している風な人も見当たらない。
「どうしたの? ぼくはハインリヒ。きみ、名前は言える?」
しゃがんで目線を合わせた殿下が優しく言うと、ぐずりながら女の子が返します。
「わたしね、クリスタ……」
「そう、クリスタ。パパとママと一緒に来たの?」
「にーさま……」
「そうか、お兄様となんだね。大丈夫、すぐに会えるよ。お兄様の名前は?」
「……セディ」
「セディ――セドリックお兄様かな? かっこいいね」
「にーさまぁ……!」
で、殿下すごい……まだちょっとぐすぐす言っているけど、あっという間に見知らぬ幼女を落ち着かせてしまった。
そしていつの間にか幼女はわたくしから離れ、殿下の指をきゅっと握っている。
気持ちはわかるし自然な流れだけど、なんでだろう、ちょっともやっとするんですが! 幼女羨ましいことしてますね! 違うでしょ、ここはわたくしから離れてくれて安堵しているところでは?
ああ、自分でも自分の考えていることがよくわからない。情緒が著しく乱れていることだけはわかる。よーし、こういう時は深呼吸……。
「セディお兄様には、どこに連れて行ってもらったの?」
「んーん……」
「……この後お兄様がどこに行くつもりかは、知っている?」
「わかんない……」
「そっか。大丈夫、すぐにまた会えるからね」
女の子の目からまたぶわっと涙があふれてきた。
殿下がすっとハンカチを貸――いやいやいや、さすがにそれは!
「殿下、わたくしのハンカチを――」
「シャンナ?」
「――ハインリヒさま!」
「うん」
羞恥プレイを挟みつつも間一髪、滑り込みで自分のものを差し出す。ちーん! といい音がした。
うむ、元気に鼻をかめる子はよい子です。でも殿下の持ち物にちーん! は、わたくし的に寿命が縮む行為ですので、はい。
「ほらよ、ちびすけ」
そこで背後から声がかかった。てっきり真っ先に逃げたと思われていたロジェが戻ってきたようだ。
片手には揚げパン――そうか、屋台に戻ってもう一つ買ってきたのですね。
おいしい匂いに、幼子の顔が明るくなる。
あれ? どうしよう、同行者の男性陣が有能揃いすぎて、今のところわたくしが一番何もできていない!?
わたくしの(何かせねば。でも何を……?)という葛藤はさておき、殿下が困ったような表情になっていた。
「ロジェ、ありがとう。ただ、食べ物は……どうかな……」
「うちの近所のちびすけは皆これで機嫌良くするが、なんかまずかったか?」
「近所の子なら問題ないと思う。親御さんも知った仲だしね。ただ、見知らぬ子となると、あげる方ももらう方も、ちょっと怖いかなって……その子が食べられないものもわからないし」
「好き嫌いのことか?」
「あとは体質、かな……」
なるほど。「よその人から貰った物に口をつけちゃいけません」って、子どもに親が注意する定型文の一つですものね。
まず親御さんからしたら、何が入れられてるのかわかったものじゃない物を、勝手に子どもに飲み食いさせたくはない。
たとえ好意百パーセント、普通の食べ物だったとしても、
もし後で食べ物をあげた子がお腹を痛くしたとしても、責任が取れない……だから殿下は躊躇していらっしゃったのか!
わたくしはロジェの気配りと行動力に感心するばかりだったけれど、殿下の気遣いが更に上回っていて、もはや白目になりそう。
「あー……そっか、そこまでは考えてなかった。悪い、つい条件反射でよ」
「ううん。ありがとう、すぐに動いてくれて。クリスタ、揚げパンはセディお兄様を見つけられたら、一緒に食べようってお願いしてみよう?」
殿下が声をかけると、女の子は「ん!」とお返事してきた。ロジェもほっとした様子で、「それまでしまっておくな」と鞄に揚げパンを入れている。
さすが殿下――すべてにおいてパーフェクトな男……!
「んで? 結局どこの子どもなんだ?」
「お家の名前はわかる?」
「…………」
少し前まではお利口に答えていた幼女だったが、黙ってしまった。なんだろう、恥ずかしくなってしまったのか、別に答えるのをためらう理由があるのか……。
「そういや最初はシャリーアンナにひっついてきたけど、なんかこいつに気になることでもあったわけ?」
ダイレクトに名字すなわち素性が聞き出せなさそうだと思ったらしいロジェが、別方面からアプローチする。すると女の子は、わたくしの紺色スカートを指さして答えた。
「にーさまと、いっしょ……」
わたくしたちは顔を見合わせる。
「服の色が、ってことなのかな……?」
「教会関係者っつーことなんじゃね?」
「黒ならまあ……でもシャンナの服、紺色なんだよね」
「びっみょーだな。魔術師って可能性もあるし……」
わたくしの紺色ワンピースで「お兄様」となると、まあ色の暗いローブだろうという推理になる。男の人でそんな格好をしているのは、教会の人か魔術師ぐらいだろうけど……それにしては女の子の格好がお洒落にすぎるような。
「……ロジェ、警備騎士の詰め所ってこの近く?」
「この場所からだと結構歩くぜ」
「預けに行ったら、逆に保護者と遠ざかっちゃうかもしれないね」
さてどうしたものか、と考え込む男性陣と共に視線を幼女に向けたわたくしは、「あ」と声を上げる。
「シャンナ、どうかした?」
「――なんとかできるかもしれません」
わたくしはいまいちど幼子をよく見るために、買ってきたばかりの眼鏡を外した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます