6. 声

 高校生の頃。

 ある夏の昼下がり、放課後まっすぐ帰宅したわたしは、制服のまま自宅の居間でゴロゴロしていた。


 当時、家にはクーラーがなかったが、1階の部屋は日陰になっていて、南北の窓を開ければ風がよく通った。

 熱源になるので電気やTVはつけない。

 外から聞こえるのは、時折県道を走る車の音ばかり。

 そんな静かな薄暗い部屋で一人、うたた寝を始めた。


『南無―――――』


 突然、耳元でお経が聞こえた。

 驚いて飛び起きたものの、あたりはしん、と静まり返っている。

 近所で地鎮祭でもやっていて、祝詞がお経っぽく聞こえたのかな?

 そう思ってしばらく耳を澄ますが、相変わらず車の走行音くらいしか聞こえてこない。


 寝ぼけたのかな。

 寝直そ。

 そのままパタンと横になり、またウトウトし始めた時。


『南無―――――』


 飛び起きた。

 やはり起きると何も聞こえない。

 しかし、あれは聞き間違いではない。

 お坊さんらしいよく響く低い声。

 ある有名な宗派で用いられているお題目だった。


 さすがに目が冴えてしまったわたしは、嫌な空気を吹き飛ばすために電気とTVをつけ、めったに観ないバラエティ番組にチャンネルを合わせて、家族が帰宅するのをじりじりと待った。


 数日後。

 夕飯の席で、ふと兄がポツリと呟いた。

「そういえばこの前、部屋で寝てたら耳元でお経が聞こえたんだよな」


 兄の部屋は、居間のちょうど真上にあたる。

 あの声の主は、空へと昇っていったのだろうか。

 それとも、地の底へと沈んでいったのだろうか。


 わたしも聞いた、とは言ってはいけないような気がした。

 不思議なものの正体を闇雲に暴いてはいけない、知ってはいけないと思った。

 わたしは無言を貫いた。


 普段は怪談など話したことがなかった兄。

 食卓に相応しい話題でもないのに、なぜあの時あの話をしたのだろう。


 あの家から引っ越した後、どうやら彼は霊感が強いらしいという話を母から聞いた。

 あの時、彼には何か見えていたのだろうか。わたしは未だに何も聞けずにいる。


―終―

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