201話「抱き枕」

 俺が泊っていく時に着ているスウェットを被せられた謎の抱き枕。

 そして隣には、あわあわと言い訳を考えているが上手い言い訳が全く出て来ない様子の挙動不審なしーちゃん。

 そんなカオスな状況の中、俺もどうしたものかと頭を掻く。

 人肌寂しくて、つい作ってしまったというこの抱き枕に対して、一体俺はどうリアクションするのが正解なのだろうか。

 怒ることでもないし、喜ぶのも違うよなぁ……。

 そしてこういうのは、時間が経過すればする程気まずさは増していくのであった。


 そんな謎過ぎる硬直の中、先に動き出したのはしーちゃんだった。

 しーちゃんはそっとその抱き枕を掴み上げると、両手で抱き枕を立たせる。


 そして何を思ったのか、「えいっ!」と一言その抱き枕を急に俺に押し付けてきた。

 突然のその謎行動に戸惑った俺は、とりあえずその押さえつけられる抱き枕をキャッチしながら転ばないようにバランスを保つ。

 しかし、どうやらそれこそが狙いだったしーちゃんは、そのまま抱き枕越しに思いっきり俺に抱きついてきた。



「た、たっくんにスリスリして、たっくん補充させてっ!」

「え? 何!? ス、スリスリ!?」

「そう! スリスリ!」


 何を言っているのかよく分からないが、そう言って抱き枕を全身で押し当ててくるしーちゃん。

 どうやらそのスリスリとは、要するにこうやってこの抱き枕を俺に擦り付けていることを言っているようだ。

 もうしーちゃんも半ば自棄なのだろう、スリスリ発言といいこの状況といい、何もかもが訳が分からないことになっていた。



「ちょ、ちょっとしーちゃん?」

「もうちょっと!」

「いや、ちょ」

「もう一声!!」


 いや、しーちゃんそれは値切りするときのやつじゃ……。

 グイグイと抱き枕を挟んで抱きついてくるしーちゃんは、完全にストッパーを見失っているのであった。


 こうして一頻りスリスリタイムをさせられた俺は、五分ぐらい経っただろうかようやく解放された。

 そしてスリスリホヤホヤの抱き枕が嬉しいのか、早速その抱き枕に抱きついてベッドで寝転ぶしーちゃん。

 その表情はすっかり上機嫌で、よっぽどスリスリのホヤホヤが嬉しいご様子だった。


 そんな完全に恥を捨ててご機嫌な様子のしーちゃんを見ていると、何だか堪らなく愛おしく感じられてきてしまったため、一つ提案をしてみることにした。



「いや、しーちゃん。そんなにあれなら、その、そのスウェット着る、けど……?」

「たっくん!!」


 すると、俺の提案に対して酷く驚いた様子で起き上がったしーちゃん。

 そして、まるで信じられないものでも見るような目で、俺のことをじっと見てくる。



「し、しーちゃん?」

「――盲点でした!」

「え?」

「それだよたっくん!! それがいい!!」


 大喜びしたしーちゃんは、慌てて抱き枕からスウェットを脱がすと「はいっ!」とそのスウェットを差し出してきた。

 その目は完全に期待する子供のようにキラキラと輝かせており、完璧アイドルなはずのしーちゃんが今は若干危険な存在に思える程だった。



「じゃ、じゃあ着替えてくるね」

「うん! 待ってるよ!!」


 こうして言い出した手前、俺は満面の笑みのしーちゃんに見送られながら早速そのスウェットへ着替えることとなったのであった。


 俺はお風呂場の更衣室へとやってくると、既に何度か着ているそのスウェットを両手で広げてみた。

 別に汚れとかはなく、俺が前に着た後洗濯だってちゃんとしている感じだった。


 しかしスウェットから感じられる、緊張感――。

 そう、このスウェットは恐らく、ここ何日間かはしーちゃんが抱き枕として抱きついていた代物なのだ。

 つまり、毎夜毎夜あのしーちゃんが寝ながら抱きついていたスウェット……。


 俺はいけないと思いつつも、そっとスウェットの香りを嗅いでみる。

 するとスウェットからは、しーちゃんの甘い香りが繊維の奥から香ってくる。



「こ、これは……」


 そこでようやく俺は理解したのであった、このスウェットの破壊力を――。

 しっかりとしみついたしーちゃんの香り、そして毎夜しーちゃんがこれに抱きついて寝ていたという事実……。

 それだけで、俺はこの着慣れたはずのスウェットに袖を通すことを躊躇ってしまうのであった。


 ――でも、ここまで来たら着ないとだよな


 そう覚悟を決めた俺は、思い切ってスウェットに袖を通した。

 そしていざ着てみると、一瞬にして全身がしーちゃんの香りに包まれる。


 ――ヤバすぎないか、これ


 当たり前のようにドキドキしながら俺は、下もスウェットに着替えてしーちゃんの部屋へと戻る。



「え、えっと――着替えてきた、よ?」


 扉を開けながら、ちょっと恥ずかしくなりつつもそう告げると、部屋で待っていたしーちゃんはスウェット姿の俺を見るなり嬉しそうに口角を上げる。


 そして、



「わぁ! たっくん!! 神対応!!」


 と、両手を挙げて本当に嬉しそうに喜ぶしーちゃん。

 あの誰しもが憧れたスーパーアイドルが、たかが俺のスウェット姿だけでこんな風に喜んでいるのだ。


 そんなギャップのあり過ぎる無邪気な姿を見ていたら、何だかまぁいっかという気にさせられてしまうのであった。


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