1.X.X  異世界の ぶっ壊し方



 ――*――*――*――




 ――……っ


 グワリと、空間に穴が広がる。


「ウルルァアア!!」


 聞き覚えのある叫び声。それと共に凄まじい破裂音が響き渡る。幻聴か。だがそれにしてはあまりにも真に迫りすぎている。ユーシャは反射的に顔を上げた。

 幻だったものが、破片となって飛び交う。透明なガラスの欠片のようなものが、幻想を打ち破った後に空中に漂っては散り消えていく。

 その合間を縫って一つの大きな質量が、黒髪の女神の背後へと襲い掛かっていた。

 黒髪の女神は避ける術もなく質量をその顔に受け止めた。


「なっ……!?」

『…………はぁ??』


 ユーシャの目の前の女神にとっても、その奇襲、それよりもその存在には驚きを隠せざるを得なかったようだ。

 白く纏まった長髪が宙に舞う。姿かたちは見慣れたものだ。しかし原型は残したままでも、全身の黒い服装が所々傷んでいた。さらに左半身部位は無くなっていた。代わりに露わになったのは素肌や爛れた肉ではなく、青緑色のスライム状に変色したボディラインであった。左目は侵食されており、残された右目だけ赤くギラつく。その瞳は憤怒か執念かに燃えているようだ。


 その攻撃は着実に黒髪の女神を狙ったものだ。

 変質したその姿は紛れもなく幻でもない、シバ本人であった。


 シバは空間に穿たれた穴から飛び出していた。黒髪の女神が姿を現したようなワープの扉にも似ているが、その穴はシバの半身と同様に青緑色のうねりで満たされていた。シバが飛び出てから、その穴はスッと何事も無かったかのように閉じられた。


『完全に魂の反応が消失したはず。更なる上は何故、人間如きが≪理≫の力を……!? 想定外、想定外。いいや、されど成り損ない。物理的冒涜では何も変わりはな……』

「――【ぶっ壊せ】っ!!」


 涸れた喉を全力で潰す声。

 黒髪の女神で止まっていたハンマーは徐々にめり込んでいく。相殺されていたであろうハンマーの方が勢力を増して押し出す。予想外の力なのか、黒髪の女神も訝しげにハンマーを見つめながら、さして何ら策を講じることもできず押し込まれた。

 寄りかかっていた玉座に黒髪の女神がメキメキと埋まっていく。女神本人は殴られていながらもダメージを負っている様子はない。剛体のようにハンマーと共に並行移動する。しかしながら椅子に座っていた<中核>、もとい国王はそれに巻き込まれてしまう。

 玉座が圧し潰されて変形する。勢いに押され姿勢を崩した黒髪の女神の頭はさらに押し込まれていく。顔の先には<中核>があり、ハンマーは黒髪の女神ごと<中核>をぶん殴った。<中核>は為すがままに姿勢を崩し、皮膚上に巡る文字列が先とは異なる動きを見せた。異常な速度でそれはぐるぐると回り、ふと、国王の姿から光が失われた。


「……っ。国王陛下!?」


 近くで黒髪の女神が仰向けに倒れるようにまで押し込まれると、<中核>だった光が飛び出しては衝撃を放った。

 あまりの眩しさに目を細める。衝撃波はユーシャの立つ大広間を越え、城全体に、国中にまで広がっていったようだった。波動のように感じたものの、吹き飛ばされるとか痛みを受けるといったものではない。


 ユーシャは咄嗟に椅子から崩れ落ちた国王を支えた。国王は<中核>を解き放ったようで光が失われており、元の姿に戻ったようだった。抱えた腕の中を覗き、安堵の溜息をつく間もなく、ユーシャはすぐに違和感を覚えた。


 元に戻った国王の姿。それにしてはあまりにも薄かった。

 ユーシャは周囲近辺を見渡す。目につく物として、転げていた伝説の剣があった。これも半透明となって、魔物が討伐されたように光の粒子が溢れ出ていた。ユーシャ自身の装備も同様であった。

 異常はここだけには留まらなかった。壁が撤去されたここからは王国の街並みが一望できる。ユーシャが視線を送ればそれらもどこか薄らいでおり、視力がおかしいのではと疑うのも無理なかった。眼を擦ろうが何も変わらない。己の手のひらもまた、微量な粒子が漏れ出ていた。


「ユーシャ、焦らんでいいぜ。勇者の物語は終わった。この<世界セカイ>は在るべき完結へと導かれる」

「シバ……。いったい何を……」


 やれやれとシバはハンマーを肩に掲げる。その身体もまたユーシャと同様な変容をしていた。そこにシバは微塵たりとも驚いていないようだった。


「ここはあんたの異世界ものがたりなんだ。ユーシャが魔王を斃した。そんで<設定セッテイ>が満了して、閉じられていく。ただそれだけだよ。俺はただ、この女神が弄っていた<世界セカイ>をぶっ壊しただけだ」

「それはつまり……私の旅が、ようやく終わったということか。……おまえという奴はなんて――」

『ニハハハハハハハッ!!』


 会話を切り裂くような笑い声。おそらくこの世界中にまで響き渡ったであろうその声の主は大の字になって転げていた。


『壊した、か。なるほど、なるほど。嗚呼……ッ。なんて、ことだ。……完敗だ。認めよう。認めざるを得ない。余興ゲームAエールートエンドでもCシールートエンドでもない。もっと別の、αアルファルートと表現したところか』


 殴られたという事実を余所に、黒髪の女神は仰向けの状態のままムクリと踵を基点に直立する。人ならざる者故の挙動。相変わらず無傷であるようだ。

 ユーシャの手から国王だった光の粒子が零れ落ちていく。それは光で包まれて霧散し、ついには国王の姿は消え去った。


『人間、転生者よ。彼の人間の言う通りだ。転生の契約は完了した。この<世界プボム>は閉じられる』

「閉じられる……」

「ちょっと待ちな。ユーシャはそうかもだが、俺はまだあんたに用事がある」


 シバは黒髪の女神へと向き直り「あんた、知ってんだろ」と指差すようにハンマーを突き出す。


「今殴ったのはユーシャの望みでチャラだ。俺の願い……ってほどじゃねえが聞いてくれや。ハッチはどうした? ここから移動した時にそっちについていったみたいだった。まさかわからねえとは言わせねえぞ。俺はまだハッチとの約束を果たしてないんでね。もう一神ひとり魔女神ダイズ野郎をぶん殴らなきゃいけねぇ」

『…………』


 不服そうに赤い目で睨みつける。しばらく互いにじっと見つめ合った後、黒髪の女神が痺れを切らしたようにそっと視線を外してわざとらしい大きな溜め息をついた。


『……一つだけ。これは朕からの慈悲だ。シバを名乗る人間よ。人間はまだ理解しきれていないようだ。追っていた……否、追われていたであろう彼奴きゃつの前にだ。本当にわかっているのかい? ≪理≫という存在を。共に過ごしたつもりかもしれぬが、今一度、それを見直す機会が必要ではないだろうか』

「時間稼ぎもほどほどにしてくれ。負けを認めながらズルズル引っ張るのは恰好が悪すぎるぜ」

『結論を急ぐでない。≪理≫の安否については、朕から言えることとしては心配無用だ。元来そういう存在なのだよ』

「落ち着け、シバ。なにやら訳ありのようだが、この者に攻撃は通じないのだろう。それに……私には、本当にこの者に敵意や嘘があるようには思えない。おまえをいきなり襲った私が言うのも躊躇われるが、敵意無き者には理由も曖昧なまま戦う理由は存在しないはずだ」

「……ったく」


 ユーシャに宥められシバは構えていたハンマーを地に降ろす。

 黒髪の女神はそのハンマーをじっと見つめ、そのまま持ち主へと目線を上げる。そして瞼をそっと閉じ、ゆっくりと後ろを振り返る。片腕を上げて、空を爪で引っ掻くように指を立てると、その空間に穴が切り裂かれた。穴は以前と同じく暗い闇の空景色を映し出していた。

 さっきハッチはこの次元の扉を見て移動していただろうか。今もいる可能性が高い。


『朕からの誘いは強制ではない。選択権は人間達にある。このまま転生の儀を進めるか、扉をくぐり別の異世界へと渡るか。なあに、自ずとこちらに来るしかあるまい。転生の場合は彼奴が行うことになろう。……尤も、もう一人の人間は転生とは関係無さそうだがね』


 黒髪の女神がユーシャを一瞥する。ユーシャには意図が伝わらないだろうが、シバはそうなのだと察した。


『……さァ、どうする? 人間達よ、時間はまだ多少あるが、この<世界プボム>を謳歌するにはかなり短いぞ。真実を求めるならば、朕は先に待っていよう』


 答えを聞くことも待たず、黒髪の女神は自ら開いた次元の扉に手を掛ける。チラリと一瞬だけこちらを視界に映して、その後は振り返ることなく真っ直ぐ歩いていった。穴は黒髪の女神を完全に飲み込み、その姿を消した。次元の扉がすぐに塞がれるような様子はない。若干だろうが猶予を与えられたと考えるのが順当だ。


 人……否、神が一神ひとり減るだけでここまで静かになるのだろうか。

 世界は徐々に光の粒子を撒き散らしていく。城外では一軒、また一軒と先の国王のように霧散した。ユーシャや仲間達、そしてシバの身体はまだ形を保ったままであった。


「シバ、なんだな。……申し訳ない。私は本当に殺めるつもりでいたうえ、そうしたのだと思い込んでいた」

「なあに、改まってよ。全然、気にしてないぜ。俺が死んだことで未練が生まれちまったら元も子もねえからな」


 魔王がいたであろう場所を見つめる。左半身が変質しながらも、無事に生き残ったのだとユーシャは理解した。

 その場で向き直りシバは「ユーシャ、こっからどうする?」と今後について相談を持ち掛ける。


「俺はハッチを助けに行かなきゃならねぇ。扉を潜り抜けるつもりだ。今度はユーシャがついてくるかどうかって話。選択は任せるぜ。個人的な問題を巻き込むわけにはいかない。勿論、断ってもいいが……」


 シバは頭をガリガリ掻いた後、思い切って誘いに手を差し出す。不慣れなのか少し恥ずかしくなってか、バツが悪そうに交わされた視線をそっと外した。


「……ああ、あんまこういうの俺は得意じゃねえんだ。――ぶっちゃけるが、もっと冒険をしたかったらこっちへと一緒に来るといいぜ」

「……ぷっははっ」


 つい笑みを零してしまうユーシャ。「何笑ってんだよ。来たいならそう言ってくれ」とシバは口を尖らせて小突くが、既にユーシャは決心していた。


「そうだな、すまない……改まってだが、誘ってくれたことには感謝する。私は、ずっと、ずっと続けてきた旅がようやく終着点にまで辿り着いた。シバの言葉を借りるならば、私は私の物語を終えたのだろう? 今、私はちょっと、ほんのちょっとだけ……疲れたんだ」

「そうか……。それがユーシャの決断なんだな」


 二度も確認することは愚問だろう。それがユーシャの選択なのだから。

 二人は自然と次元の扉へと向く。一人はそちらへと歩み寄り、一人はそれを見送らんとする。


「……もう、会うことはないだろうか」


 そっと、ユーシャがぼやく。ユーシャには何となく今生の別れのように感じていた。彼が何処へと向かうのかまで思いもよらない。彼には彼なりの旅路が残されているのだろう。そうだとユーシャは理解していた。


「さあな」


 シバは一言だけ、そう答えた。次元の扉に触れられる距離まで近づく。右手に持ったハンマーをぐるりと回し、肩に担いでから振り返る。


「……要らぬ心配だったな。シバ、行ってこい。そして、必ずや――目的を果たしてくるのだ」


 彼の者は常識も概念も破壊する。この先の旅路でもその能力ちからを生かしていくのだろう。逢いたいと願えば、知らず知らずのうちに叶っている。そんな風にユーシャは感じ取った。


 再度、二人は穿たれた次元の扉を見つめる。その先に広がるのは見慣れぬ世界。近くまで寄ったシバには一層、その迫力に魅入られてしまうだろう。

 そこはまるで常闇の『夜』のように、暗く深く、こちらを飲み込まんとしていた――。




 ――*――*――*――




「……行った、か」


 一神ひとりの神と一人の人間が、空間に広がった穴へと入った。しばらくして、その穴は完全に塞がれてしまう。元から何も無かったかのようで、ユーシャが手を伸ばしても虚空を掴んでしまうだけだった。

 辺りを見渡してみれば光の粒子で溢れかえっていた。ユーシャは遠くで待たせてしまっていた仲間達の元へと歩み寄る。この城の足元もかなり光が強まってきただろうか。崩落寸前とまではいかないが、残された時間というのも少ないだろう。


「……待たせてしまったな。ようやく、魔王を討滅することができた。褒美も何もなくて済まないが、とても感謝している」

「…………」


 ユーシャ以外に口を開こうとする者はいない。皆が真っ直ぐを見つめたまま、その場から微動たりとも動こうとすらしてなかった。


 四人に囲われるようにユーシャはその中心で腰を下ろした。胡坐をかこうとすると、身に着けていた装備品が一斉に輝いては光の粒子となって散っていった。今の恰好は初期装備状態だ。甲冑を脱げばこんなものだったなとユーシャにとって見慣れた装備であり、そして懐かしい服装でもあった。

 ユーシャの仲間達も次々と光に包まれては、パーティに入ったばかりの恰好になる。そういえばこんなのだっただろうか。ユーシャは懐かしみ、悦に浸る。

 続いて武器が輝いては、その手元から光の粒子となって霧散していった。ユーシャが持つ伝説の剣は未だそのままだ。これは最期まで遺ってくれるのだろうか。ユーシャにとって始まりでもあり、能力ちからを含めた冒険の全てが詰まっている。


「…………」

「…………」

「ああ、そうか。皆を、解放すれば、いいのだな」


 ユーシャは座ったまま伝説の剣を握りしめ、空に向かって掲げる。伝説の剣は光の粒子を放ちながらも己の持つ輝きは損なわれていなかった。


「……私は【代償】を【代償】として、これまでに培ってきた【代償】を解き放たんとしよう」


 もうこの能力ちからは必要ない。

 ならば最期くらいは、皆を元に戻してやりたい。


 そんな切な願いは優しい光となって、伝説の剣からゆっくりと広がっていった。水面の波紋のように、幾重にも重なりながらその光は世界を包み込んでいく。


「……ひゃっ」


 小さな悲鳴が聞こえた。可愛らしくも女の子らしい声で、その主は恥ずかしそうに自分の身体の胸元を隠そうとしていた。


「やだやだ。なんで無いの……?」

「……お゙い゙そのゔで、どかしてみろ。気休め程度てい゙どだが、無い゙よりはマシだろう」


 恥ずかしがるアーチャの両腕を引き剥がし、ブドウが頭に巻いていたタオルを取っては晒のようにアーチャの胸元を覆い隠す。戸惑うアーチャだったが、素直に従って万歳のポーズをしていた。丁寧に背中で結び目を作り「もうい゙い゙ぞ」と腕を降ろすように促した。一先ず落ち着いたようで、アーチャはきつく巻かれたタオルを摘まんでは「……ありがと」とブドウに御礼を告げていた。あの犬猿の仲だった二人の姿はなく、それはまるで家族の仲のようなやり取りにも見えただろうか。


「ああ。ここは王宮だ! 崩れかけてはいるものの、何度見ても人間が建てた構造物はすごいなあ」


 ふと視線を横にズラすと見慣れない青年の姿がいた。それがケジャだと気付くのには時間を有しただろう。ユーシャは驚きながらも、そんな姿だったなと懐かしみを覚えた。


「シツジ……? それに、王宮にいた皆様方は御無事で……?」


 ヒーラが心配そうにキョロキョロと見渡していた。オドオドと落ち着きがなく、ユーシャが「心配無い。皆、無事だ」と一声かけると、安心したようにそっと胸を撫で下ろしていた。


 優しい時間が過ぎ去ろうとする。

 光は一層に強まっており、城外は全て光の粒子となって還っただろうか。視界に舞うそれが、五人を取り囲うように上へ上へと昇っていった。


 ユーシャはそっと瞼を閉じた。耳には四人の会話が聞こえてくるだろうか。微睡みに誘われ、四肢がぼんやりとしてくる。ゆっくりと、楽し気に話す四人の声が脳裏で共鳴していく。次第に目を閉じていてもなお視界が白く染まり、世界が、勇者が光に包まれていった。


 ――ありがとう、シバ……!


 その意識は声を発することができず、光の中に混ざり込む。




 こうして一つの<世界>は、ゆっくりと閉ざされようとしていた――。



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