56話「3か条」
いよいよ始まった夏休み。
俺はこの夏休み、色々とやりたい事が正直山積みになっている。
その中でも、やっぱり一番はしーちゃんとのこれからについてだ。
三枝さんが小さい頃公園で毎日のように遊んでいたしーちゃんだと分かり、あの時出来なかった約束を今年の夏こそ叶えたい。
そして、やっぱりあの頃から変わってなんていなかった自分の気持ちをちゃんと伝えたい。
そう決心している俺は、今年の夏『しーちゃんに相応しい男になるための3か条』を掲げる事にしたのだ。
1つ。
自分に自信を持て。
そのためにも、まずは恥ずかしくない行動を常に心掛け、胸を張ってしーちゃんの隣に立てる男になるべし!
2つ。
勉学を怠るな。
しーちゃんのようにとはいかなくとも、少なくとも学年上位を常にキープし、その差を少しでも埋めるべし!(そしてあわよくば、将来同じ大学に進学すべし!)
3つ。
容姿に気を使え。
しーちゃんは可愛いだけじゃない、普段から常にオシャレだ。
それに、何かイベントがあればナチュラルな感じでしっかりとお化粧もしてくるぐらい抜かりない。
そんなしーちゃんの隣に立てる男になりたいのならば、男の俺もちゃんと容姿に気を使うべし!
まぁ、他の人から見たら『当たり前じゃん?』というレベルの3か条なのかもしれない。
でも、そんなもしかしたら当たり前な事すらもまだまだだと思える自分だからこそ、今年の夏はこの3か条を常に胸に抱きながら行動する事に決めているのだ。
もしかしたら、いや、きっともしかしなくてもこんな程度で追いつける程簡単な道ではないのかもしれないけど、少なくとも行動しなければ前には進めないし、何か行動していなければネガティブな思考が常に付き纏ってしまうのだ。
だから俺は、今日からこの3か条を基に全力で自己改善に取り組む事に決めた。
じゃあ何から始めるのかって?それは勿論、まずは形から入るべきだろう。
◇
俺は午前中のうちに家を出て、それから電車に乗り込んだ。
目的地は地元から結構離れているため、俺はイヤホンで曲を聞きながら気長に移動していた。
イヤホンから流れる音楽は、勿論エンジェルガールズだ。
しーちゃんのキレイな歌声は、いつ聞いても本当に胸が洗われるというか癒されるというか、とにかく声だけでも可愛かった。
それから、DDGの曲も外せない。
YUIちゃんの歌声はパワフルで、聞いているだけで心を揺さぶられるような熱い気持ちになる。
そんな、しーちゃんとYUIちゃん。
それぞれタイプは真逆とも言える二人だけど、どちらも本当に第一線で活躍しているのも頷ける素敵な歌唱力だった。
しかし、そんな二人と昨日は一緒にファミレスに居たんだなと思うと、我ながらとんでもない状況だったよなと一人なのにちょっと思い出し笑いをしてしまった。
しーちゃんには消してって言われたけど、やっぱり保存しておいた昨日送られてきた写真を開く。
そこには、楽しそうに微笑むあかりんとYUIちゃんの姿があり、そしてその中心にはスヤスヤ眠っているしーちゃんの姿が写っている。
やっぱりこの写真の持つ破壊力は凄まじく、色んな情報が詰まり過ぎたこの写真をこんな公共の場で見るべきではないなと俺はそっと閉じた。
まぁ一つ言えることがあるとすれば、しーちゃんの寝顔はやっぱり最強に可愛かった。
◇
ようやく目的地の駅に到着した俺は、電車を降りた。
ずっと座ってたから、腰とお尻が少し痛い。
そしてそのまま、人混みを掻い潜りながら俺は目的地を目指して歩き続けた。
そうしてようやく到着したのは、やっぱり自分が足を運ぶにはちょっとオシャレ過ぎる気がするとあるお店の前だった。
でも、俺は変わると心に決めているんだ。
自分には不相応と思ってしまうなら、そう思わないような自分になれと、俺はやっぱりちょっと緊張する気持ちをぐっと抑えながら覚悟を決めて店の扉を開けた。
「いらっしゃーい。あら?あらあら、あなた紫音ちゃんのお友達の」
「一条です。お、お久しぶりです!」
そう、俺は今日3か条の3つ目の条件を満たすべく、まずは形から入ろうとケンちゃんのお店へと夏服を買いにやって来たのである。
別にこれまで、ファッションに対して気を抜いてきたわけではない。
でも俺は、ケンちゃんのコーディネートのおかげで今まで着なかったようなワンランク上のオシャレが出来るようになったし、初心者ならしっかりとまずは有識者に教えて貰う事の大切さをあの時学んだのだ。
だからまさか、服を買うためだけに電車で一時間以上揺られるなんて、ちょっと前の自分なら全くもって信じられない事だよなと思うと、既に俺自身しーちゃんのおかげで色々変わっている事に気が付いた。
「今日は一人?」
「は、はい。これから夏なので、新しい服が欲しいなと思いまして……」
すると、ケンちゃんは顎髭を摩りながら「ふ~ん、なるほどね」とニヤニヤ笑っていた。
な、何がなるほどなんだろうか……。
「いいわ、こっちへいらっしゃい」
「は、はい」
こうして俺は、この前みたいにケンちゃんに色々と夏服を見繕ってもらった。
やっぱり流石はケンちゃんというか、俺の持っている服とかを聞きながら色々と着回しできるようなアイテムを説明交えて選んでくれて、まだ学生である自分のお財布事情を考慮して最小限の出費で最大限のオシャレを出来るように提案してくれた。
最初はマネキンと化していた俺だけど、色々と試着しているうちに俺自身ファッションってものが段々と楽しくなってきていた。
鏡に映る自分は、同じ自分のはずなのに街中で見るオシャレ男子になっているようで、それはまるで変身でもしているような気持ちにすらなった。
柄とか主張の強い服でも、ファッションコーディネーターであるケンちゃんの手にかかればすっきりと着れてしまうのだから、なんだかちょっとした魔法のようでもあった。
そして俺は、ケンちゃんのおかげでこの夏着回しの効くTシャツやハーフパンツなどを購入する事ができた。
「これでたっくんも、そこいらの男になんて負けないぐらいの色男よ。自信持ちなさい」
お会計をしながら、ケンちゃんはニヤリと笑いながら俺に向かってウインクしてきた。
ただのお世辞だとしても、プロのファッションコーディネーターであるケンちゃんに言われるのは正直めちゃくちゃ嬉しかった。
ちなみに、ケンちゃんはしーちゃんと稀に連絡も取りあう事があるようで、俺がしーちゃんに『たっくん』と呼ばれている事は既にバレてしまっていた。
「それでたっくんは、これからどうするの?」
「え、これからって?」
「紫音ちゃんとの事よ」
ずばり確信を突いてくるケンちゃん。
やっぱりケンちゃんは全てお見通しのようだったから、俺は素直に思っている事を相談してみる事にした。
ケンちゃんなら信用できるし、なによりいい答えをくれるような気がして。
◇
「なるほど、ね。それでたっくんは、この夏告白をするつもりだと」
「は、はい……」
「うん、いいんじゃない?なんだか青春って感じで、わたしもその頃に戻りたくなっちゃったわよ」
そう言って、「このこのぉ」と肘で俺の事をつっついてくるケンちゃん。
そっか、青春か……ちょっと前までは無縁だと思ってたけど、確かに俺は今青春してるのかもしれないなって思った。
もっとも、相手が元国民的アイドルのしーちゃんっていう、大分特殊な青春ではあるのだけれど。
「正直わたしからしたら結果は想像ついちゃうんだけどね。そうだ、たっくんこの後時間ある?」
「え?あ、はい。今日はケンちゃんの所で服買ったら、あとは適当にブラブラして帰ろうかなと思っていたので暇ですけど……?」
俺の返事を聞いたケンちゃんは、満足そうに一回頷き、それから誰かと電話して何かを確認するとすぐにその電話を切った。
「じゃあそうね、このTシャツは今回サービスでたっくんにプレゼントしてあげるわ。で、この浮いたお金で、これからわたしのお友達の美容師ちゃん紹介してあげるから、今からそこ行ってサッパリしてきなさい」
「え!?いやいや、悪いですよっ!」
「いいの、これはわたしからのただのお節介だから。可愛い可愛い紫音ちゃんと、一生懸命頑張ろうとするたっくんをちょっとだけ応援させて頂戴なっ」
断る俺を、いいのいいのと流すケンちゃんはそのまま会計を済ませてしまうと、おつりと服をどうぞと手渡してくれた。
そして、
「じゃ、店近くだから受付まで案内するわ、ついてらっしゃい」
こうして俺は、ケンちゃんに連れられるまま大都会の美容室へと向かう事になってしまった。
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