106話「甘えたい」

 ドタドタドタ――バタンッ!



「たっくん!みみみ見た!?」


 病人だというのに、向かったはずのトイレにも行かずドタドタと早歩きで戻ってきたしーちゃんは、勢い良く部屋の扉を開くと、風邪のせいか、それとも単純に恥ずかしがっているせいか、顔を真っ赤にしながら慌てて俺に確認するように質問してきた。


 しかし、その突然投げかけられた質問には残念ながら主語が無く、一体何の事を言っているのかさっぱり分からなかった俺は、そんな慌てるしーちゃんに向かって平然と返事をする。




「はい、見ましたごめんなさい」



 迷いなく、すっと頭を下げる俺。


 こういうのは、誤魔化すだけ相手に失礼というものだ。

 見てしまったのだから、ここは謝るのが礼儀だろうと思った俺は、素直に答えて素直に謝罪した。



「いや、わ、わたしが干しっぱなしにしてたせいだから……あうぅ……」


 そんな素直な俺を前に、しーちゃんはそれ以上何も言えなくなった様子で恥ずかしそうに俯いてしまった。


 だから俺は、そんな恥ずかしがるしーちゃんを助けるため、優しく話しかける。



「しーちゃん、それよりトイレは大丈夫?」

「あっ、そうだった!」


 俺の言葉にはっとしたしーちゃんは、慌ててトイレへ向かってまた駆け出して行った。

 本当に、病人だと言うのになんだか普段より元気な様子のしーちゃんに、俺は思わずクスッと笑ってしまった。


 でも今はまだ薬が効いてるだけで、そんなにすぐに風邪が治ったりはしないから、またゆっくり休んで貰わないとだなと思いつつ、とりあえずする事の無い俺はしーちゃんのベッドを整えてあげる事にした。


 捲れた掛け布団を掴むと、そこにはまだしーちゃんの温もりが残っていた。

 そんな小さな事でもまたドキドキしてしまう程度には、やっぱり俺はしーちゃんの事が本当に大好きなんだなと実感した。



 何気なく部屋を見渡すと、部屋にはベッドの他にテレビと勉強机、それから敷かれた茶色のラグの上には小さめの黒いテーブルが置かれており、紛れも無くここはこの間あかりんとYUIちゃんがいたあの部屋だった。


 この部屋で、しーちゃんだけじゃなく、現役の超が付く程の有名人であるあかりんとYUIちゃんの二人が居たんだなと思うと、やっぱりとても不思議な感じがした。


 という事は、このベッドのこの角度でしーちゃんが寝てたから、ここにあかりんとYUIちゃんが立って自撮りしたのか……なんて、する事の無い俺は名探偵ばりに当時の光景を思い描いて一人で楽しんでいた。



「ご、ごめんなさい、取り乱してしまいました……」


 そうこうしていると、トイレを済ませたしーちゃんが謝罪しながら部屋へと戻ってきた。


 トイレと共に気持ちもすっきりしたのか、すっかり落ち着いた様子のしーちゃんはゆっくりとこちらへ歩み寄ってくると、そのまま再び休むためにベッドの上へと――行かなかった。


 置かれたクッションを一つ掴むと、それを俺のすぐ隣に置いて、そのまま隣に座ってくるしーちゃん。


 シャンプーの香りだろうか、隣に座るしーちゃんからは甘くて良い香りが漂ってきた。


 そしてしーちゃんは、そのままそっと自分の頭を俺の肩へと預けてくる。



「……たっくん、今日は助けてくれてありがとう」

「……うん、とりあえず無事で本当に良かったよ」


 お互い身を寄せ合いながら言葉を交わす。

 本当に無事で良かったと思いながら、俺はすぐ隣にいるしーちゃんの体温を感じた。



「……たっくん、大好き」

「……俺も大好きだよ、しーちゃん」


 そう言葉を交わし合った俺達は、鼻と鼻がくっつきそうな距離でお互いの顔を見つめ合う。




 そしてそのまま――ちょっと久しぶりのキスを交わした――。



「……あ、ごめんねたっくん、風邪移っちゃったらどうしよう……」

「しーちゃんの風邪なら、喜んで貰うよ」

「それはわたしが困るからダメだよ……だから、返して貰わないとね」


 そう言って、しーちゃんは俺の肩に両手を回しながら、再び俺の唇に自分の唇をそっと重ねてきた。




「……えへへ、回収完了」

「それは良かった……」


 鼻と鼻をくっつけながら、二人で微笑み合う。


 そんな甘いやり取りを暫く続けたあと、俺はまだ風邪が治っていないしーちゃんを再びベッドで横にならせて休ませる事にした。


 時計を見ると、早いものでもう16時を回っていた。


 本当は今日一日、一緒に買い物へ行く予定だったから他の予定は入れていないのだが、俺はこれからどうすべきかを悩んでいた。


 元気になったとは言え、病人のしーちゃんをまた一人にはさせたくは無い。

 しかし、まだ高校生の自分達が、一つ屋根の下一夜を共にするのは大丈夫なんだろうかという迷いが俺の中で生まれていた。



「……ねぇ、たっくん」

「ん?どうした?」


 そんな悩んでいる俺に、ベッドで横になったしーちゃんが何かを決意したような声色で話しかけてきた。



「今日は甘えてもいいかな?」

「甘える?うん、いいよ」


「――じゃあ、ね。もし平気ならでいいんだけど……今日、たっくんが良いなら泊っていって、欲しいなって」


 しーちゃんから恥ずかしそうに告げられたその言葉は、たった今俺が抱えていた悩みを一気に解消する一言だった――。


 俺はしーちゃんをほっとけない、そしてしーちゃんも俺に泊まって行って欲しい――。


 だったらもう、俺の答えは一つだった。



「――うん、今日は一日付きっ切りで看病させて貰うよ」


 大丈夫、俺がしっかりと節度を守ればいいだけの話だ。


 そんな事より俺は、やっぱり今の弱っているしーちゃんを一人になんて絶対にしたくなかった。


 そう決意した俺は、しーちゃんを安心させるように優しく微笑みながら泊まっていくと返事をした。



「えへへ、やった。じゃあ今日は、いっぱいたっくんに甘えちゃうから覚悟してね?」

「はいはい、その代わり早く風邪治すんだよ」


 嬉しそうに、はーいと返事をするしーちゃん。


 こうして俺は、引き続き今日は一日しーちゃんの看病に専念する事となったのであった――。


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