第三章 波乱渦巻く御前試合
燦々と降り注ぐ温かな太陽の光。広い庭園を楽しげに飛び回る鳥達も気持ち良さげに翼を広げ、どこまでも広がる青空を駆けていく。
こんなに天気の良い日は、普段にも増して絵具の乾きが早い。だが、マルクに関してはそんな心配は無用であった。絵具が乾く暇もなく、筆は迷い無く真っ白なキャンパスを縦横無尽に走り、完全に使い切ったところで新たな絵具を追加する。
その筆の動きは、つい数日前までの不調は微塵も感じられない。そんな作業を二度、三度と繰り返す頃には、既にマルクの周囲は描き上げたばかりの絵で埋め尽くされていた。
「あるじさま、なにをかいてるです?」
「昨日、屋敷に来てた御用商人さんだよ。凄く大きな馬車にたくさんの商品を積んでて、いろんな街の話をしてもらったんだ。そのお礼に、次に来た時に絵を渡したいなって思って」
「…………」
「じょおーさまもかいてほしいそうですが?」
「あははっ、じゃあこの後にね?」
テラスの向こう側から身を乗り出すようにキャンパスを覗き込む大きなクリスタルと、マルクの隣で作業を見つめる通訳係の小さなクリスタル。
身体の大きさ故に人目につく街中では決して自由には出来ないクリスタルだが、ごく限られた者のみが出入りするリカルドの敷地内であれば問題は無い。リカルドの了承を得て、マルクは屋敷の敷地内でクリスタルを自由にさせていた。
その恩に報いるためか、クリスタルも分裂した個体で使用人達の手伝いをする等貢献していた。もっとも、濡れた身体で動き回っては屋敷内をべちょべちょにしてしまうため、基本的には外での仕事になるのだが。
穏やかで、静かな時間が緩やかに流れていく。いつまでもこの時が続けば良いと思うマルクだったが、今日は大事な要件が待ち構えていた。
「…おい」
そんな時、絵に集中するマルクの傍らで椅子に腰掛けながら分厚い本を広げていたレティシアが顔を上げた。彼女は自身の周囲を一瞥。まるでタイルのように足下一面に敷き詰められた絵を見下ろしてゲンナリとした表情を浮かべた。
「はい?どうかしましたか?」
「どうかしましたか、ではない。確かに調子は戻ったようだが……これは少々行き過ぎではないか?」
「す、すみません。こんなに調子が良いのは本当に久しぶりなので、つい。これで終わりにしますから、ちょっと待ってくださいね」
「…………」
「あるじさま、じょおーさまのえがまだですが?」
「ごめんね。今日は大切な用事があるから、クリスタルさんの絵はまた今度で」
「ぶー……ごくつぶしさんのよけーなひとこと」
「なんだと液体小娘。その小生意気な口ごと伸ばして刻んで喰らってやろうか?」
「おそろしやー」
レティシアの一睨みに怯えて、逃げるようにとぷんと苦笑いを浮かべている大クリスタルに戻る小クリスタル。そんなやり取りを横目にしている間にも、マルクの手は止まらない。完成へと向かって全速力で突き抜けていく彼の神掛かり的手際を、レティシアはぼんやりと見つめていた。
自身の優しい性格が災いして吐き出すことの出来なかった感情に苦悩していたマルクが元気を取り戻したことは何よりも喜ぶべきではあるのだが、これは少々調子が良すぎた。
何より、今日は一世一代の大勝負の日。マルクが貴族として、ヴォルテクス家の養子として認められるために王城で御前試合が行われるのだ。ここで無駄に気力を消耗し、本番で全力が出せないという事態に陥っては目も当てられなかった。
「おやおや、今日も精が出るね、マルク君」
そこへ、ふらりとやってきたのはリカルドであった。辺りに広がるマルクの作品を見渡し、嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。
「おお……!これはこれは、素晴らしい作品ばかりではないか!早速額に入れて飾らなければ。王城勤めの貴族連中も喉から手が出るほどに欲するマルク君の作品に囲まれて、私はとても幸せ者だな」
「あはは……そう言って頂けると僕も励みになります。またリカルドさんの好きなドラゴンの絵を描きますからね」
「あまりコレを煽ってくれるな。それと、貴様もいいかげんほどほどにしておけ。部屋の壁一面に絵を敷き詰めて飾る馬鹿が何処にいる」
「はっはっはっ、これは手厳しい。しかし、それだけマルク君の絵が素晴らしいということだよ」
暖簾に腕押し、柳に風。もはや何を言ったところで是正されることは無さそうだ。諦めたようにレティシアは深い溜め息をついた。
「マルク君、今日はいよいよキミの力を陛下の前で披露する日だ。調子は……聞くまでも無さそうだね」
「ええ、リカルドさんの期待を裏切らないように頑張ります。レティシアさんも一緒ですし」
「ふん、当然だ。誰が相手だろうが、この我の敵ではない。文字通り瞬殺してくれる」
マルクの想像によって生まれたオーバーテクノロジーが山盛りの身体を持つレティシアの強さは生半可なものではない。アイゼンの時のような人質等の小細工無し真っ向からのぶつかり合いならば無敵の強さを誇る。
特に、レティシアの中では御前試合などただの余興。むしろ暇潰しのお遊びにもならないだろうと確信していた。
「それは頼もしい。ならば不要とは思うが、せっかくなので一つだけ私から助言をさせてもらうとしよう」
「助言……ですか?」
「はっ、不要ならばわざわざ口に出すこともあるまい。世話好きな奴め」
「はっはっはっ、年を取ると心配性になってしまってね。老婆心というやつだよ」
これから今後の運命を大きく左右する一戦が控えているというのに、その会話の中に緊張感のようなものは微塵も見受けられない。互いの顔を見合わせながら笑い、リカルドは改めて口を開く。
その、人当たりの良い笑みを消失させて。
「創喚師の戦いは、単なる創魔の力比べというわけではない。それを忘れず、どうか肝に命じておいて欲しい」
ガラリと変わるリカルドの雰囲気に、マルク達の間で戦慄が走る。表情を強張らせ、言葉も出ない彼らを一瞥して、リカルドは元の優しげな笑みを浮かべた。
「無論、私はキミ達がやり遂げてくれると思っているよ。さぁ、そろそろ時間だ。用意が出来たら玄関まで来て欲しい」
「あ……」
マルク達の返事を待たずして、リカルドは部屋から出て行ってしまう。後に残されたマルク達三人は、思い出したように揃って顔を見合わせた。
「今のは……」
「…ふん。マルク、貴様は何も心配することはない。我が必ずもぎ取った勝利をくれてやる」
「…………!」
「ああ、貴様も居たな。だが、今回は貴様の出る幕は無い。どんな相手だろうが、手柄は全て我の総取りだ。くはははっ!」
「あっ……」
盛大に笑い飛ばしながら、レティシアはさっさと部屋から出て行ってしまう。だが、マルクはリカルドの言葉が胸の片隅に引っ掛かっていた。
レティシアの事は頼りにしている。彼女の強さに対する信頼は決して揺るがない。しかし、どうにも胸騒ぎがして止まなかった。
「…………?」
「あ……いえ、大丈夫です。心配しないで下さい。僕達も行きましょうか」
マルクの不安を感じ取ったか、心配そうに顔を覗き込んでくるクリスタルにそう答えるマルク。すると、彼女の髪を構成する一本の触手がするりと伸びて、マルクの額に張り付いた。
『お守りします。私と、私達が何があろうとも。貴方は大切な友人なのですから』
「クリスタルさん……ありがとうございます。頼りにさせて頂きますからね」
触手を通じて流れ込んでくるクリスタルの想い。それをマルクが受け止め、微笑みを返すと、彼女は安堵したような表情のまま光の粒子へと還り、魔導書へと吸い込まれていった。
そうだ。今更不安になっても仕方がない。今はただ、余計なことを考えずに御前試合に勝つことだけを考えるべきだ。クリスタルが戻った魔導書を抱えて、マルクはレティシアを追って歩き出した。
だが、今回の御前試合、恐らく簡単には事は進まないだろう。そんな確信めいた予感を覚えながら。
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