4.眼鏡は必需品疑惑

 婚約破棄しても皇子殿下の世話係になっても、変わらず朝はやってくる。


 まあ色々あったけど、とりあえずはいつも通り過ごしてみるか……とか考えていたのに、早速また面倒ごとに巻き込まれていた。


「見つけたわよ!!」


 わたくしは学園内で、なるべく目立たない、隅っこにいるようにしている。

 朝早めの人の少ない時間帯に登校し、授業が始まるまで図書室にこもることは日課の一つ。

 図書室二階の自習スペースは、わたくしにとっての憩いの場だった。


「シャリーアンナ=リュシー=ラグランジュ! あんた一体、どういうつもりなのっ!?」


 ところが穏やかな静寂を乱され、驚いて顔を上げる。


 なんと、昨日わたくしを突き落とそうとしてきたミーニャ=ベルメールではないか。ちゃんと本名で呼んでくるなんて珍しい。

 でもわたくしはレオナールに婚約破棄されたのだから、もう用はないはずだけど……?


「どういうつもり、とは……?」

「それはもちろん、レオナール様に恥をかかせたことよ!!」


 困惑したわたくしがとりあえず聞き返してみると、くわっと目を見開いてミーニャは言う。愛らしい見た目をしているのだから、そんな顔芸やめればいいのに。ため息を吐いてしまう。


「わたくしはただレオナールさまに、もう少し婚約者らしいふるまいをしていただけませんかとお願いしただけです。彼はそれが嫌だったようで、わたくしとの婚約を破棄しました。あなたにとってはむしろ、喜ばしいことのはずでは?」

「何よその態度! あんた何様のつもりなの!?」

「なぜ怒るのです……?」

「あんたがあたしのこと、ばかにしてるからよ! どうせ卑しい平民なんて侯爵夫人になれっこないと思ってるから、そうやって上から見下しているんでしょう!? その気持ち悪い目が証拠よ!!」


 わたくしはしょんぼりした。そう見えてしまうのか……。


 わたくしの目はいささか印象が強すぎるらしく、普通にしていると冷たくにらみつけていると思われてしまうらしい。

 以前、真顔がいけないのかなと微笑む練習をしてみたら、「どうしたんだいシャンナ、威嚇したいのかい……?」と両親に心配されてしまった。そんなにひどい目つきをしているのかしら。鏡で見る分には普通に見えるのに。


 初めて会ったときのレオナールも、わたくしの顔を見るなり「なんだその目は、ふゆかいだ!」と言い放ち、まもなく侯爵家から瓶底眼鏡が贈られてきた。なおレオナールから貰った贈り物は、後にも先にもそれだけである。


 実用性はあったので昨日まで愛用していたが、既に殉職済みだ。早めに次の眼鏡を買わないといけないかもしれない。


「……でもわたくし、あなたが侯爵夫人になることも、けして不可能ではないと思っていますけど」


 努めて穏やかに、本心を口にする。


 王国ではまだまだ、貴族は貴族とつがうもの、という意識が根強い。

 とは言え、名ばかり貴族が家の存続のために平民を迎えることだってあるし、家格が釣り合わない時に適当な所に養子入りして体裁を整えるようなことだってある。


「嘘よ! そんな顔してないじゃない!!」

「顔はその……すみません、どうしようもない気もします」

「なんですって? あたしより自分の方がずっと美人って言いたいのね!?」

「ええ……?」

「そうじゃなきゃあんな嫌みな眼鏡なんかしないし、あたしにライバル宣言されてこれみよがしに顔をさらしたりもしないでしょ!! 自分が綺麗だからって、何もかも思い通りになると思っているんだわ! ビッチ! 売女! バーカ!!」


 おう……もう言葉が出てこない……。

 何を言っても怒らせてしまうけど、逆になんて言えばこの人は満足してくれるのだろうか。途方に暮れる。


 それにしても、そろそろ騒ぎすぎて怒られそうな気がする。ここは図書館なのだ。司書係に追い出されるのは当然として、連帯責任で出禁を申し渡されたりすると困る。


 そう思って耳を澄ませれば、案の定誰かが階段を上がってくる足音が聞こえるではないか。


「ミーニャ=ベルメール。図書室での騒音は迷惑になります。話が長くなるようなら、場所を移しま、しょ――」


 わたくしは追い出される前にせめて自分で出て行こうと立ち上がったが、言葉の途中でピシッと体が石のように固まった。


「何よ何よ、逃げるつもりね! この負け犬――」


 なおもわたくしにくってかかろうとしていたミーニャが、釣られるようにわたくしが凝視する先を振り返り、ヒュッと息を呑む。


「やあ、シャンナ。気持ちのいい朝だね」


 まぶしい。光が満ちる。朝日が自分から歩いてきたような錯覚を覚えそうになる。

 今日も今日とてオーラが半端ない皇子殿下は、わたくしに爽やかに挨拶をしてくださった。


「で、殿下、なぜここに……!?」

「教室に見当たらなくて、きみが好きそうな場所ってどこかなって思ったら、静かな図書館かなって。当たっていたね。そろそろ授業の始まる時間だし、一緒に行かない?」


 え、なぜに? 確かに昨日、殿下の世話係に任じられましたが――あっ、そうかそういうことか、世話係なのだから随行なんて当たり前のようにすべきですよね。自分が殿下のお側に侍る絵が全く頭になかったのですが、世話係って言ったら普通は付き従うものですよね。ああ、わたくしの大馬鹿者……!


「大変申し訳ございません! わたくしが殿下をお待ちすべきでしたのに、わざわざご足労を……!」

「いやあ、ぼくがシャンナを探したかっただけだから。というか昨日もそれやっていたけど、何かの踊り? 機敏で洗練されているね!」


 両親から伝授されたローリング土下座がここまで通用しないなんて。王国貴族相手だと許してもらえるというか、何このクソ雑魚、もうまともに相手にするのやめよ……みたいなドン引きの空気になるのだけど。殿下は余裕のある笑顔でさらっと受け流してしまう。


 そんなパフォーマンスしている暇あったら、行動で誠意を示してねってことでしょうか。なるほど実用主義の皇国らしいお考えですね。肝に銘じます。あとはじめて土下座のキレを褒められた気がします。この先はもっとまともなことで賞賛の言葉をいただけるようにしよう……。


 しかし慌てて殿下に駆け寄ろうとした時、我に返ったミーニャが、彼女の横を通り過ぎようとするわたくしの邪魔をした。


「待ちなさい、話は終わってないのよ!」

「わっ――!?」


 なんと、足で引っかけられた。つんのめったわたくしは、近くの本棚に突っ込んでしまう。

 ばさばさっと本が音を立てて落ちた。

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