46話「あの夏」

 弁当を食べ終えた俺達は、それからも暫くベンチに腰を掛けながら他愛ない話を楽しんだ。


 相変わらず、楽しそうに走り回っている子供達の元気な声が聞こえてくる。



「懐かしいなぁ……」


 そんな光景を見ながら、三枝さんは小さく呟いた。



「気になってたんだけど、しーちゃんは以前もここに来た事があるんだね?」


 そんな三枝さんに、俺はついに質問した。

 なんで三枝さんが、この公園を懐かしいと言っているのかについて。



「わたしのおばあちゃんの家が、実はこの近くにあるんだ。家の都合もあって、夏休みになると小さい頃はほとんどおばあちゃんの家に遊びに来てたから、その時この公園にもよく来たことがあったの」

「なるほど」


 そうだったのか。

 近所におばあちゃん家があれば、そりゃこの公園にも遊びに来る事もあるだろうと俺は納得した。



「でもね、わたし小さい頃は今よりもっと地味で引っ込み思案でね、自分から人に話しかけられるような子じゃなかったんだ」


 信じられないでしょ?とちょっと自虐的に笑う三枝さん。

 たしかに、今の明るくて活発な三枝さんを知っていれば正直信じられなかった。



「だからね、この公園に来ても当然余所者だし知り合いもいなかったわたしは、このベンチに座りながら楽しそうに遊んでる同年代の子達を眺める事しか出来なかったの。いいなぁ楽しそうだなぁーって思いながら、一人で本を読んでたの」


 懐かしそうに、そんな自分の思い出話をしてくれる三枝さん。


 そうか、当時の三枝さんはここで一人本を読んでいたのか……すると俺の中でも、また一つの記憶がよみがえってくる。



「でもそんな時ね、一人の男の子が声をかけてくれたの。『お前一人か?だったら一緒に遊ぶぞ!』ってね」


 そう話す三枝さんは、当時を思い出しているのだろう。

 その表情には、当時を懐かしむような優しい笑みが浮かんでいた。



「それからは、毎日のようにこの公園に来ては、色々とその子に遊びに連れていって貰ったの。近くの花火大会にも連れていって貰ったな……。そうして遊んでるうちに段々ね、引っ込み思案だったわたしはその子のおかげで素直になれたし、明るくなれたんだ」


 なるほど、それがきっかけで今の三枝さんのように明るくなったんだなと、俺はその話に聞き入った。



「一番決定的だったのは、その子がわたしに言ってくれたの。『お前、面白いし顔も可愛いんだから、もっと自分に自信持てよな』ってね。その言葉がわたしは本当に嬉しくて、わたしもその子みたいに成りたいって思ったの。その子はわたしにとっての、ヒーローだったんだ」


 そう楽しそうに話す三枝さんだったが、次の瞬間その楽しそうな表情はふっと悲しそうな表情に変わった。



「その年の夏は、その子と過ごせたおかげで本当に楽しかったの。人生で一番楽しかった。だからね、それからのわたしは家に帰ってからも色々と変わる努力をしたんだ。そしたらね、そのおかげで友達も沢山出来たの。だから、次の夏は変わったわたしを見せてその子を驚かせてやろうって、凄く会えるのを楽しみにしてたの。色々と報告したかったの。褒めて欲しかったの。……でも、次の年この公園に来ても、もうその子の姿は無かったんだ……」



 そう……だったんだね。


 でもそれは……違うんだ……。



「それから、何度この公園に来てももうその子には会えなくてね、結局わたしはその年の夏一度もその子に会うことが出来ずに家に帰ったの。それからちょっとした頃かな?偶然街でアイドル事務所にスカウトされてね、わたし思ったの。もしわたしがアイドルになって有名になったら、あの子にも見つけて貰えるんじゃないかって」


 そんな理由でアイドルになるなんて、可笑しいでしょ?と笑う三枝さん。


 でも俺は、笑えなかった。


 そして、そんな俺に改めて向き合った三枝さんは、一度深呼吸をしてから言葉を続ける。




「……だから、ね……ずっと会いたかったんだよ?たっくん……」



「そっか……三枝さんが、しーちゃんだったんだね……」



 そう俺が返事をすると、「うん、やっと会えた」と嬉しそうに微笑む三枝さん。


 そしてその綺麗な瞳からは、一粒の涙が溢れ落ちていた。





 ◇



 小学生の頃、俺はこの公園で一人の女の子と出会った。


 いつも一人でベンチに座って読書をするその子の事が気になった俺は、ある日思いきって一緒に遊ぼうと誘った。


 それからは、いつも引っ込み思案で暗かったその子の事を変えてやりたくて、俺はことある毎にその子の事を誘ってはあれこれ連れ回した。


 孝之達との鬼ごっこだったり、近所の駄菓子屋に連れてったり、いつもこの公園で会い、そしてこの公園で別れる日々を繰り返していた。


 そして、色々とその子を連れ回してるうちに、その子も段々と自分の思ってる事とかを話してくれるようになったのが俺は凄く嬉しくて、それからもこの公園で待ち合わせをしては毎日のように遊んでいた。



 そうして遊んでるうちに、気が付いたら俺はその子の事が好きになっていたんだ。



 ――紛れもない、それが俺の初恋だった。



 だから俺は、勇気を出して地元の花火大会にその子を誘った。


 でも俺は、家の都合で夏だけこの街に来ている事を既に聞いていたから、それ以上その子との距離を埋めることが出来ないでいた。


 その子と手を繋ぎながら、一緒に花火を見上げるのがあの頃の俺には精一杯だった。


 そして、花火大会も終わり夏の終わりが訪れようとする頃、夏が終われば家に帰らなければならない事を知っていた俺は、その子と一つの大事な約束をするために、その日もいつも通り公園を訪れた。


 しかし、いつもその子がやって来るはずのこのベンチに、その日は一度もその子が現れることは無かった。


 次の日も、その次の日も、この公園に、ベンチに、その子の姿はなかった。


 こんな事なら、連絡先とかおばあちゃん家がどこにあるのかとか聞いておけば良かったと思っても、全てが後の祭りだった。


 俺はここへ来れば夏休み中は必ず会えるものだと思っていたから、当時のまだ幼い俺はこんな事になるなんて思いもしなかったのだ。



 そして俺は、その子はもう家に帰ってしまった事を悟った。


 気持ちを伝える事も、したかった約束をする事も出来ないまま別れてしまった俺は、そのひと夏で初めての恋と失恋を経験したのであった。



 それからは、俺はこの公園に来るとその子の事を思い出してしまうから、来るのが少し怖くなってしまっていた。


 だから、俺はその夏以降この公園で遊ぶ事は無くなっていた。


 それから中学に上がると、孝之もバスケを始めたし、俺も中学時代は陸上部に所属していたから、もう公園で走り回って遊ぶ事なんてすっかり無くなってしまっていた。


 そうした日々の中で、俺の中でもその夏の思い出はゆっくりと過去のものになっていった。



 でも、今でもその事をふと思い出す事がある。

 俺はその度、俺の知らないどこかで、あの子が元気にしてくれてればいいなって思った。


 あの夏、引っ込み思案だったあの子も、夏が終わる頃には自分の意見をちゃんと口に出来る程明るくなっていたのだからきっと大丈夫だと、俺はそんな初恋の気持ちをそっと心の奥にしまってきた。


 もう二度と会うことはないであろうあの子の……


 しーちゃんの幸せを、俺はただ願う事しか出来ないでいた。




 ◇



「……どうかな?わたし、変わったでしょ?」


「……うん、とっても」



 涙を流しながらそう微笑む三枝さんに、俺も当時を思い出すように返事をした。



 ――本当に、とっても可愛くなったね、しーちゃん



 俺は、そんなすっかり大人になり、そして美少女に生まれ変わったしーちゃんを前に、心の時間を巻き戻した。


 そして俺は、しーちゃんとしたかった約束があった事を思い出す。


 だがそれは、俺の方から逃げ出して手放してしまった約束だ。


 でも、許されるなら、もう一度ちゃんと伝えたい。


 そして、今度こそその約束をちゃんと果たしたいんだ。


 そう決心した俺は、目の前で涙を流すしーちゃんにゆっくりと話しかける。



「あの時、俺はしーちゃんとしたかった約束があるんだ」


「……約束?」


「うん、それはね、次の夏も必ず会おうって。だからしーちゃん。あれから大分時間は経っちゃったけどさ……今年の夏は、また俺と色々遊んでくれるかな?」


 時間を巻き戻すように一言一言を噛み締めながら、俺はあの頃の気持ちで伝えた。


 するとしーちゃんは、両手で口を押さえながら驚き、それからニッコリと微笑んだ。



「うん、こちらこそ宜しくお願いします」



 その天使のような微笑みは、あの頃の幼いしーちゃんと重なって見えた。


 やっぱり、しーちゃんはしーちゃんだ。


 本当、今の今まで何で気付かなかったんだろうなと自分の節穴さに呆れたが、だからこそ俺は再びしーちゃんの事を好きになっちゃったんだなと納得した。



 こうして俺達は、あの頃と同じベンチに座りながら、今度こそ一緒にこの夏を楽しむ事を誓い合った。


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