116話「お互いの一番」
「うぅ、じゃあもうわたしは帰るぅ……」
何故かまた泣き出した彩音さんは、そう言ってとぼとぼと部屋から出て行こうとする。
正直、こんなしょげている彩音さんは初めて見た。
そして帰り際、俺に向かって「絶対取り戻してやるんだから、覚悟しててよね」と意味深な言葉を残して帰っていった彩音さん。
だが、俺はその言葉の意味は正直よく分からなかった――なんて言えば当然嘘になる。
流石にもう、さっきのやり取り含めて彩音さんが何を言っているのかは俺でも分かってしまった。
でもまさか、これまで常に注目の的で何一つ不自由していなかったあの彩音さんが、俺の事なんてと思ってしまうのが正直なところである。
しかし、その次元の話をするのであれば、今も俺の隣で微笑んでいるしーちゃんが俺の彼女である事の方が、彩音さんの言う通り可笑しな状況に違いなかった。
だから俺は、もう相手に理由を求めるのではなくて、ちゃんと自分に自信を持てる人間になろうと思う。
なんで彩音さんが俺なんかをじゃなくて、もし本当に俺に対して彩音さんがそう思ってくれているのだとしたら、それに相応しい男であれるように努力する。
――うん、きっと俺に出来るのはそういう事なのだろう。
そう納得というか、俺がまた一つ決意したところで、隣のしーちゃんも俺の考えが分かったのか優しく微笑んでくれた。
「わたしも、負けないようにたっくんの一番であり続けないとだね」
そして、しーちゃんはしーちゃんでそんな事を言ってくれているのだから、俺はもう創作の世界のハーレム主人公みたいな事にならないようにしようと、そこだけはまた強く誓ったのであった――。
――大丈夫、いつだって俺の中ではしーちゃんが一番だよ
◇
彩音さんも帰り、ずっとリビングにいても父さんと母さんは急に現れた彼女でアイドルなしーちゃんに緊張して挙動不審が過ぎるので、時間も無いしそのまましーちゃんのご希望通り俺の部屋へと案内してあげる事にした。
ベッドと勉強机、それから小さいテーブルにテレビ、あとは多少の漫画に服を吊るしたラックぐらいしかないこの部屋。
同世代の男子の部屋に比べて良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景な部屋で申し訳ないけれど、一先ずクッションを差し出してテレビでも見る事にした。
明日は学校だしもう既に時間も遅いため、あんまり一緒にのんびりできないのが心苦しいのだけれど、せっかく来てくれたんだからしーちゃんには少しでも楽しんで行って貰いたいなと思った。
「わぁ、ここがたっくんの部屋なんだぁ」
俺にくっつくように隣に座ったしーちゃんは、本当に嬉しそうにぐるりと俺の部屋を見渡していた。
そして、しーちゃんの視線はある一点で止まった。
「あ、ポスター」
「あ、あはは、実はバイト先に置いてあったから貰ってきたんだよ。……これでいつもしーちゃんを見られるかなぁーって思いまして……」
「……う、うん、嬉しいよありがとう」
――ちょっと恥ずかしくて、お互い少し顔を赤く染めながら向き合う。
「あ、それにほら!つ、机の上にもグッズがあるね!」
「う、うん!おかげですっかり俺もしおりんファンだよあはは!」
勿論、その全ては俺の最推しであるしおりんのグッズオンリーである。
そんな、殺風景な分しおりんグッズがやたらと目立つ事に今気が付いた俺は、やっぱりちょっと恥ずかしくなってきた。
沢山あるわけではないが、自分のグッズが置いてあるとか、もしかして気持ち悪いとか思われたりしないだろうかと急に心配になってくる――。
だが、そんな心配もやっぱりただの杞憂で終わる。
しーちゃんは俺の正面に身体を向けると、そのまま満面な笑みを浮かべながらガバッと抱きついてきた。
「――じゃあたっくんは、わたしの一番大事なファンでもあるんだね」
「は、ははは、そうなる、かな?」
「そうだよ!よーしじゃあ今日は、そんなわたしの一番のファンでいてくれるたっくんには、沢山ファンサしちゃおうかなー♪」
そう言って悪戯な笑みを浮かべるしーちゃんは、ゆっくりと顔を近付けると、そのままそっとキスをしてきた――。
――え、なにこれ?なにこれなにこれなにこれっ!?ちょっとヤバすぎませんかっ!?
アイドルモードでイチャイチャしてくる事が、まさかこんなに破壊力があるとは思わなかった。
その凄まじい破壊力を前に、俺は一発でノックアウトされてしまった――。
自分の最推しのアイドルにこんな事されたらと想像するだけで、きっとみんなにもこのヤバさは分かって貰えると思う。うん、これは駄目なやつだ。
そんな、しーちゃんの新しいアプローチを前に簡単に撃沈してしまった俺は、もう気持ちが抑えられなくなってしまい、そのまましーちゃんを抱きしめ返した。
「も、勿論俺はアイドルのしーちゃんも好きだよ!でも、俺はなんていうか、しーちゃんだから大好きなんだ!そ、その事だけはなんていうか、分かって欲しいっていうか!」
「……うん、十分伝わってるから大丈夫だよ。ありがとね、たっくん……」
それから暫く抱き合った俺達は、もう一度ちゃんとキスをした――。
本当に、好きで好きで堪らないこの気持ちを、俺はこれからもずっと忘れずに大切にしようと思った――。
◇
早いものでもう22時半を回ってしまっていたため、俺はあまり遅くなると色々不味いだろうからしーちゃんを家まで送って行くことにした。
「ご、ごめんなさいね碌なおもてなしも出来なくて!まさかうちの卓也にこんなに可愛らしい彼女がいるなんて驚いちゃって……」
「そ、そうだな母さん!ぜ、是非今後とも、こんな息子だけど宜しくお願いしますね!また何時でも遊びにおいで」
帰宅するしーちゃんを見送る父さんと母さん。
相変らずまだ挙動不審だけど、気持ちはちゃんと伝わってきた。
それはしーちゃんにもちゃんと伝わったようで、微笑みながらペコリと頭を下げる。
「こちらこそ、こんな夜分遅くに急にお邪魔してしまい申し訳ありませんでした。また改めてご挨拶に伺いたいと思いますので、宜しくお願い致します」
そんな、やっぱり大人顔負けのしーちゃんによるしっかりとした挨拶に、またあわあわと挙動不審になる両親。
でももう時間も遅いため、そんな両親は置いておいて俺はしーちゃんを早く連れて行くことにした。
自転車を手で押しながら、俺はしーちゃんと一緒に来た道を戻る。
「良いご両親だったね」
「そ、そうかな?まぁ緊張してたけど、悪い親ではないと思ってるよ」
「うん、ちょっと憧れちゃうなって思って……」
そう言って、少し寂しそうな表情を浮かべるしーちゃん。
――そうか、しーちゃんのご両親は普段忙しいみたいだし、今もしーちゃんはずっと一人暮らしをしてるんだもんな……。
「――じゃあ、さ、また遊びにおいでよ。それから、また近いうちにしーちゃん家に遊びに行ってもいいかな?」
「えっ?――うん、ありがとう。えへへ、嬉しいなぁ……大好き……」
俺の言いたい事が伝わったのか、しーちゃんは嬉しそうに微笑んでくれた。
それからしーちゃんは、自転車を引く俺の腕にそっと身を寄せてきた。
「じゃあ、そろそろ定期試験もあるし、さくちゃんと山本くんも呼んでうちで勉強会しない?」
「うん、いいね、しーちゃんが良いなら是非!」
こうして、そろそろやってくる定期試験に向けてまた勉強会を開く事を約束しながら、俺はしーちゃんをちゃんと家まで送り届けた。
そして帰り道、俺は一人自転車を漕ぎながら、これからは学校だけじゃなくてもっとしーちゃんと一緒の時間を作って行こうと思った。
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