122話「水族館」

 土曜日。


 俺はしーちゃんと一緒に、約束通り電車に乗って水族館までやってきた。



「着いたね!」

「そうだね」


 水族館の前に来たところで、しーちゃんは既にウキウキ状態だった。

 今日のしーちゃんは、ネイビーのドット柄フレンチワンピースの上から、ベージュのテーラードジャケットを肩にかけており、そんな秋冬コーデをしたしーちゃんは今日も言うまでもなくオシャレで可愛らしかった。



「それじゃ、行こっ!」


 そう言って、もう全く周囲の事なんて気にしないしーちゃんは嬉しそうに俺の腕に両手で抱きついてきた。

 だから俺も、そんなしーちゃんにくっつかれる喜びを感じつつ、周りを気にせず一緒に水族館を見て回る事にした。


 水族館の中に入ってみると、本当に多種多様な魚がおり、まさしくお魚天国だった。


 ぶっちゃけてしまえば、当然女の子とデートする上での知識も経験も無い俺は、デートと言えばという安直な理由で選んでしまったのがこの水族館なのだが、実際来てみると中々興味深かった。


 これまで見た事の無い魚や、小さくて可愛いクラゲなど、俺はしーちゃんと一緒にそんな海の神秘の数々を見て回るだけで楽しかった。



「見てたっくん!この魚変な顔だよ!」

「はは、本当だね、なんかおじさんみたいな顔してるな」


 たしかにと、隣で楽しそうに笑うしーちゃん。

 こうしてお互い先を急ぐわけでもなく、それぞれ感想を言い合いながらゆっくりと水槽を見て回る時間は、本当に楽しかったし幸せに溢れていた。


 今までちゃんとしたデートというデートはして来なかったように思うが、こうして一緒に遠出して二人だけの時間を過ごすというのは、中々に良いものだった。


 外にいるけど、二人だけの時間を共有しているんだという実感が、俺はたまらなく嬉しかったのだ――。



 こうして俺達は、水族館を一通り見て回ったところで、次は定番のイルカショー――には残念ながら行っていない。

 というか、この水族館ではそもそもやってはいなかった。


 そんな定番イベントを外しつつも、俺達は水族館を出て近くにあったカフェでちょっと休憩する事にした。

 何でも無いチェーン店のカフェなのだが、それでも初めて来た土地の初めて入るお店というだけで、なんだか特別感が感じられるのだから不思議だった。



「楽しかったね、お魚あんなにいるなんて思わなかったよ」

「本当にね、俺もビックリだったよ」


 そんな感想を言い合いながら一緒にお茶をするのも楽しかった。

 絶対に一人だったら来ることなんて無かっただろう水族館だけど、こうしてしーちゃんと一緒だと新たな発見がどんどん見つかる。

 俺はそれだけで、胸がいっぱいだった。


 大好きな彼女と一緒だと、こうも世界が変わって見えるのかという変化を実感した。



「まだ時間あるし、どーしよっか?」

「そうだね、今帰ってもちょっと早いかもね」


 ただ、流石に何時間も水族館にいる事は出来なかったため、まだ帰るには少し早いしどうしようかという話になった。


 俺はしーちゃんと一緒なら正直どこでも良かったのだが、それでは答えになっていないから一生懸命これから行く先を考える。



「あっ、わたし行ってみたい場所があるんだけど……」

「ん?どこかな?」

「えーっと、その、ネットカフェ……行ってみたいなって……」


 え?ネットカフェ?なんでまた?

 俺はそんなしーちゃんの行きたいと言う場所の意外性に、ちょっと驚いてしまった。



「い、いいけど、なんでまたネカフェ?」

「特に理由はないんだけど、どんなところかなーって」


 しーちゃんは視線を外しながら、露骨に嘘を付くような言い方で理由を教えてくれた。

 そんな今日も挙動不審で分かりやすいしーちゃんに、俺は思わず笑いそうになるのを堪えつつ返事をする。



「そっか、じゃあいいよ、行こうかネカフェに」

「いいの?やった!」


 一体しーちゃんが何を企んでいるのか知りたくなった俺は、何かを企んでいるのであろうしーちゃんを泳がせつつ、これからネカフェに行くことを承諾した。

 そんな俺の企み返しに気付く様子もないしーちゃんは、これから初めてのネカフェに行ける事に純粋に喜んでいた。




 ◇



 こうして俺達は、地元に戻ってネカフェへと入店した。


 本当によくある普通のネカフェのペアシートに入った俺達は、お互い気になる漫画とドリンクを手にしつつ個室へと入った。


 しかし、いざ二人で個室に入ってみると、分かってはいたけどやっぱり距離が近くてちょっとドキドキしてしまった。

 クッションにもたれながら漫画を読む事にしたのだが、この密室感としーちゃんから香る甘い良い香りに、正直全然漫画に集中出来ない自分がいた。


 それでも、隣を見るとしーちゃんは既に漫画の世界に没頭しているのか、楽しそうに漫画を読み進めていた。


 今しーちゃんが読んでいる漫画は、所謂甘々の恋愛ラブコメディー作品で、最初は色々あった主人公とヒロインが、次第にいちゃつくようになる内容のものだった。

 そんなラブコメ本当にあったらいいよなという程、それは本当に甘々で有名な作品だったりする。


 しーちゃんはその作品がずっと気になっていたようで、今日ここへ来たのもそれを読みたかったからなのかと思うとちょっと拍子抜けしてしまった。


 まぁでも、こうしてしーちゃんがまた新たな経験をして、隣で楽しそうにしてくれているのであればそれで良かった。



 それから俺達は、お互いにもたれ合いながら漫画を読み進めた。

 俺が読んでいるのは所謂異世界ファンタジー作品で、読み進めれば進める程カタルシスが得られる展開に、気が付いたら熱中してしまっていた。



「ふぁー、何だかちょっと眠たくなってきちゃった」


 それから暫く漫画を読んでいたところで、しーちゃんは伸びをしながら欠伸をしていた。

 しーちゃんの欠伸なんて初めて見たなと思いながら、俺も漫画を読む手を止めた。



「その漫画面白い?」

「うん、すっごく面白いよ、ヒロインの子が可愛いの」


 ニコリと微笑みながら、感想を教えてくれるしーちゃん。


 確かにその作品のヒロインは、俺から見ても可愛いと思う。

 でも正直、そんな創作上のヒロインより現実のしーちゃんの方がよっぽど可愛いよと思ってしまう。



「……ねぇたっくん、これ読んでたらね、なんだかたっくんともっとイチャイチャしたくなってきちゃった」

「そ、そっか」

「……だから、ね?ちょっと甘えてもいいかな?」


 ――え、なに今の……ヤバすぎないか……?


 頬を赤く染め、顔を近付けながらそんな事を言うしーちゃんに、俺は胸がドキッと大きく高鳴った。


 鬼に金棒、しーちゃんにラブコメ。

 そんな、ラブコメでヒロイン力を注入した今のしーちゃんの前では、最早全ての男性が虜にされてしまうに違いない程の可愛さと色気が全開だった。



「……い、いいけど、何するつもり?」

「……うん、今日はいっぱい歩いたから、ちょっと横になりたいなぁって思って」


 そう言ってしーちゃんは、なんと俺の太ももに自分の頭を乗せてきたのであった。


 俺の足の上に、しーちゃんの頭がある――。

 突然生まれたこの状況に、俺のドキドキは最早MAX状態であった。


 しかもしーちゃんは、俺のヘソの方に顔を向けており、そのあまりにも整いすぎたご尊顔が見下ろすとすぐそこにあるのだ。


 試しにそんなしーちゃんの頬っぺたを一回優しくつねってみると、目を閉じながらも「たっくんいちゃいよ」と微笑むしーちゃんは、もう本当に反則級に可愛かった――。


 もうそれだけでも十分過ぎる程ヤバイのだが、何より一番大変なのはしーちゃんのその頭の位置なのだが、その辺はわざわざ言葉にしなくても分かって貰えると思う――。


 こうして俺は、ネカフェという二人きりの密室の中、何故かしーちゃんを膝枕するという物凄い状況に陥ってしまったのであった――。


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