6.高貴なお方が庶民食堂をご所望です(なお好物はチーズ)

 授業中は特に何事もなく過ぎた。

 いやまあ、ちらちら「なんであいつが殿下と一緒にいるんだろ」と飛んでくる視線は感じたが、さすがに座学中は面と向かって絡まれはしなかった。


 皇子殿下は衆目にさらされることに慣れきっているようで、堂々とした態度である。

 まあ彼の場合、うるさいと思ったら振り返って微笑めば、それでこと足りるというのもあるのだろう。高貴な美形の笑みは力である。


 わたくしも、ひそひそクスクス攻撃にはそこそこ耐性のある人間だった。


 レオナールが遊び相手に選ぶような女学生は、大体お一人様というより複数人で行動するタイプが多かった。あの手のものは相手にしなければ別の暇つぶしに趣味が移るものなので、徹底無視に限る。


 ……と思っていたらヒートアップしたミーニャという前例ができてしまったので、多少検討の余地はあるかもしれない。


 そもそもレオナールは、本当にミーニャと仲良くしていたのだろうか? 腕を組んでいるところなら何度も見たけれど、最近のあれこれを思うに、レオナールはむしろ彼女を煙たがっていたのではないか? 野心家のミーニャが一方的にアタックをかけていたのでは説が、わたくしの中で浮上している。


 まあ、あの二人にはこれ以上こちらから関わる気はないので、当人達の恋愛模様は是非二人だけで片付けてほしいと思う。


 ああ、それにしても久しぶりだ、このチクチク感……学園に入学したばかりの頃も、「デュジャルダン侯爵が是非にと指名した婚約者があれ?」ってすっごい針のむしろだったもの。


(学校に仲の良い人間がいなくても困りはしない――むしろ都合が良かったぐらいなのだけど、この先のことを考えると、今のままも心もとないのよね。殿下は自分の国に来ない? なんておっしゃってくださったけど……)


 ちらりと横をうかがい見れば、皇子殿下は黒板を見つめ、講義に耳を傾けていらっしゃるようだった。真面目な方だ……。


(世話係として成果を示せば、殿下が本当に条件のいい仕事先を紹介してくれるかも……だめだめ、シャンナ。なんとなく目の前の幸運に漂った結果が、階段突き落とし未遂だったでしょう。もっと自分のことは自分でなんとかしないと)


 はあ、とため息を吐いてしまう。


(……と言ってもなあ、わたくし基本的には深いことを考えたくない人間なのよね……。まあ、当面は皇子殿下の学園生活が少しでも楽しくなるように、できることをしてみよう。それしかないわ)


 ちょうどわたくしの思考もまとまったところで、午前の科目終了を告げる鐘が鳴った。


 学生達が一斉に教室を飛び出していく中、皇子殿下はううん、と気持ちよさそうにのびをなさる。


 優雅だ。行動の一つ一つが絵になる人である。貴族、特に保有魔力の高い人間は総じて整った容貌になるものだが、その中でも殿下は別格だ。レオナールだってなかなかの色男だったのに、殿下の隣に立つと完全に凡人と化していた。皇族すごい。


 感心しているわたくしに、彼は振り返り、またまぶしい笑みを浮かべた。


「大衆食堂に行こうか、シャンナ」

「……ご冗談ですか?」

「至って本気だよ?」


 わたくしは真顔で、殿下は笑顔。なんだかこの構図、安定してきたような気がするな。


 お昼休みなので食べに行こう、という提案自体は自然だ。

 どこに行きたいかもすぐわかるし、案内することに限って言えばわたくし程度でも問題なく任務遂行できるだろう。

 しかし殿下がお望みなのは大衆食堂――ここがちょっと雲行きの怪しい部分なのだ。


 そもそもこの王立学園は、その昔、貴族の子弟のために建てられた。王侯貴族によくある、王都に妻子を預けさせて反乱を抑止する政策の一環というところだ。


 設立当初は貴族男子のみ受け入れていたが、そのうち優秀な平民が学生に加わり、そして今では女子も加わっている。我が国は伝統的に保守派なので、身分や性別を問わぬ教育なんて革新的概念は、当然隣の皇国から輸入した文化となる。


 要するに建前では平等をうたっているが、明確な階級があるということだ。

 そして皇子殿下のなさることであれば、基本は受け入れられるだろうが、まあわざわざ平民層に手を出すとなると……やっぱりちょっと、色んな方面から反感買うんじゃないかな……。


「殿下、一応この王立学園の不文律として、高貴なお方は庶民と食卓を共にしません。ご存じでしょうか?」

「うん。だから大衆食堂とプライベートレストランに別れているのでしょう?」

「ご存じの上で、大衆食堂をあえて選ばれる、と」

「だってせっかく遊学中なのだもの、皇室ではできないことを経験してみたいじゃないか。それともシャンナもプライベートレストラン利用者で、大衆食堂は使ったことがないとか?」

「いえわたくしは……どちらかといえば食堂利用者ですが……」


 正確に言えば、食堂で購入した軽食を誰もいない所まで行って一人でもそもそ食べるのが、わたくし本来のランチスタイルだ。ぼっち飯ばんざい。


(郷に入っては郷に従えとも言いますが、確かに皇室からはじめて外に出られた殿下が、未知の刺激を求められるのも当然のこと……)


「ちなみに参考までにお聞きしたいのですが、昨日まではどのような昼食を? レストランをご利用だったのですか?」

「いや? 昨日までは知っている人がいなかったから、迎賓館に用意してもらって転移魔法で移動していたよ。今日はシャンナと食べるつもりだったから、お昼は大丈夫って言ってあるんだ」


 毎度のことですがさらっとすごいことを全然すごくない風に言うんですよね、この人。ああそんなに目を輝かせて……これはもう、腹をくくって行くしかないか。


 トラブルの懸念は払拭できていないけれど、一応は王立学園内なので、平民層のエリアとて別に世紀末のような治安であるわけでなし。

 まずは行ってみて、駄目そうだったら殿下には隠れていただいて、わたくしが二人分のランチを調達し、どこか人のいない場所で食べる――こんな感じのプランで行こうかな。



「へえ、メニューから選ぶんじゃなくて、直接料理が置いてあるんだね! これ本当に、並んでいる中から好きな物を取っていいの?」

「ええ。トレーに食べたい物を積んでそちらに持っていけば、お会計できますので」


 殿下はキョロキョロと興味深そうに辺りを見回していた。わたくしはなるべく彼の影に隠れるように移動している。


 ……予想通り、まあとんでもなく目立っている。

 ただ幸いなのは、今の所遠巻きに好奇心の目を向けられているのみという点だ。


 荒っぽい平民学生に絡またりしたらという危惧があったが、ひとまずその心配はせずに済みそうだ。あとあちらから避けてくれるから、普段混雑する食堂なのに移動が楽である。


「シャンナ、シャンナ! 見て、ここから作ってる所が見られる! へえ、面白いなあ、ああやって準備してるのか……」

「量の調整やトッピングの変更も可能ですよ」

「本当かい!? それじゃチーズを増やしてもらおうかな」

「……お好きなんですか?」

「うん。ねえ、種類は選べたりするの?」

「ど、どうでしょう……?」


 殿下はすっかりご機嫌だ。トレーを手に取り、どのメニューを選択するか楽しそうに悩んでいる。


 ……いつもはもう少し落ち着いた方だから、なんだかちょっと新鮮な姿だ。

 そういえば彼もわたくしと同じ十七歳、まだ未成年なのだということを思い出す。


「ありがとう、シャンナ! こういうの、ずっと興味はあったんだけど、やっぱり一人では来づらくて。慣れている人に教えてもらうと安心だね」

「……この程度のことでお役に立てるのであれば、いつでもお付き合いいたしますよ」


 我ながら、ちょっとチョロくない?


 でもこんなに喜んでくれて感謝のお言葉までいただけるのだから、そりゃあやりがいもあろうというものだ。


 殿下、他には何に興味をお持ちなのだろうか。ランチの間に少しでもお聞きできるといいな。

 ……殿下の学園生活に、わたくしがちょっとでも貢献できたら嬉しい。

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