176話「目覚めと印」

「起きなさい」


 その声で、俺は目を覚ます。

 目を開くとそこには、先に起きているあかりんが一人ベッドに腰掛けていた。



「……あ、おはようあかりん」

「はい、おはよう。ついでに起こしてくれるかしら」

「起こす……?」

「そう、隣のそれよ」


 隣のそれ?と思ったけれど、背中から温もりが伝わってくる事に気付いた俺は、そのまま後ろに寝返りする。

 すると、寝返りを打った俺の目の前に、眠るしーちゃんの整ったご尊顔がドアップで現れる。



「うぉ!?しーちゃん!?」


 そこには、昨日はベッドで眠ったはずのしーちゃんが、何故か俺の布団の中で一緒に眠っていたのである。

 そんな突然のドアップに驚いた俺は、思わず変な声を上げてしまう。



「んん……たっくぅん……」


 そんな俺の声で目を覚ましたしーちゃんだが、まだ寝ぼけているようでそう声を発しながらそのまま俺の上に覆いかぶさってくる。

 その結果、昨日あかりんが来た時と同じようにしーちゃんの下敷きになってしまう俺。



「――あんた達、いっつも重なってるのね」


 そしてこの光景を見ながらあかりんは、面白そうに笑っているのであった。



「昨日から、しーちゃんの寝相が悪いんだよね」

「それは、それだけたっくんに気を許してる証拠よ」

「そ、そうかな」

「うん、紫音はそういう子だから。きっとこのお泊りで、紫音はたっくんに対して良い意味で気を使わなくなったんでしょうね」


 あかりんのその言葉は、何だかしっくりきた。

 何故ならその言葉の通り、このお泊りを通じてしーちゃんに対する印象は俺の中でもまた変化してきているからだ。

 それはきっと、こうしてしーちゃんが俺に対して気を使わなくなったからだと思うし、そう思える事が俺は嬉しかった。



「にしても、あの紫音が彼氏の寝てる布団に忍び込んで一緒に寝てるなんてね」

「あかりんとしても、この状況は意外なんだね」

「ええ、これでもわたし達エンジェルガールズでセンター張ってた、名実ともにトップアイドルなのよ。それが今じゃこの有り様なんだもの、笑っちゃうわよ」


 そう言って笑うあかりんに、俺も確かにと一緒に笑った。

 きっと全国のしおりんファンは今こんな事になってるなんて思いもしないだろうし、そんな特別さに俺の心は何とも言えない優越感みたいなもので満たされていく。



「なーに……わたしの話……?」

「そう、紫音が今日も可愛いねって話してたのよ」

「うー……知ってるぅ……」


 寝言のようにそう返事をしながら、片手をひらひらと振るしーちゃん。

 そのあまりのゆるキャラっぷりに、またしても俺とあかりんは笑ってしまう。

 本当に、気を許してくれるしーちゃんがどんどん駄目になっていってる気がしなくもないけれど、それはそれで底抜けに愛らしかった。



「はーい、じゃあ顔洗ってくるわよー」


 あかりんはそう言うと、俺の上でまた眠りにつくしーちゃんの腕を掴んで起き上がらせると、そのまま洗面台へと引っ張っていく。



「うう……まだ眠いよぉ……」

「早起きするって言ったでしょ。ほら、シャキッとする」


 駄々をこねるしーちゃんと、有無を言わさず叩き起こすあかりん。

 そんな二人を見ていると、やっぱり本当の姉妹のように思えてくるのであった。




 ◇




「おはよう!たっくん!」


 戻ってきたしーちゃんは、もうすっかり目を覚ましていた。

 シャコシャコと歯磨きをしながら明るく挨拶をするその姿は、さっきまでとはまるで別人のようだった。



「おはよう、しーちゃん。起きれたんだね」

「うん!歯を磨いたら目が覚めたよ!」


 元気いっぱいシャコシャコと歯磨きするしーちゃんは、確かにその言葉通り完全に覚醒していた。

 そしてそれだけ言うと、また楽しそうに洗面台へと戻っていくしーちゃん。

 そんな子供のように無邪気なしーちゃんを見ていると、自然と笑みが零れてきてしまう。

 あの子が自分の彼女なんだよなと思うと、その度に嬉しい気持ちが込み上がってくるのであった。



「お待たせ、たっくんも歯を磨いてきたら?」

「そうするよ」


 そして暫くすると、今度はあかりんが寝室へと戻ってきた。

 どうやらしーちゃんはそのまま朝食の準備に取り掛かっているようで、あかりんはあかりんで着替えをしに戻ってきたようだ。

 だから俺は、言われた通り洗面台で歯を磨いてくる事にした。



「あ、これから着替えるけど、どうする?覗いてく?」

「あとが怖いので、せっかくだけど今回は遠慮しておきます」

「あはは、確かにね。――じゃあ、鏡でよく自分のこと見てみるといいわよ」


 そんな軽口を叩きつつ、俺は洗面台へと向かった。

 鏡で自分を見ろってなんの事だと思ったが、鏡に映った自分を見てすぐにその意味が分かった。



「これは所謂……キスマークだよ、な……」


 鏡に映る自分の姿を確認してみると、首元が赤く染まっている事にすぐ気が付いた。

 どうみても虫刺されとかには見えないし、これはあのキスマークというやつと見て恐らく間違いないだろう。

 その上で、思い当たることがあるとすればたった一つ。


 ――昨晩寝てる間に、しーちゃんに付けられたってことだよ、な


 そう思うと、途端に鏡に映る自分の顔が赤く染まっていくのが分かった。

 まさか寝ている間にこんな事をされているだなんて思わなかったし、それに気付けなかった自分を悔やんだ。


 それにしても、さっき歯磨きをシャコシャコしながら無邪気に微笑んでいたしーちゃんが、昨晩寝ながらそんな事をしていたなんて思うだけで、なんて言うかもうそのギャップが凄すぎた。


 ちなみにこのあと、しーちゃんにこのキスマークについてそっと聞いてみたところ、少し頬を赤らめながら「つい、出来心で……」と白状しながらはにかんでいた。


 本当に、一緒にいるだけで色んな意味で飽きさせないというか何と言うか、そんなしーちゃんから俺は色んなモノを受け取っているのであった。



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