2.2.3  save point




 〝エルムヌ三兄弟ブラザーズ〟が生き捕らえたCitaWsシタゥーズを別室へ運んでいる間に、シバはシャワー室を借りていた。

 髪飾りを解いた長髪は水を吸い込み、肌にへばりつく。それを掻き上げながら、壁に備え付けたシャワーで洗い流す。ペタペタと足踏みする裸足にまで水は伝う。


 時間という概念がほとんどない「夜」だけの<世界セカイ>において、水を浴びる行為は元来不必要であった。前の所謂「勇者と魔王」の<世界セカイ>なんかはそもそもそういった施設を見かけたこともない。そこは生理現象が起きない概念であったからだ。

 簡単に言えば、RPGゲームにおけるトイレや風呂といった日常的な所作は省かれがちなものだ。あったとしても立ち寄れる程度のオブジェクトポイントで、そこがパラメータや進行に影響を及ぼすことはほとんどない。「勇者と魔王」の<世界セカイ>においてはそれと同じだった。食事は活力を得るためにあったのだろうが、数日間過ごしてもお腹が空くことはなかった。生理現象も一切起きず、結局最後まで活動し続けて彼の居城まで殴り込んだ。

 それに対してここの<世界セカイ>は、どうやら近未来という捉え方があるものの、生活としては日常を繰り返すものとなっている。とはいえ時間は夜で止まったままのため、一日という流れは存在しない。トイレは備え付けられているが、そこに座って用を足そうと思わない限りは特段必要としない。睡眠もベッドに横たわると取ることは可能だが、気力がなんとなく回復したかなと思う程度で日常的に繰り返さなきゃいけないわけでもない。


 それは別として、この身体に慣れてからというもの汗や臭いにはどこか過敏になっていた。動けば汗をかく。汗はどこか乾きが悪く、体に残ることが多い。ある程度の時間経過で自然と消えるようだ。だがしかしそれを良しとできない自分だと、しばらく生活していてわかってきた。設備はRRアールアールのアジト内にあり、誰も使用する気配がなかったため気兼ねなく利用していた。


「…………はあ」


 シャワーを止め、水浸しになった自分の全身姿が鏡に映る。

 勿論、最初は自分の容姿に困ったものだった。脳がバグると表現するべきだろうか。意思としては男だと認識していたが、鏡が現実を見せつけてくると嫌でも認めざるを得ない。散々活動してきて今更何をともなるが、記憶も不足しているため上書きしようにもどうもしっくりとこない。

 大きめのバスタオルを手に取り、長い髪から水分を拭き取っていく。服を手に取ろうとすると、端末デバイスに一件の通知があることがわかる。その内容は「話がある。モニタールームにて集合」と短い文章のみ。急ぎではないとわかったシバは適当なスタンプで返信しながらゆっくりと着替える。ドライヤーで髪を梳かし、ラックが作った乾燥機兼折り畳み機能付きの自動洗濯機に使用したタオルなどを放りこみ、在庫が有り余っていた保湿剤を肌に塗りこんでからそこを離れた。


 シャワー室から廊下に出れば見慣れた磁器タイルの廊下に差し当たる。RRアールアールのアジトは初めて出会った頃から変わらず利用しており、今のところ安全地帯であるということがわかっていた。CitaWsシタゥーズの管轄の外というだけで十二分に落ち着けるのだが、この<世界セカイ>にそんな都合のいい場所があることに初めは疑念があった。考えてみれば<世界セカイ>は転生者が最低限生きるためにいくつか施されている「前提」が設けられている。<世界セカイ>という箱庭は当然、<能力ノウリョク>を分け与えられているのだってある。都合が良い安息所があることは――ゲーム用語的に言えばレストスペースやセーブポイントが存在しても――問題ないということだろう。


 当然、この場所を最初に教えてくれたのはラックだ。正確に言うならば、記憶を改変される前のラックだ。それを今いる本人が知る由もない。彼は我が物顔で大部屋からRRアールアールの組織まで管理している。シバにも組織全体への指示ができないわけでもないが、しょうに合わないと判断して元の家主に任せていた。


「えらく急に呼び出すなんて珍しいな。かと言って緊急性があるわけでもなさそうだしよ。どうしたん?」


 セキュリティロックがかかったガラス扉を顔認証で開け、ゴーグルを首元に下ろしたままの大男に話しかける。ラックは部屋の中央にある大テーブルで何かを探すように目を動かしていた。街をホログラフィ化させたそれはこの<世界セカイ>のほとんどを映し出したもので、これも前世のラックが遺したものだ。いったいどのくらいの時間をかけて創り上げたのかは定かではないが、少なくともそのほとんどが正確性ある資料であることに間違いはなかった。


「……まずは、姐御の武器を返しやす」


 ラックは手元に置いていた一本の黒い棒を手渡す。両手で持ち上げているのは礼儀正しいわけではなく、見た目に反してずっしりと重たいせいだろう。

 それを難なく片手で受け取るシバ。くるりと一回転させると、それは元のハンマーヘッドのある姿へと変形した。彼の持ち主であるシバにとっては質量はほとんどないに等しい。


「一通り見てみやしたが、特に異常はなし。問題なく運用できるぜ」

「そいつはよかった。流石、【改造】の<能力ノウリョク>を持つだけあるな」


 それもラックの<能力ノウリョク>によるものだった。彼はありとあらゆるものを解体、再構築し最大限の性能を引き出す力を持っていた。シバのハンマーも例外なく可能であったというわけだ。


「――そいつぁシバの姐御に合わせて動きを変えることができやす。例えば、リーチを伸ばしたいと思ったならばその通りに振るえば柄が伸びていく。自分の身を守ってほしいと感じたならば、それは大楯にも成りうる。いったいどこで手に入れた代物か、どんな素材で作られたかさっぱり見当もつかない。しかしながら、パッと見ただけでも構造はわかりやす。他人の手が加えられていない自然さがあり、生命体が持つ組織構造のように複雑でもあり、機械のように規律を保ったまま精密でもある。正直、手に取った途端その構造体のあまりの美しさに恐れやした。ですが、それだけではありやしません。この武器――……正確に武器、と呼べるかも怪しいが――欠陥品、もしくは不完全体ですぜ。未完成品か、それとも何かの一部分か。このラック様がお教え出来るのはそこまでが限界だ。……とにかく、こいつぁ姐御の矛とも盾ともなるすごい性能を持っておりやすぜ」


 受け取ったときはそのようなことを言っていた。

 初めもシバは疑わしい部分もあった。だがラックの腕に嘘があるとは、この長い間一緒に過ごしてきてなおそう思えなかった。むしろ【改造】の力を否定することが難しくなっていた。だから、ラックに一度預けてみたのだ。

 事実それはシバの思う通りに動かすことができた。CitaWsシタゥーズの腕よりもリーチを伸ばして抑え、焼却光線が発射される寸前に積み重なって盾にもなった。いくらかは限界があるとはいえ、このハンマーが秘める可能性は大きく飛躍したのだ。


「デメリットもなし。ただ潜在された力があっただけ、か。俺もこのハンマーが何か、さっぱりわかってねえけどな。役に立ってくれるってんなら、これからも存分に振るってやるさ」

「それが良い。……あと、呼び出したのは別件もあってだな」


 ラックは少しだけ右にズレて、街を投影するテーブルの一部分を叩く。その場所が数倍に拡大され、その地区の情報が増える。


「例の件で、姐御に付き合ってほしい場所がある」

「へえ、今度はデートの誘いか? 懲りないやつだな」


 冗談混じりにからかいをかけると、目の前の大男は予想以上に焦った表情を浮かべる。


「ち、違う。そそそ、そんな意味でい、いみ、いっ――」

「……はいはい、悪かったって。いいから落ち着け。それって『月』に向かうために必要なこと、なんだろ?」


 ラックは『月』という単語を受け止めてから大きく咳払いをし、気を取り直しては頷いて肯定した。


その通りExactry。向かうべき場所はB23地区にある倉庫。ここにあるものを掻っ攫うのが目的だ」


 ミッドナイトタウンと呼ばれるここはいくつかのエリアに分かれて構成されていた。

 拠点としているここは総称としてE地区に区分される。CitaWsシタゥーズの目下から逃れやすい、云わば一番下級クラスとなる場所だ。整備が行き届いていないところがほとんどだが、むしろその方がこちらには都合が良いこともある。

 次いで近くにあるのがD地区とC地区。どちらもビル街に属する場所なのだが、この<世界セカイ>には生身の人がほとんどいないためヒューマロイドが蔓延るだけの場所となっている。

 あとはA地区とB地区だが、今回の目的となるB地区は主に生産工場があるエリアだ。CitaWsシタゥーズやそれに並ぶヒューマロイドが造られている場所だが、生産ラインともあり警備も行き届いており中を覗くだけでも結構厄介な場所とも言える。それよりもトップクラスに厳重な警戒をされているのがA地区だ。そこは上級社会とも呼べるような所で、ミッドナイトタウンの中心地とも言える。CitaWsシタゥーズ本社があるのがそこだと言えば何となく納得するだろう。


「ふうん、ね。そのB23地区には何があるんだ?」

「銃火器、CitaWsシタゥーズにおける実力行使に使われる焼却光線の元となるもの、火薬、花火庫。そういった武器の山だ」

「これまた物騒なとこだ。それらをまとめてぶっ飛ばすんか? 今必要なこととは思えねえがな」


 確かにCitaWsシタゥーズの戦力とも言える火器を潰す行為は無駄では無い。長い目で戦うことを考えれば大事なことだろう。

 だがしかしそれだけでCitaWsシタゥーズの数が減る訳でもない。そもそもそこだけを何とか攻撃出来たところで、生産ラインが止まるとも思えない。


 チッチッチッとラックは人差し指を振って否定する。


「あくまで目的は倉庫のブツを掻っ攫うことだ。事を荒らげずに済めば最も良いとさえ言える。要は、物資の強奪をする」

「デートを口実に強盗へと誘われるなんて初めてだな」


 ラック様も初めてだよ、と悪そうな顔で無邪気にも笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界転生の≫ぶっ≪壊し方 一於 @nishiti_14

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ