第20話 サインを一切出さずに

 手毬てまり姉ちゃんと青葉あおばさんはプレートを挟んで何事か話してるけど、さすがにこの位置からは聞こえない。

 僕とみやび姉ちゃん、アーリー、普賢象ふげんぞう先輩はベンチの前で並んで立って菊枝垂きくしだれさんが戻って来るのを待ってるけど、さすがに1分2分で戻って来るのは有り得ない。

 入部テストとはいえ1アウト満塁を再現している。早晩山いつかやま先生がそれを認めたからだ。ある意味、手毬姉ちゃんと青葉さんにプレッシャーを与えた格好だ。

 守備位置は大芝山おおしばやま先輩が指示した場所だが、手毬姉ちゃんの話を信じるなら仮のポジションだ。既に全員がグラブをはめて定位置に立っている。しかも主審は早晩山先生だ。それは仕方ない。何故なら今のMY高マイコーソフトボール部は、仮入部扱いの手毬姉ちゃんと青葉さん、紅華こうかさんを含めても12人しかいないからだ。その紅華さんは3塁走者ランナーとして立っているし、三塁手サードは姉の大芝山先輩だ。

 手毬姉ちゃんは黒がメインでピンクのラインが入ったabibasのジャージだけど、桜岡さくらおか高校や浜砂市立高校と違ってMY高マイコーのソフトボール部は統一された練習着を持ってないから、各々好きな物を使っている。勿論、ユニフォームはあるけど、普段の練習でユニフォームを使う事はない。KUMAやMIZUMO、MIKEなど、ブランドも色もバラバラだから見る側にとっては個人を見分けるのに非常に便利だ。唯一、同じ物を使ってるのは、3人の走者ランナーが使っているピンク色のビブスだけだ。

 菊枝垂さんは靴を体育の運動靴シューズに履きかえてソフトボールグランドに戻って来た。そのまま眼鏡を外し、ポケットの中の眼鏡ケースに入れるとコンタクトケースを取り出してコンタクトレンズを両目に入れ、コンタクトケースもポケットに戻した。ブレザーを脱いでリボンを外し、ブラウス姿になって1番上のボタンを外したけど、普賢象ふげんぞう先輩が両手をサッと差し出したからブレザーとリボンを渡した。菊枝垂さんは雅姉ちゃんが差し出した手袋を黙って受け取ったけど、明らかに手がブルブル震えていたのは僕の目にもハッキリ分かったほどだ。ある意味、恐怖と葛藤を力づくで押さえ込んで両手に手袋をはめたとしか思えない。その手袋をはめた左手で雅姉ちゃんからヘルメットを受け取ると頭に被り、左手でバットを握ると、クルリと向きを変えてバッターボックスに向かった。でも、バットを握った直後、涙を流したように思えたのは僕だけだろうか・・・

 その菊枝垂さんが左バッターボックスに立とうした時、青葉さんは戻ってきてホームベースの後ろ側に立った。当たり前だけど青葉さんも左手にはキャッチャーミット、それとレガース・プロテクター・ガード・ヘルメットをしているし、マスクを被ると同時に腰を下ろした。

 左バッターボックスに菊枝垂さんが立ち、バットを構えた時に早晩山先生の右手が上がった!1アウト満塁で入団テスト開始だ!


 去年の夏、全国中学校ソフトボール大会県予選準決勝の6回裏の時は、青葉さんは初球にブラッシュボールを要求した。だが、僕の位置からでもハッキリ分かるけど、青葉さんがミットを構えている位置はド真ん中だ!

 手毬姉ちゃんはピッチャーズプレートに立ち、軸足を半歩前に出して上体を少し前傾させ、プレートを踏んだ軸足のつま先に体重をかけながら、腕を後ろに引き上げて勢いをつけた。そのまま腕をスウィングして前に出しながら、大きくステップして身体を前に送り出した。足は青葉さんの方に向かって真っすぐ、大きく胸を張って軸足でピッチャーズプレートを強く蹴り、踏み出した前足を強く踏み込んだ。そのまま青葉さんにさんに対して半身になった状態で、身体の正面で両腕で円を描くように、両腕を振り上げた!ステップした足を着地させると同時に腕を一気に振りおろし、踏み出した前足の内転筋を強く締め、下半身にひねりを加え、腰に腕の内側をぶつけるようにして、手首のスナップを利かせながらボールをリリースした!俗に言う風車ウィンドミル投法だ!!


”バシッ”


 手毬姉ちゃんが投げた初球は青葉さんがミットを動かす事もなく吸い込まれた!初球のド真ん中のストレートを菊枝垂さんはアッサリ見逃し、早晩山先生はストライクをコールした。

 青葉さんは一度立ち上がると球を手毬姉ちゃんに投げ返したが、すぐに座った。今度も青葉さんのミットの位置はド真ん中だ。

 い、いや、青葉さんはサインを一切出さずにミットを構えている!という事は、どう考えても手毬姉ちゃんはド真ん中のストレートしか投げない!チェンジアップ、カーブ、決め球のライズボールといった変化球を投げる気が無いとしか思えない!!

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