5.殿下はしっかりしたお方です

「シャンナ!」


 殿下が慌てて駆け寄ってきてくださるけど、頑丈で健康体なのはわたくしの数少ない取り柄の一つなので何も問題ない。


 それより散らばった本が傷んでいないか心配で、すぐに手を伸ばして確認する。


 おお……今まで意識したことがなかったけど、こんな所に王立学園のちょっとしたこだわりを感じられるとは。

 どうやら図書館の本は、魔法で保護されているらしい。ある程度の学生のうっかりには耐えられそうだ。


「よかった、無事みたいです」

「そうだね、たんこぶもできてなさそうだ」

「え? ああいえ、本ですよ、本。大丈夫でしたので、ご安心ください」

「そっか、大事なくて何よりだね。でも本より先に、自分の心配をしてもいいと思うよ……?」


 わたくしは本を見ていたが、殿下はわたくしに怪我がないか見てくださったらしい。

 ありがたいですが、わたくしなんてどうせその辺に捨て置かれるべき存在なのに……。


「な、なによ。良い子ぶっちゃって。マジムカつく女ね……」


 ミーニャ=ベルメールの声に、わたくしと殿下はほぼ同時に顔を上げた。

 するとピンクの髪の女学生は、口を開けたまま言葉を失ってしまう。


「……きみは何か、言うべきことがあるのでは?」


 しばらく沈黙が流れたが、やがて殿下がにっこり微笑む。


「な、なによ……!」

「喧嘩なら、きみにはきみの、シャンナにはシャンナの言い分があるのだろう。だけどきみは今、故意でなかったにしろ、彼女を危ない目に遭わせた。それは明確にいけないことだ。違うかな」


 皇子殿下はあくまで淡々としゃべるけど、それがやけに迫力がある……。

 ミーニャ=ベルメールはぐっと唇を噛みしめ、低く震える声で言った。


「このたびは、申し訳ございませんでした……」

「ぼくじゃなくて、シャンナにでしょう?」


 皇子殿下がため息を吐くと、ミーニャはぎらっとわたくしをにらみつけ、屈辱的、という顔で頭を下げた。と思えばバッと頭を上げ、バタバタ足音を立てて逃げていく。


「……大丈夫? シャンナ」

「え? ああ、わたくしはちっとも。それよりお待たせして申し訳ございませんでした。参りましょうか」


 そもそもがわたくしがぼんやりしていたからいけないのだ。そしてミーニャが派手な物音を立てたためか、ついに本物の司書が二階に上がってくる。


「どうかしましたか?」

「すみません、本棚にぶつかってしまって、落としてしまって」

「ああ……わかりました。片付けておきますね」

「あ、大丈夫です。すぐ戻せますので」


 大騒ぎした上に後を残していくのはちょっと気分が落ち着かない。

 わたくしは本の印を頼りに、手早くぱぱぱっと片付けた。

 目を丸くしている司書に頭を下げ、「お待たせしました!」と殿下に駆け寄る。



 図書館を出ると、殿下がはあっとため息を吐き出した。


「それにしても大変だね、シャンナ。あんな風に絡まれるなんて」

「ええと……本当に、お見苦しいところをお見せしました」

「その……ああいうことはよくあるの? なんだかきみが、慣れているようにも見えて……」

「あそこまで激しく執着されることは珍しいのですけど、馬鹿にされることであれば、まあ日常というか……実際わたくし、何の取り柄もありませんし」


 殿下はわたくしの言葉に、右に左に首を捻った。……雲の上の方と三下では、常識が違って戸惑われているのだろうか?


「まあ……そういうこともあるのかな。ぼくもね、皇国とこちらでは、なんだか扱われ方が違うっていうかさ」

「……恐れながら、意味をお聞きしても?」

「こっちはぼくのことを、なんだかすごく歓迎してくれるでしょう? 驚いたよ。皇国でのぼくは、どちらかといえば期待外れの方だったからね」


 わたくしは思わず、衝撃のあまり足を止める。


 こんな顔よし性格よしオーラダダ漏れ、どこからどう見ても「王子様になるために生まれてきました」って人が期待外れ!? 嘘でしょう、どれだけ見る目がないの。むしろ目がない。耳もない。


 いや、しかし皇国は実力重視、能力の最大発揮こそ重視される社会と聞く。

 それに皇族はもっと、なんというかこう……ご先祖様が力で国をまとめられた方々ゆえ、いずれも勇猛果敢な気質をしているという話だったなとなんとなく思い出す。


 思い返せば、第一皇子は長子であるが、実は皇太子ではない。次期皇帝は弟の第二皇子殿下であると、もっぱらの噂である。


 長兄相続な王国からするとちょっと信じられないのだが、どうやら殿下のお母君は正妃でないという噂もある。ならば母親が存命で後ろ盾のある第二皇子が優先されるということなのかもしれない。あるいは殿下がおっしゃっているように、弟君の方が皇国では人気があるということなのかも。


 ええ……でも、この人がいいなって思われない世界が存在するとか、なんで……?


「そんなに意外だった? 皇国ではずっと、ぼくは軟弱者で頼りないって言われていたのだけど」


 わたくしは無言で、ぶんぶんと首を縦に振ってから、今度は全力で横に振る。


 殿下は穏やかだが、ミーニャ=ベルメールに対する断固とした姿勢など、けして意思薄弱であるわけでない。本当に強い人だからこそ、むやみやたらに力を振りかざさないのだ。

 そういう風に、わたくしには見えるのだけど……。


 ふふ、と殿下は柔らかな笑い声を漏らした。


「シャンナもさ。環境を変えてみたら、案外全然違うことを言われたりするのかもよ。どう? 卒業したら皇国に来てみる?」


 思いもせぬ言葉だったので、わたくしは最初流してしまってから、声にならない悲鳴を上げる。


 え? これってもしかしなくても、ヘッドハンティングって奴ですか?

 いやわたくしはどう考えてもそういう対象ではない。たぶん面白採用という奴だ。


 婚約破棄後の身の振り方を考えねばならなかったわけだし、魅力的なお誘いではあるが、はいともいいえともすぐには答えがたい。


 わたくしが悩んで表情をぐるぐるさせていると、殿下はのんびりと「まあ、すぐじゃなくていいから考えてみて」とおっしゃってくださった。


 やっぱりこの人が評価されないって、想像がつかないなあ……。

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