129話「昔話」
俺はしーちゃんのお母さんに案内され、リビングへとやってきた。
するとそこには、しーちゃんのお父さんと思われる大人の男性が一人座っていた。
「おかえり、紫音。それから、君が一条卓也くんだね。今日は遥々よく来てくれた。まぁ座ってくれ」
やはりその男性が、しーちゃんのお父さんだったようだ。
お母さん同様、まだ40代前半ぐらいだろうか、見た目は若くてカッコいい大人の男性というのが正直な最初の印象だった。
ぴしっと七三分けにした髪型をしており、厳しいような優しいようなどちらとも言えない顔をしていた。
ただやっぱり、見た目だけでも仕事は出来るんだろうなぁと感じさせられる程貫禄があった。
「あ、これその、つ、つまらないものですが宜しければ皆さんでどうぞ」
俺は全く慣れないながらも、持ってきた手土産の菓子折りを手渡す。
「あらあら、ご丁寧にどうも。まだ紫音と同い年なのに、しっかりしているのね」
「ありがとう。あとで頂くよ」
しかし、そんなたどたどしい俺の事は気にせず、気持ちよく受け取って貰えた事に俺は一安心した。
こうして、俺はしーちゃん、そしてしーちゃんのお父さんとお母さんの四人で一つのテーブルを囲んで座る事となった。
「それで紫音。この卓也くんと、今お付き合いしてるんだな?」
「うん、そうです」
お父さんからの質問に、しーちゃんはきっぱりとそう返事をしてくれた。
しーちゃんは一切の迷いなくそう言ってくれた事が、俺は嬉しかった。
だから俺も、ここで上手くやらないと駄目だよなともう一度自分に喝を入れ直した。
「……分かった。それは、卓也くんも当然同じなんですよね?」
「はい、お付き合いさせて頂いております!」
しーちゃんのお父さんは、今度は俺に話を振ってきたため、俺もしーちゃんに倣ってそうハッキリと答えた。
すると、しーちゃんのお父さんは一回頷くと、それからお母さんの方へ目配せをする。
その意図が伝わったのか、そのままお母さんは立ち上がりしーちゃんに声をかける。
「紫音、ちょっと向こうで手伝ってくれる?」
「え?でも今、大事な話を」
「いいから、さ、行きましょう。卓也くんはごゆっくりね♪」
戸惑うしーちゃんを他所に、そう言ってしーちゃんの手を引くお母さんは優しく微笑みながら、そのまましーちゃんを連れてこの部屋から出て行ってしまった。
こうして、いきなり俺はしーちゃんのお父さんと二人きりにされてしまったのであった。
一気に背中から変な汗が流れてきた俺だけど、ここで失敗するわけにはいかないと何とかちゃんとしようと気持ちを引き締めた。
「いきなり二人きりにさせて貰ってすまなかったね。そんな緊張しないでくれ。……そうだな、卓也くんには、ちょっと昔話を聞いて貰ってもいいかな?」
「む、昔話ですか?」
「そう、是非卓也くんには聞いて欲しいんだ。我々家族に関する、昔話を――」
そう言ってお父さんは、ゆっくりと思い出すように昔話を語り出した。
「紫音がまだ小さい頃はね、私も妻も仕事に追われていてね、とにかくがむしゃらに働いていたんだ。会社を経営するというのは中々大変でね、抱えた従業員、そしてビジネスパートナーの仕事、生活、なんなら人生を預かっているわけだからね。失敗するわけにはいかなかった。だから私は、まだ立ち上げ段階だった会社を軌道に乗せるため、休んでいる暇なんて正直無かったんだよ」
会社経営なんて当然した事の無い俺だけど、何となくその責任と大変さは分かった。
規模は小さいかもしれないが、バイト先の店長も、シフトを組んだり品入れ等々日々忙しくしているから、上に立つ仕事というのはそれだけの責任とか付き纏うのだろうと、まだ子供ながらに想像した。
「でもね、私も妻も超人ではない。ただの一人にやれる事なんて、所詮は限られているんだよ。その見積もりが甘かった私は、結局仕事を優先して、家庭の方には全然手が回っていなかった。そのせいで、夏休みなんかも私達は紫音と一緒に過ごしてやる事が出来ず、いつもおばあちゃんの家に預けていた程に、紫音に対しては親失格だと思っているぐらいに今では後悔をしているんだ……なんて、卓也くんが言われても困るよね」
お父さんは、そう言うと自虐的に笑っていた。
だからそれは、きっと本心なのだろう。
しーちゃんがおばあちゃん家にいたというのは、そういう背景があったんだなと思った俺は、なんて返事をしたら良いのか言葉が全く見つからなかった。
「すまないね、困らせてしまった。まぁそんな、あまりにも不甲斐ない私達のせいでね、紫音は自分の殻に閉じこもるような大人しい子に育ってしまったんだよ。その段階になって、私も妻もようやく自分達が至らなかった事を痛感させられてね……。それからは仕事も軌道に乗って、若干だが時間が取れるようになっていたんだけれど、残念ながら紫音に根付いてしまったその性格は私達ではどうする事も出来なかったんだ……」
そんな過去があったんだなと、俺はただ話を聞く事にした。
これはきっと、俺もちゃんと知っておくべき話だと思ったから――。
「でもね、小学生のある日、おばあちゃん家から帰ってきた紫音がまるで変わっていたんだ。私達は驚いて、何があったのか聞いてみると、向こうで素敵な男の子とお友達になったと紫音が嬉しそうに話をするんだよ。久々に見た紫音の本当の笑顔を前に、私も妻もあの時は陰で泣いてしまった程にあの時の事は本当に嬉しかった――。そして紫音は微笑みながらこう言ったんだ。『来年も、たっくんに会いたい』とね」
それを聞いて、俺も心を打たれた。
まさかしーちゃんにとって、あの時の出来事がそこまで影響していたなんて思わなかったし、何よりあのあと俺は逃げ出してしまったのだ。
そんないい方向に変わっていくしーちゃんとは逆に、情けない俺はあの時逃げ出してしまった事が本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった――。
「しかしね、その『たっくん』という男の子には、残念ながら次の年会う事は出来なかったようでね、紫音はとても落ち込んでいたよ。でもね、それでも紫音は以前の紫音では無かったんだ。それでもちゃんと前を向ける女の子になっていて、それから間もなくしてアイドルにまでなってしまったんだから、本当に驚いたよ」
そう言って娘の成長を嬉しそうに語るお父さんの表情は、紛れもなく娘の事を大事に思うパパの表情だった。
「……それから先は、皆の知っている通りだ。娘は日本一のアイドルにまで駆け上がってみせたかと思うと、今度はキッパリとアイドルを辞めて通いたい高校があるなんて言い出すから、最初はとても驚いたもんさ。だけど話を聞いて、私も妻も二つ返事でそれをオーケーしたよ。『わたし、アイドル辞めてたっくんと同じ高校へ行く』って言うんだからね」
我が娘ながら、大胆過ぎるだろ?と可笑しそうに笑うお父さんは、更に言葉を続ける。
「あの物静かだった紫音が、たっくんという少年に出会い、それからアイドルという貴重な経験も経た頃には、すっかり自主性を持ったしっかりとした子に育っていてね。私はそれが嬉しかった。それから、これは私事なのだがね、それまで家族のためだと言い訳しながら、家族を犠牲にして働いていた愚か者の私だけど、アイドルになった紫音はそんな私では追い付けない程のお金を稼いできたんだよ。その時私は、正直笑ってしまったよ。自分は今まで何をしていたんだってね。私の娘は、もう私なんかよりよっぽど凄い事を成し遂げていて、愚か者だった私を真っ向から否定してくれたんだよ。だから私は、そんな自慢の娘から今も多くの事を学ばせて貰っているし、私もちゃんと考え方を改めるようになったよ。そしたら不思議なものでね、がむしゃらに働いていた頃より今の方が事業も上手く回るようになっているんだ」
そう言って微笑むお父さんからは、もう最初に感じた厳しさとか緊張とか無くなっていた。
あぁ、やっぱりこの人はしーちゃんのお父さんなんだなと感じられたからだろう。
「おっと、長話してしまい申し訳なかったね。そんなわけで、一条卓也くん。いや、『たっくん』と呼んだ方がいいかな?――紫音と出会ってくれて、本当にありがとう。そして、これからもどうか、紫音のこと、よろしく頼みます。今のあの子は本当に幸せそうで、親バカかもしれないが、そんな娘を見ているだけで私達も幸せになれるんだ。それもこれも、君という存在が居てくれたからに他ならない。だから、ありがとう」
そう言って、お父さんは深く頭を下げたのであった。
だから俺は、慌てて頭を上げて下さいと伝える。
「ぼ、僕はその、何もしていないです。むしろ僕の方こそ、紫音さんから沢山の事を貰っています。先程、紫音さんを見つけてくれてとおっしゃいましたが、それは逆なんです。それまで何も無かった僕の方が、紫音さんに見つけて貰えたんです――。だからその、なんて言うか上手く言えませんが、その、こちらこそありがとうございます」
俺は自分でも、何を言っているのかよく分からなくなりながらも、感じてる感情のまま言葉にした。
そんなしーちゃんを、この世に生み落としてくれて本当にありがとうございますという気持ちでいっぱいだった。
「――ははは、そうか。君も良い子だな。これなら紫音も任せられそうだ――。よし、じゃあ今日は大晦日だ、話はここまでにして今日はゆっくりしていくといい」
こうしてお父さんとの昔話を終えると、俺はしーちゃんの実家でゆっくりさせて貰う事になった。
お父さんから大事な話を聞けたおかげで、俺は今よりもっとしーちゃんの事を大事にしようと思った。
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