6話「サイン」
金曜日の放課後。
俺は孝之と共に、駅前にあるアイドルグッズの専門店へとやってきた。
目的は勿論、土曜日のDDGのライブに持っていくグッズを買うためだ。
月曜日の昼休みに、孝之の希望で放課後グッズを買いに行くことに決まっていたのだが、放課後の予定を確かめ合うと俺はバイト、孝之は部活とそれぞれ予定があったため、お互い空いてるのは金曜日しかなくて結局ライブ前ギリギリの今日来る事になったのである。
店内に入ると、そこにはアイドルやバンド、芸能人なんかのファングッズがところ狭しと並べられていた。
土曜日のライブに合わせてか、入り口から少し進んだ所にDDGの特設コーナーが用意されていたため、飛び付いた孝之は早速色んなグッズを一生懸命選んでいた。
俺はまぁ、ついてきたものの正直グッズとかそういう物には興味が無かったから、とりあえず店内を見て回る事にした。
店内には、団扇やブロマイドなど、本当に様々なグッズが並べられていた。
数々のアイドルやバンドのグッズが並ぶ中、その中でも一際目立っていたのがレジ横に用意されたエンジェルガールズの特設コーナーだった。
三枝さんは卒業したが、エンジェルガールズ自体は今も尚国民的アイドルグループとして人気絶頂中のため、店内でも一番広いスペースをとって数々のグッズが並べられていた。
俺はそれらをなんとなく眺めていると、隣に何やら大きなショーケースが置かれている事に気が付いた。
俺は目的も無くショーケースの中も覗いてみると、そこには三枝さんのサイン付き生写真や団扇、Tシャツなどが一つ一つ丁寧に並べられていた。
あ、三枝さんだ!と思ったのも束の間、俺はその値段を見て驚いた。
ショーケース内には、同じくエンジェルガールズのメンバーのサイン付きグッズも色々並べられているのだが、三枝さんのだけどれも三倍以上の値段がついていたのだ。
「いらっしゃい。君、しおりんのファンかな?」
「え?いや、まぁ……ハハ」
三枝さんグッズの値段に驚いていると、それに気付いた店員さんが声をかけてきた。
『しおりん』というのは、三枝さんのアイドル時代の愛称だ。
名前が『紫音』だから『しおりん』。
「あのー、なんでしおりんのグッズだけこんな高いんですか?」
「それはね、卒業したしおりんのグッズはもう市場に出回ってる分が全てだから、現役メンバーに比べて希少価値が高いからだよ」
「え、でも卒業したアイドルにそんな需要あるんですか?」
そんな俺の純粋な疑問に、店員さんはいい質問だと言うようにニヤリと笑って答える。
「うん、普通はね、君の言う通り卒業したらグッズの価値も薄れていくもんだけどね、しおりんだけは特別なんだよ。年齢や人気の低迷を理由に辞めたんじゃなくて、人気絶頂の中突如姿を消してしまったしおりんは、アイドルファンの中では伝説のアイドルとして神格化されてるんだよ。だから、しおりんのグッズは安くなるどころか、今後も市場価値が上がる一方だね」
だから、これだけしおりんグッズを集めるのも本当に苦労したんだよと、自慢気に語る店員さん。
「へぇ、そうなんですね。あ、これ懐かしいなぁ」
そんな会話をしている俺と店員さんの背後から、突如女性が話しかけてきた。
その女性の姿を一目見て、石のように固まってしまった店員さん。
俺は、その声でそれが誰なのかすぐに分かった。
振り向くとそこには、同じクラスで隣の席に座り、そして元国民的アイドルグループ『エンジェルガールズ』でセンターをしていた『しおりん』こと三枝紫音がニコニコと微笑んでいた。
同じく学校帰りの三枝さんは一切変装しておらず、誰がどう見てもその姿は一目でしおりん本人だと分かった。
男性アイドルのグッズを物色していた女性客達までも、「ねぇ!あれしおりんじゃない?嘘!?」と遠巻きにヒソヒソ語りながらこちらを見てきていた。
「な、なんで三枝さんはここにいるの?」
「私も今度のDDGのライブ行くから、ペンライト買いに来たんだよ」
突然の三枝さんに驚いた俺は、なんでここにいるのかと問いかけた。
すると三枝さんは、手に持ったペンライトを軽く振りながら、ニコリと微笑み完璧なアイドルムーブで理由を答えてくれた。
――あれ?今日は挙動不審じゃない?
もしかして俺、変装してない三枝さんとまともに会話するのこれが初めてなのでは?
なんて思ってしまう程、今のちゃんと会話できる三枝さんに俺は内心とても驚いた。
「懐かしいなぁー。あ、この写真写り悪いからやだなー」
三枝さんは、ショーケースの物ではなく普通に売られているエンジェルガールズのグッズを見ながらアイドル時代を懐かしんでいた。
そして、満足したのか「これでいいかな」とエンジェルガールズのTシャツを一着手に取り、それをそのままペンライトと共にレジへと差し出した。
突然の三枝さんの登場に驚いていた店員さんだったが、なんとか正気を取り直してレジで精算をする。
しかし、レジを叩くその指がプルプルと震え、中々上手くいかない様子だった。
「し、しおりんなら無料でも……」
「駄目ですよ。私も一人のお客ですから、公平に精算して下さいね」
「は、はひぃ!」
三枝さんのアイドルスマイルに、店員さんは「また拝めるなんて」と顔を真っ赤にして喜んでいた。
凄い、これがアイドルモードの三枝さんの本領なのか。
今隣にいる三枝さんは、クラスメイトの三枝さんではなく、紛れもなくエンジェルガールズのしおりんだった。
「よ、4538円ですっ!」
「はい、じゃあ丁度です」
三枝さんは、財布からピッタリ金額を支払うと、「開けていいですか?」とたった今購入したTシャツをビニールカバーから取り出し、それから鞄から出した黒の油性ペンでそのままTシャツにサインを書き出した。
そして、
「は、はい!これ、一条くんにあげますっ!」
「え、俺に?なんで!?」
三枝さんは、相変わらずのアイドルムーブだったのだが、恥ずかしいのかその顔は真っ赤に染まっていた。
俺は訳も分からずそのTシャツを受けとると、三枝さんは「それじゃあ!」と一言残してそのまま足早に去って行ってしまった。
残された俺は、改めて渡されたTシャツに目をやる。
そこには、ショーケースにあるTシャツと同じサインが書かれていた。
生しおりんキター!とはしゃぐ店員さんから、そのTシャツ三万で譲ってくれないかと懇願されたが、一応今貰ったものだから譲るわけにはいかないと丁重に断っておいた。
そこへ、DDGのグッズを選び終えた孝之がようやくやってきたため、精算を済ませると俺達はそのまま店から出た。
「店員の様子可笑しかったけど、なんかあったのか?」
「あぁ、店員さん三枝さんのファンみたいなんだけどさ、さっき孝之が居ない間に三枝さん来てたんだよ」
「ウッソ!?マジで!?」
そりゃあーなるわけだと納得する孝之。
こうして、買い物を終えた俺達は帰りにラーメンを食って「また明日」と帰宅した。
◇
部屋で一人、俺は渡されたTシャツと向き合っていた。
白地に、エンジェルガールズのロゴがプリントされたとてもシンプルなTシャツ。
だが、正面右下にはしおりんの直筆サインが書かれている。
あの店では、一万円以上の価値がつけられていたこのTシャツ。
俺は、そんなTシャツを見ながら今日の出来事を思い出す。
――そもそも、なんでこれくれたんだ?
まず思い浮かぶのは、そもそも何故三枝さんは俺にこのTシャツをくれたのかだ。
理由が分からなすぎて、正直ラーメンを食べてる時もずっと気になっていた。
考えられるのは、店員さんの話だと三枝さんのサインには物凄く価値があるという事だから、たまたま居合わせたクラスメイトの俺にその場のノリでプレゼントしてくれたとかだろうか?
うん、まぁ深く考えても答えは出ないだろうから、そんなような理由だとして受け入れる事にしよう。
理由はともかくせっかく貰えたんだし、今度会ったらちゃんとお礼をしよう。
だからもう、それはいい。
それよりも俺は、もっととんでもない事に気が付いてしまったのだ。
それは――
――あの三枝さんが、普通に小銭出してた
そう、あの時は全く気にしなかったが、俺は三枝さんが財布から小銭を取り出す姿を初めて見たのだ。
頼むから、コンビニでも小銭出してくれないかな……と、俺は改めて三枝さんの謎行動に頭を抱えたのであった。
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