3.皇子殿下の世話係に任命されたようです(???)
◇◇◇
その後うっかり気絶したわたくしを、皇子殿下は医務室まで送り届けてくださったらしい。しかも目が覚めたときお声がけくださった。わたくしは恐れ多すぎて、足が動くのがわかるなりその場から逃げ出した。
うん……いくら直視できないからって、この態度は確かにない……。
殿下がお冠になられても仕方ないと思う。座して待とう、裁きの時を……。
「シャンナはどのお茶が好き?」
「……えっ?」
「お茶。嫌い?」
「その……どのようなものでも飲めます……?」
「そう? じゃあ、ぼくが選んじゃおうかな」
殿下はニコニコとして、何かの準備を進めていらっしゃる。
これはあれかな。もしかしなくても「何味の毒がいい?」って意味だったのかな。ということは薬刑ですか、承知いたしました。今のうちにそっと血を吐く用のハンカチを用意しておこう……。
それにしても殿下はなぜ、「シャンナ」と当然の顔で愛称を口にされているのでしょう? いえまあ、昨日、医務室で言葉を交わした際に少し話題に出たような気もしますが……。
「砂糖とミルクは? それともストレート派?」
「ええと……?」
ところでその、先ほどから幻覚だろうなとずっと思っていたのですが、もしかして……殿下は手ずから、お茶をいれていらっしゃいますか? なんだか随分と手慣れていらっしゃるような……。
「どれがきみの好みかわからなかったから、一通り並べておくよ。好きなものを足しておくれ。こだわりがあるなら申し訳ないが、この方がきみも楽しめるかと思うんだ」
固まっていたら、これまた露骨に高そうな茶器が並べられた。これ絶対割ったら弁償できない奴ですね。でも殿下に「めしあがれ」って言われたらもう腹をくくるしかない。断頭台に上る気分でカップに手を伸ばす。
「あふっ」
「うん?」
思わず奇声が。
そうだわたくし、今思い出したけど猫舌だった。そんなことより気にすることが多すぎて忘れていた。
「シャンナ? 味が合わなかった?」
不安そうに尋ねられ、わたくしは急いでカップをソーサーに戻すと、ぶんぶん首を横に振った。お行儀はよろしくなかったかもしれないが、この際仕方ない。舌は犠牲になったのだ。
ごまかすように、並べられたお菓子の中から一番地味そうなクッキーを手に取って口に含み、もそもそと大人しく咀嚼する。
……あれ? もしかして、普通に、ものすごくおいしい? てっきりすごく渋いとか苦いとか、あとは気持ち悪くなるとか起こると思っていたのですが……熱さが過ぎれば、ただただ品のいい香りと優しい甘味に包まれているような……。
(いいえ。そんなはずが。わかりました、食べ物には敬意を払うお方なのですね。そして敵に塩を送る方でもあるのですね。腹も満ちたところで、きっとここからこう、とびきりの罵倒とか飛んでくるのですよ。わたくしにはわかりま……)
皇子殿下は天使のような微笑みでわたくしを見守っていた。向かい側に座り、彼もまた優雅にお茶を嗜んでいる。さすがにちょっとこう、今までの説で通すのは無理がある気がしてきた。
「あの、殿下……」
少しひりつく舌をこらえながら口を開く。
皇子殿下はん? と小首を傾げられた。
ちょっとまた心臓が縮んだが、わたくしがめげるといつまで経っても話が進まない気がしてきた。頑張って続きの言葉を絞り出す。
「その……先日のご無礼は、どのようにしてお詫びすれば……」
「あれ? まさかシャンナ、ぼくが怒ると思っていたの?」
「大変申し訳ございませんでしたどうすればご満足いただけますか腹を切ればいいのでしょうか!!」
「切らない切らない。落ち着いて? ほら、席に戻って」
渾身のローリング土下座なのに、あっさり皇族スマイルで流された。わたくしが虚無の顔で椅子に戻ると、皇子殿下ははにかむようにぽりぽりと指で頬をかいている。
「んー……まあ、昨日きみが面白い登場の仕方をしたから興味を持ったことは、確かなんだけどさ。ぼくはきみと……そうだな、友達になりたいんだと思う」
ごめんなさい、いと尊き雲上人のおっしゃられるありがたき御言葉であらせられますが、ちょっと何を言っているのかわからないです。
という気持ちが、おそらくは割と全面的に顔に出ていたのだろう。
皇子殿下は速やかに補足を追加してくれる。
「友達はちょっと気が早いなら、知り合いからでもいいんだけど。ほら、ぼくは隣国からやってきたばかりだから、この国のことにも、学園のことにも疎いでしょう? 世話をしてくれる人というか、案内をしてくれる人というか……だれかいてくれたら、嬉しいなって」
一応道理は通っているような。
第一皇子はずっと皇室にいたお方、隣国という新環境で過ごすにあたり、誰か現地人の伝手がほしいと考えるのは自然なことだ。
ここでわたくしは、一つの疑問を思い出す。
「その……差し出がましいことかやしれませんが、殿下にお付きや護衛の方などは……?」
「いないよ。自由に気分転換してこいって言われているからね!」
爽やかに返されてしまったら、「なるほどだからお一人で学園内をふらふらなされていたし、お茶の準備もご自分でなされるのですね!」と納得せざるを得ない。
だが「知り合いから始めましょう」の部分は、いささか荷が重すぎるように感じられる。
「殿下、お声がけいただいたことはありがたいのですが、控えめに申し上げて……その、人選ミス、ではないでしょうか」
「人選ミス?」
殿下は面白そうにわたくしの言葉を繰り返し、首を傾げた。
まぶしい。なんでわたくし、今こんなキラッキラな人に刃向かうようなこと言ったんだろう。命を以て詫びた方がいいのでは? いやそうではない。頑張れわたくし、正気を保つのよ。
「殿下は隣国から、見聞を広めるためにこの国へいらしたのではないでしょうか。我が国のことを学ぶにしろ、学園で過ごしやすくしたいにせよ、わたくしでは力不足に感じます。その、わたくし一応男爵令嬢ということになっていますが、ほとんど平民と変わらないというか――」
「うん、そう。皇室からも国からも出た今だからこそ、これまで関わる機会のなかった世界を知りたくて」
なるほど、素晴らしいお考えですね!
……あれ? わたくし今、辞退の流れに持っていくつもりだったのだけど、「むしろきみが適任者だよ」って更に包囲網が狭められてない?
「ねえ、シャンナ。きみは昨日、階段から突き落とされて危うく死にかけたんだよ? たまたまぼくが通りがかったからことなきを得たし、今日は無事に婚約破棄されたみたいだ。とはいえ、まだきみの身が安全になったとも、将来がよくなったとも言えない。違うかな?」
その話題を出されると痛い。
そう、わたくしは既に、殿下に二度も助けてもらっている。一度目は命を、二度目は円滑な婚約破棄を。もし対等な身分の人間同士だったとしても、借りが累積している状態だ。
その対価に自分の意に従えということであれば、話はわかりやすい。
わたくしがぐ、と詰まったのを見透かすように、形の良い切れ長の青い目がすうっと細められた。
「王国は伝統で動くらしいが、帝国では適材適所こそ求められるもの。ぼくは皇室の人間だからね、きみにはもっとふさわしい場所があるように感じた。だけど錯覚かもしれないし、きみにはきみの事情がある。だからまずは知り合うところから始めたい……こういうところで、ひとまず納得してはもらえないかな」
正直に言うなら、どう考えても不釣り合いすぎて、殿下の本当の目的が全く見えない。この人はわたくしに、何を期待しているのだろう。
けれど皇室の方の事情や考えがわたくしに見抜けるはずもなし、もし察せたとしてもどのみち答えは一択だ。
「かしこまりました、殿下……不肖シャリーアンナ=リュシー=ラグランジュ――その、精一杯殿下の学園生活が充実するよう、お世話させていただきます……?」
「うん。ありがとう、シャンナ。これからよろしく」
こうしてわたくしは、皇子殿下のお世話係になってしまった。
しかも翌日早速、殿下にさらに借りを積み上げることになるのだ。
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