カクヨム甲子園は、ほんの一部でしかない

青キング(Aoking)

カクヨム甲子園は、ほんの一部でしかない

 今年のカクヨム甲子園も応募が締め切られました。

 応募された方はお疲れさまでした。

 そして、また明日からも頑張ろう。

  

 とはいえ。受賞しようがしまいが、カクヨム甲子園はあなたの人生の一ページでしかない。

 現在の一ページが尾を引いて、次の一ページを取りこぼすことがないよう、常に前を向こう。

 過去は変えられないから、未来を変えるために行動しよう。

 引退を賭けた一戦、というなら話は別だが、高校生の未来はまだ何十年もある。

 今を謳歌しつつも、少しは未来に意識を傾けよう。


 どんな道を選ぶかは君次第だが、近道に見えたのが茨だらけかもしれないし、迂回路の途中で未来の勝利を決定づける何かを得られるかもしれない。

 とくに作者が伝えたいのは、戦法を変えてみる、という方策だ。

 

 今まで得意にしてきた手法や技術を変えてしまうのは気が引けるかもしれない。けれど戦い方を変えることで、今までの手法や技術に誤りがあったことを知覚する。

 そうして別の戦法を経験した上で、もとの戦法に立ち帰った時、長所と長所が関連しあい目覚ましい成長を遂げている可能性もあり得る。

 

 自分自身、記憶術に触れてメモリースポーツの世界に飛び込んでから、カクヨム甲子園で受賞したぐらいの作家なんて大したことはない、と胸張って思えるようになりました。

 文学なんてものは万国共通じゃないし、カクヨム甲子園の受賞者の評価は、すべて日本人の日本国内だけの基準でしかない。

 日本語を理解できる外国人が読んだら、何が面白いんだい? と否定的な評価が返ってくるかもしれない。

 文学の評価ほど曖昧で揺るぎやすいものはない、と言っても過言ではないかもしれない。


 メモリースポーツでは僅少の言語の差はありつつも、トランプのスーツは共通だし、数字はユダヤ数字だし、画像は同一の物を覚えているし、時間の大きさに差はないし、使っている記憶術の本源は一緒だ。

 

 自分はウズベキスタンの選手とオンラインサイトで対戦したことがあります。

 英語が苦手なのでコミュニケーションに少し難がありましたが、文法無視の英語チャットでも勝ち負けはきちんと判定がつきます。

 小説のことだけ考えていたら味わえなかった経験でした。

 


 メモリースポーツの事を長々書いて、読者は作者はメモリースポーツの方が好きなんじゃないか、と思ったかもしれません。

 そんな疑問を持った読者に対する答えとして、自分はこう答えます。


 物書きとしての自分の今があるのは、メモリースポーツのおかげだから。


 なので、自分の目標は小説を通してメモリースポーツを日本に広めることです。

 海外ではかなり競技人口が多いですが、日本ではまだまだマイナースポーツの部類です。実際に、メモリースポーツ 小説 とネットで検索を掛けても、メモリースポーツを題材にした小説が自分の作品しかない、という悲しい事実があります。


 とにかく。メモリースポーツに限らず他分野に触れた経験が、天才と称賛される作家を超えるファクターになり得る、ということは覚えておいてもらいたい。

 だから、とりあえず前向いて明日も頑張ろう。

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