This was their finest hour
総統命令第21号
ソ連など腐った納屋だ。
扉を一蹴りすれば崩壊する。
-アドルフ・ヒトラー-
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1940年6月22日午前四時十五分、ポーランド領内ドイツ軍宿営地
ドイツ軍宿営地の大半はその時まで楽観的な人間が多く存在した。
この時ドイツ軍やポーランド軍は緊張状態にあったが、楽観的な外交解決がされるという噂が流布されていた。
それはコウノトリと呼ばれ、内容は"モロトフとリッペンドロップが密約を交わして外交的に東部ポーランド領問題が解決される"と言うものだった。
だが各車両は無線通信を最終確認する事を命令され、夜半に兵士たちは起こされた。
各連隊では中隊ごとに集結を命じられ、整列させられた。
国防軍放送と全ドイツのラジオは、非常放送を告げるチャイムとともに、
《東部戦線の将兵達に告ぐ!》
東部戦線。
初めて呼ばれたその名はタンネンベルクの戦いの栄光を彷彿とさせた。
そして、次なる栄誉も。
《憂慮のうちに数ヶ月にわたる沈黙を強いられた末、今や将兵と国民諸君に真実を語る時がきたのである。》
ハインケルとメッサーは群れをなして飛行場を離陸した。
国境の河川では、
砲兵は観測手の野戦電話がしっかり機能した事を確認している。
《我らが境界の向こうには多数のソ連兵、そしてコミンテルンの陰謀の中枢が存在している。
ここ数週間、国境線の全てに移動が絶えない。》
ベルリンの全ての大使館、商社では国際電話の受話器を外された。
起床と静聴する事を命じられた全てのドイツ国民は、それが行き着く先を確信しつつある。
《東部戦線の将兵よ、我々は自衛のために、史上最大の作戦に参加しているのだ。
全ヨーロッパの未来、ドイツ民族の将来、世界から国際ユダヤ主義と共産主義を地上から根絶出来るかは、誓って諸君らの双肩にある。
この戦いが、主なる神の加護あらん事を切に願う。》
クレムリンでは、慌てたNKVDの将校達が赤軍大本営と書記長達に緊急の電話を入れた。
ソ連西部戦線総司令部では前日23時、ソ連軍に脱走したドイツ軍一部将兵の亡命の件からパブロフ西部戦線司令が警戒警報に格上げしたのを確認した。
《ソビエト連邦に対しドイツは宣戦を布告する!》
「撃ち方初め!」
「フォイアー!!」
「てぇっ!!」
前大戦型榴弾砲から最新式のネーベルヴェルファーまで、全ての火砲が火を吹き空ではルフトヴァッフェの奇襲攻撃が開始された。
寝ぼけまなこで起こされた赤軍の兵士たちは、最悪の朝を迎えたのである。
史上最大の陸戦の、始まりだ。
人類史最悪の、イデオロギーによる
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1940年6月22日午前六時ちょうど、モスクワ
スターリンはその日人生で最悪の朝を迎えた。
側近達があまりに騒いで起きろと叫んだ、あの忠誠心の厚いモロトフが「コーバ、本当に起きてくれ!」と声を上げる事態だから漸く起きた。
話を聞けばドイツ軍と交戦状態になったという。
スターリンにとってそれは、アホの兵隊がやらかしたかと言う嫌な知らせと思っていた。
スターリンは赤軍の事を殆ど信用していなかった、シャポシニコフやジューコフにブジョンヌイと言った名将がいるが、信用ならない連中はきっとまだいるのだ。
彼は軍隊が政治に侵害してくると信じていた、その点で政治家、特に国家元首としてはある意味正しかった。
ただ、まさかそれが起こるなんて考えていなかった。
本当にドイツ軍が攻めてきたのだ。
彼はドイツ軍爆撃機が、爆撃を開始する音で全てを理解した。
あいつらやりやがった!
ー
1940年6月22日、ドイツは"ダンツィヒでソ連軍に射殺されたドイツ兵数名に対する反撃"を目的に軍事侵攻を開始した。
スターリン曰く「突如として、何らの兆候もなく」行われた対ソ宣戦布告は巧妙というより、第一次大戦の焼き直しのような戦争であった。
レープ元帥の北方軍集団、ルントシュテット元帥の南方軍集団、ボック将軍の中央軍集団はそれぞれに前進を開始したのである。
ドイツ軍の狙いは野戦軍の撃滅、つまり浸透と包囲による会戦主義的思考をとっている。
理由はいくつかあるが、まず先の戦争が長期化し1918年協商春季攻勢などの影響があっても機甲戦力を認めない旧守派の存在がドイツ軍の快速を縛っていた。
電撃戦はその生みの親達を理解しない国防軍の老人達が、横槍を入れていたのである。
対するソ連軍も好調とは言えず、警戒体制を敷くよう命じたは良いが兵たちを指揮する司令部が大混乱だった。
何処が主攻か、狙いは何処か、敵の位置と味方の位置はどこか。
それらを集めようとして部隊に早急な反撃を命令したが、互いに連携が取れなかった。
赤軍は三軍に渡って混乱状態の中闇雲に反撃し、無為にMGの前に死体を積み重ねて兵を損失してしまった。
混乱は各級指揮官の「最善手」「まさかと思い」「しかしと思い」「されどと考え」、その結果最悪の状態になった。
すなわち兵力逐次投入と逐次崩壊である。
宣戦布告一日しない間に、ソ連軍全ての国境守備隊は寸断されて突破され、崩壊していく。
そして各級指揮官たちの行動から逐次投入と鉄と命の意味なき損耗が開始され、ソ連軍西部戦線はズタズタになっていった。
また、国防軍は第一次大戦の経験から毒ガスやサリンなどの化学兵器生物兵器を投入した。
ハーグ条約違反だが彼らに罪悪感などなかった、コミュニストとユダヤの手先を殺すことに国防軍内部にすら罪悪感を感じる者など居ないのだ。
同じようなことはアインザッツグルッペンでも言えた、彼らは12歳のユダヤ人少女を性奴隷にして遊ぶような本物の人でなしだが、マンシュタインたち国防軍の将軍は任地で彼らを見かけても咎めることも関わることも、一切しなかった。
好きの反対は無関心であり、ドイツ人の大半はナチズムを受け入れ、そうした戦争犯罪を全て"見なかったこと"にしたのである。
その結果は究極的な他人事であり、彼らは自己の汚れた掌を省みなかった。
ー
1940年6月26日、アメリカ連合国
北米における独ソ戦の開幕は、何通りの反応があった。
大多数の意見は無節操に拡大する戦火の炎、その業火が拡大している事を嘆く者たちだ。
ミナツキやウォレス大統領たち、ニミッツなどの連合国の市民やカナダ市民、そこそこの合衆国国民達は恐るべき悲劇と受け止めていた。
少数派の意見は、快哉としてその戦争を面白がるものである。
つまり、ペリー政権の支持者たちファシストと彼らを支持するようになった合衆国市民たちの一部である。
そして、面白がる人たちの中にトロツキーもいた。
彼からすれば偽物のくすんだ革命がファシストと殺し合いになるのは実に面白いものだった。
スタンレイは、連合国軍人としての最大派閥の認識を持っていた。
すなわち。
「これで我が国に戦火が及んでも助けはすぐ来ないな」
その意見である。
もう戦争は避けられない。
それが事実上確定した。
どちらが勝つとしても戦争は長続きする、世界は変わる。
その変動に至るまでの混乱期に必ず我が国に戦争が及ぶだろう。
その恐怖心はあちこちで出ていた。
陸海空、そして海兵隊と州防衛軍。
全ての軍が警戒を強めていた。
何故なら、世界が動く時、連合国は常に振り回される側であるからだ。
ー
1940年7月2日、合衆国、ノーフォーク
船舶で旧大陸に輸送されていく大量の銃砲弾薬の行列、それを見ながら金色のショートカットをした男性将校は複雑な顔をしていた。
彼の名はグラハム、合衆国陸軍の若き機甲将校であり出世への街道を前進する男である。
「グラハム小隊長、どうかしたんですか」
小隊長車のM4中戦車の砲塔から顔を出して、小柄な白人系の砲手であるエッカートが尋ねた。
エッカートはグラハムとの付き合いが長く、グラハム自身優秀な砲手として彼をそばに置いている。
エッカートの声に気づいたグラハムは、低めのハスキーな声でやや厭世的に言った。
「いや、我が国がドイツを支援してやるのは面白くないなと思ってな」
「はぁ、てっきり私は小隊長が派遣軍の参加を希望したのに落とされて拗ねてるかと」
「随分偉い事を言うようになったなお前・・・、私は断った方だぞ!」
呆れた顔をしてグラハムは、自身の
M4A1シャーマン戦車の砲身はドイツの3号戦車と同じ長砲身50mm主砲を積んでおり、砲塔は鋳造で丸っこく、車体も曲線状になっている。
砲塔上には対空対地両用のライセンス生産されたMG34が備わっており、車体前面と砲塔同軸に一丁ずつ備わっている。
グラハムは騎兵になりたかったから最初騎兵科に入った、だが最近の騎兵は鉄の馬に乗る、パーシング将軍は渋々彼を機甲将校にするのを許してくれた。
彼が騎兵を目指したかったのは、彼の先祖も北軍の騎兵として南北戦争を戦い生き残ったのだ。
彼の先祖は壊滅したポトマック軍にあって包囲突破を成功し帰還したシェリダン将軍達の一部部隊の隊員だった。
「これは我々の戦争であるはずだ、遠く旧大陸の争いごとに関わることもない」
「モンローっすね。
でも南の連中は多分そう思ってないと思うっすよ、連中日本人とイギリス人の靴舐めてるようなもんですし」
「分かっている、だがこれはあくまで内戦だ。
我が国の内政問題だ、そのはずだ・・・」
グラハムは屈辱的現状にある祖国を憂いていたが、憂いている理由の中には合衆国の現政権があった。
たしかに経済は良くなっているらしいが、こんな歪なまま進めて大丈夫なのだろうか。
グラハムにとって最近施工された愛国強化法や、アメリカ同化局の設置、アメリカン・ゲシュタポことOSSの創設などを見ていると、何処かおかしいと思えてくるのだ。
「あ、<ラファイエット>が離岸していく」
エッカートが港を出て行く大型船を指さした。
アレにはアメリカ軍3個師団を中心とする大陸派遣義勇軍、北アメリカ反共十字軍<シュトイペン>軍団が乗り込んでいるのだ。
現在合衆国陸軍は国境線の師団などを含めると、その実規模が大きくない。
カナダ国境、西岸の防衛、メキシコ国境、そして南部の裏切り者たち。
この孤立した合衆国は拡大する連邦軍でも追い付いていないのだ、その点で言うと連合国はある意味簡単だった、カリブ海はイギリスと自前の海軍でなんとかなるのだ。
「・・・グラハム小隊長、たしかに、アメリカの喧嘩に他所が来るのって、確かに悲しいですね」
「・・・どちらが勝とうと孤立化し、先鋭化し、それ故にますます孤立化する。」
ステイツは、望んでその泥沼に浸かりつつあるんじゃないだろうか。
だが疑問があろうと、彼らは軍人であった。
市民の未来を作る連邦の軍人であり、連邦市民の支持を受けた政府の指示を守るのだ。
それに、世界に、合衆国に、グラハムありと叫んで草原を疾駆する欲望を、彼は抑えられない。
彼は本質的に騎兵将校だった。
待ってろ南部のペテン師詐欺師悪党どもめ。
そして、恐るべき南部の敵め。
ー
1940年7月25日、ケープカナベラル大軍産複合コンプレックス
ケープカナベラルは先の戦争、第一次世界大戦--独ソ戦が開戦し、大清が正式に対ソ宣戦したので第二次大戦とも呼ばれ出していた--で急速に開発された地域である。
ここは要するに、工場と研究所と実験演習場などの全てが存在する施設なのだ。
前輪二輪のハーフトラックに拡大して再設計されたオーストラリア製のADGZ兵員輸送装甲車を基にした兵員輸送装甲車<サウザン・ワゴン>が設計完了し、シャーシを共通する指揮通信車両の生産が、ようやく開始されている。
その習熟にスタンレイの502戦闘団は駐屯を続けており、兵士達は新しい装備品に身体を馴染ませていた。
流石に今までのUE装甲車改造品は強引であったし、「座ってると尻が痛い」と座布団持ち込んだ隊員などもおり、完全防護というわけでもなく、半端であった。
そんな中現れたサウザン・ワゴンは、兵士たちに概ね好評であった。
弾片防護と普通の7mm弾には耐えれる装甲、まあマシな走破性のハーフトラック、FN社からイギリスに流れてきたブローニング系の機関銃。
オープントップな指揮通信車型は無線通信設備などを詰めて地図も読めるし狭くない、スタンレイもこれには納得した。
ただ兵士たちに1番好意的に見られたのは装甲救急車型だった。
「昔見ても広かったですけど、いつ見てもひろいですねぇ」
「昔より広くなったからな」
スタンレイはケープカナベラルの、とある公園のベンチに腰を下ろしていた。
工員労働者とその家族向けの公園は、ここがアメリカ連合国と思えない巨大な団地群にあたりを囲まれていた。
まるで古代中国の遺跡や城塞都市の中か、コンクリートの巨木に囲まれた気分だったが、スタンレイにはそんな事どうでも良かった。
愛する妻と娘が隣にいるからだ。
妻と出会ったのは、このケープカナベラルだった。
若い需品将校だった彼と、中島飛行機の設計チームの一人の養子。
「大きな人ですねえ」
ミナツキが最初に言ったのはそれだった、スタンレイは必要だったから日本語とフランス語を何ヶ月かかけて学んでいたので、それを理解できた。
今でもスタンレイは「いや、多分ミナツキが小さいんだと思う」という変えられない意見を抱いている。
それからは不可思議な関係が始まった、スタンレイはなんで自分が結婚にまで至るほど人から愛されたのか今も全く分からない。
だけども、ミナツキが心から愛してくれてるのが分かった。
にこやかで春の太陽のように笑って「やさしいところ」と言ってくれる人が、彼には必要だった。
彼女が作ってくれたライスボールを食べて、少し歩いた。
木立が並んで、夏の風が吹き、太陽が照りつける。
「覚えてます?ジョセフさん」
あの時と同じ呼び方だ。
「貴方が結婚を申し込んだのは、ここでしたね」
「・・・君と夕食を食べた帰り、帰国予定の二週間前だったね」
スタンレイは少し自省したように言った、決断力がいる判断だったが些か遅いと今では思う。
ミナツキは揶揄う様に「振られちゃうんじゃないかと怖かったんですよ」と言って、微笑んだ。
「この子が大きくなったら話してあげたいですね」
「全くだね」
だから、私はこの国を生き残らせる為に戦うのだ。
たとえ、何を犠牲にしようと。
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