第37話 いつもとは違うやり方

 静香姉ちゃんが勝負開始を宣言したから、僕と菊枝垂さんは互いの鉄板に火を入れ、同時に背を向けて動き出した。


 鉄板が十分に熱くなるまで時間がある。僕は全ての材料のタッパーのフタを開けて、持って来た3つのドンブリをテーブルの上に並べた。

 お好み焼きの基本材料である青ネギ、刻み紅ショウガ、沢庵をスプーンで入れた後にを入れた。もちろん、これは店のメニュー表には書かれていない具材だ。

 キャベツは使わない。これは『夢見草ゆめみぐさ』が創業以来使ってないから、いくら『お好み焼き対決』だからといって、創業以来の伝統を崩す気は無い。ただ・・・いつもとはをしているのだけは間違いない!

 生地はいつも通り『夢見草ゆめみぐさ』オリジナルの物だ。ただ、今日は玉子を使っている。玉子はトッピングの1つになっているとはいえ、店のお客さんのほぼ8割は玉子をトッピングしているし『玉子は生地の繋ぎ』と考えれば、いつもと違うやり方をしているから、引っくり返す時に失敗する可能性を考慮して玉子を入れている。

 僕は3つ目の玉子を割ってドンブリに入れてから後ろを振り返って、そのまま鉄板の上に右手をかざしたけど、かなり熱くなってきたのは手の平に当たる熱気で分かる。そのまま右手で油さしを取って、油を鉄板の上に垂らしてからフライ返しで鉄板に丸く、薄く引き伸ばした。その時にチラッと真向かいの菊枝垂さんを見たけど、菊枝垂さんは油を垂らした後に油引きで引き延ばしている。この辺りは店の、個人の考え方だから別にとやかく言う気はない。昨日の菊枝垂さんも油引きを使ってたから、この辺りは焼き方の思考の違いだ。

 僕は1つ目のドンブリを素早くかき混ぜながら鉄板にあけて、軽く形を整えると、そのままフタをサッと被せた。いくら生地が薄いとはいえ、数秒で焼ける物ではないから、ここで少し時間が空く。僕は菊枝垂さんの方を見たけど、あちらも1枚目を焼き始めたけど、フタを被せてないのは昨日と同じだ。菊枝垂さんは僕が見ている事に気付いたのか、一瞬だけ僕に視線を合わせたけど、その目は何となくだけど怒っているように感じたのは気のせいだろうか・・・


 僕の鼻にも菊枝垂さんが焼いているお好み焼きの匂いが漂ってきた。あちらはフタをしてないから、いくら換気をしてるとはいえ全てを吸い切れてないから隣に匂いが漂ってくるのは否めないけど、菊枝垂さんが焼いているお好み焼きから漂ってくる匂いには覚えがある!『挿頭草かざしぐさ』で蝦夷錦えぞにしき先輩が焼いてくれた、裏メニューのお好み焼きに似た匂いがしているからには、を使ってるのは間違いない!!でも、以外の匂いも混じってるから、絶対に『徒名草あだなぐさ』のメニュー表に書いてない物も使ってる。それが何なのかはピンと来ないけど、シーフード系なのは間違いない・・・

 僕は4枚目のお好み焼きの準備を始めたけど、それだけに構っている時間はない。なぜなら、放っておくとお好み焼きが焦げてしまうからだ。細心の注意を後ろに払いつつ4枚目の準備をするのは非常に緊張するの一言に尽きる。


 僕はフタを外した。


 パッと見ただけで十分に焼けているのが分かるから、僕は素早くフライ返しをお好み焼きの下に入れ、軽く円を描くようにしてお好み焼きを少し浮かせてから素早く引っくり返した。手毬てまり姉ちゃんが絶望的なくらいに出来ない、この返し方は鉄板から生地を軽く引き剥がしてからひっくり返す方法だから、テフロン加工してない鉄板ではお馴染みというべきやり方だ。

 引っくり返した生地にウスターソースを塗り始めたら、辺り一面にソースの匂いが漂ってしまって、もう菊枝垂さんのお好み焼きの匂いを上回ってるから、あちらのお好み焼きを詮索するのは無理だ。かき粉と青海苔をサッとまぶし、生地を3つ折りにしてから再度ウスターソースを塗って、かき粉と青海苔をまぶし、最後にフライ返しを使って4つに切り分けたら完成だ。

 僕は焼き上がったお好み焼きを四角い白皿に移した。ここだけが菊枝垂さんのお好み焼きと違うところで、あちらは丸い白皿だ。少し遅れたけど菊枝垂さんの方も1枚目を焼き上げて丸い白皿に移し始めた。あちらは2つ折りだから僕とは違うけど、浜砂のお好み焼きのルールに折り方はないから個人の、お店の考え方に任されている。昨日の菊枝垂さんも2つ折りにしていたから、今日も菊枝垂さんは2つ折りにしているだけなのだ。

 僕の方のお好み焼きは手毬姉ちゃんが、菊枝垂さんのお好み焼きは菊枝垂さんのお母さんが受け取って座敷に運んでくれたから、僕は2枚目を焼き始めたし、菊枝垂さんも2枚目の準備に取り掛かった。

 2枚目、3枚目、4枚目・・・僕は審査員役の静香姉ちゃんたちが食べる分のお好み焼きを焼き終えて、ホッと肩の力を抜いた。あちらでは菊枝垂さんが4枚目のお好み焼きをひっくり返したところだ。焼く速度に違いがあるのは、鉄板の温度や生地の厚さ、焼き加減の差が速度になって表れているからであって、決して菊枝垂さんが未熟ではないのは分かっている。その証拠に、引っくり返したお好み焼きに刷毛で醤油を塗る手付きは上手いの一言だ。申し訳ないけど、手毬姉ちゃんなら相当修行しないとやれそうもない程の手付きで醤油を塗っていく様子を、僕は半ば感心しながら見ていたほどだ。菊枝垂さんは僕がジッと見ている事に気付いたのか、一瞬だけ僕の方に視線を合わせたけど、すぐにお好み焼きに醤油を塗っている手元に視線を戻した。僕をチラっと見た時の表情は、自信に溢れていたと感じたのは気のせいではないはずだ・・・


 座敷では静香姉ちゃんたちが食べ比べをしてるけど、殺伐したような雰囲気は全然ない。むしろ、食べ比べた感想や、焼き方や材料についてあーだこーだ言ってるのが僕の耳にも聞こえてくるほどだ。

 ただ・・・評価方法で明らかに激論になっている。そこは個人の判断基準の差なのだが、判断基準を明確にしてない分、何を基準にして判定するのか、どちらを上を判断するかは僕が関与する事は出来ない。それは菊枝垂さんも同じだ・・・

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