72話「初めて」

 俺は隣に座るしーちゃんと一緒に、次々に打ち上がる花火を眺めた。


 その間、ずっと繋がれた手から伝わってくる温もりは、夏なのにとても温かかった。


 そして、夜風に乗ってしーちゃんから香る柑橘系の甘い香りを感じながら、俺はこの時がずっと続けば良いのにと思った。



「綺麗だね……」


 その声に振り向くと、優しい笑みを浮かべたしーちゃんの横顔が花火の明かりに照らされていた。



「……そうだね、本当に綺麗だ……」


 無意識に出てしまった俺のその言葉に、少し驚いたようにしーちゃんは俺の顔を振り向いた。


 そして、二人の目と目が重なり合う。


 上がり続ける花火の音が、鼓動と合わさり俺の胸を跳ね上がらせる。



「あ、その、えっと……」

「……うん」


 変な間が生まれた。

 何か話さなきゃと思うけど、上手く言葉にならない。



 無言のまま、俺は頬を赤く染めたしーちゃんの顔から目が離せなくなる。


 そして俺は、その美しい瞳に次第に引き寄せられていく。



 それはしーちゃんも同じだった。


 徐々に近付く二人の顔――




 ――そして俺達は、初めてのキスを交わした。



 しーちゃんの柔らかい唇が、俺の唇と重なる。

 緊張しているのか、少し震えているのが伝わってきた。


 その事に気付いた俺は、慌ててしーちゃんの肩を掴んで引き離すと「ごめん!」と一言謝る。


 そんな、いきなりキスをしてしまった事を慌てて謝る俺に、しーちゃんは恥ずかしそうにしながらも優しく微笑んだ。



「謝ることじゃないよ。初めてだったから緊張しただけで、その……嬉しかった、から……」

「そ、そっか……」


 そして、お互い顔を真っ赤にしながら再び見つめ合う二人。



「……ねぇ、もう一回、しよ?」

「う、うん……」


 しーちゃんのその言葉で、俺達はもう一度唇を重ね合った。


 もう緊張は解けたのか、今度はその唇は震えてはいなかった。



「……恥ずかしいね」

「……だね」


 そう言って、俺達は笑い合った。


 初めてのキスの味なんて言葉があるが、俺達の初めてのキスの味は、さっき食べた出店のたこ焼きの香りがした。


 それもなんだか俺達らしくて、笑えてきた。




 ◇



 帰り道、俺はしーちゃんと手を繋ぎながら駅へと向かった。



「綺麗だったね、たっくん」

「そうだね、来年も一緒に見よう」

「うん!」


 楽しみだなぁと微笑むしーちゃんに、俺も自然と笑みが零れる。


 次はちゃんと、現地へ行って一緒に回れたらいいなと思った。


 そして、何故帰り道は早く感じるのだろうか。

 あっという間に駅へと着いてしまった俺達。



「……じゃあ」

「うん……」


 そんな一言を交わすと、しーちゃんは手を振りながら去っていく。



「あ、しーちゃんちょっと待って!」


 でも俺は、なんだかまだ離れたくはなかった。

 それから、どうしても伝えたい事もあってしーちゃんを引き留めた。



「……もうちょっと、話していってもいいかな?」

「……うん、わたしも実はそんな気分だったの」


 恥ずかしそうに微笑むしーちゃん。

 こうして俺達は、前に話をした駅のベンチへと腰掛けた。





「で、話、なんだけどさ……」


 早速俺は、話を切り出した。

 どうしてもしーちゃんに伝えたい事を。



「その、いつもありがとう」

「え?」


 突然の俺の言葉に、驚くしーちゃん。



「あの頃、しーちゃんと一緒に花火を見た時さ、きっとしーちゃんは最後に俺にさよならを言おうとしてたと思うんだ。だけど俺は、しーちゃんの言葉から逃げるように帰っちゃったよね。その結果、あの夏以降しーちゃんと会う事は無くなっちゃってさ。だけど、しーちゃんは俺に見つけて貰う為にアイドルになって、それからこんな俺のところに再びこうして現れてくれた。アイドルまで辞めちゃってさ。だから、なんて言うかその事も含めて全部にありがとう」


 俺は、これまで思っていた事をちゃんと言葉で伝えた。

 この夏、俺はしーちゃんを楽しませると思っていたけど、思い返せばいつもしーちゃんから貰ってばっかりだった。


 だから、その事全てに対してちゃんとありがとうを伝えたかった。


 そんな急な俺からのありがとうに、しーちゃんは目を大きく見開きながら驚いていた。


 そして一度ふっと微笑むと、今度はしーちゃんから話してくれた。



「違うよたっくん。あの時わたしは、さようならを言おうとしたんじゃないよ」

「え?」


 しーちゃんの言葉に、今度は俺が驚いた。



「また来年、絶対戻ってくるからねって言おうと思ってたんだよ」


 そう言って微笑むしーちゃんに、俺は目を奪われてしまった。


 そっか、そうだったんだね。

 しーちゃんも、俺と同じだったんだ。


 あの頃の俺にもっと勇気があれば、もっと早く一緒になれていたのかもしれない。

 そう思うと、俺は嬉しさと同時に申し訳なさがこみ上げてきた。



「それにね、アイドルになったのも辞めたのも、全部わたしの意思だよ。わたしがそうしたいから、そうしただけ。だから、たっくんが気にすることじゃないよ」



 そう言ってしーちゃんは微笑むと、言葉を続けた。



「だからね、わたしの方こそいつもありがとうだよ。たっくんが居てくれるから、わたしはこの夏休みも毎日楽しく過ごす事が出来たし、沢山の幸せを貰ってるから」


 しーちゃんのその言葉は、とてもこそばゆかった。

 この夏、絶対にしーちゃんを楽しませたいという願いが叶っていた事が分かって、俺はとても嬉しかった。



「じゃあ」

「うん」


「「これからもよろしく」」


 俺達は、見事に言葉がシンクロした。


 それがなんだか可笑しすぎて、プッと吹き出しながら俺達は笑い合った。



 花火大会も終わり、もうじき夏が終わろうとしているけれど、俺達はもう離れる事はないんだ。


 だから俺達の恋は、まだまだこれからなんだ。


 それはきっと、しーちゃんも同じ気持ちなのだろう。

 俺達は見つめ合うと、自然にお互いの顔が近付いていく――


 ――そして、そのままそっとお互いの唇を重ね合った。


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