溢れる想い、受け止めて

マルクは訳もわからぬままに押し退けられ、レティシアは易々とマルクのベッド中央を占拠して横たわった。


「この辺りで良いだろう。そら、マルクよ。こちらへ来い」


「ええっ!?な、何でそんな……わわっ!?」


「いいから来い」


さらにベッドを占拠するだけでは飽き足らず、マルクへと手を伸ばすレティシア。彼女の意図が読めず、抵抗するマルクだったが彼女に純粋な腕力で敵うはずも無い。腕を掴まれたかと思えば、そのまま力任せに引き寄せられた。


「むぐっ!?れ、レティシアさん……!?」


「喚くな。ジッとしていろ」


引き寄せられた先でマルクを待っていたのは、薄い布地を大きく押し上げる豊満な双丘。マルクはその深い谷間にちょうど枕代わりのクッションのように頭を押し付ける体勢になり、さらにガッチリとホールドするようにレティシアの両腕が回され、細く長い足が足下に絡みついた。


「人肌に触れていれば痛みも多少和らぐはずだ。少しは楽になったのではないか?」


「い、いや……そ、その……っ」


もともと身体に痛みなど無かったのだが、今のマルクには、もはやレティシアの言葉など聞こえてはいなかった。顔が熱い。温かさと柔らかさに包まれ、心臓が痛いくらい脈打ち、響く鼓動が物凄く煩く感じる。


女性特有の甘い匂いが頭の中に充満して、レティシアの胸元に抱かれているとマルクが胸の中に抱いていた不安や恐れが融解され、形容し難い安らぎと多幸感が身体を包み込んでいくのがわかった。


こんな気持ちになったのは、一体何時振りだっただろう。緊張から少しずつ安らぎを得ていたマルクの脳裏に平穏な村の光景、優しかった祖母の笑顔が流星のように過り、そして一瞬の内に消えていった。


胸が痛い。ぎゅっと締め付けられたように苦しい。ずっと抑え込んできた衝動が込み上げてきて、このまま声を上げて泣いてしまいたい。だが、それは絶対に表には出してはならない感情の波だ。レティシアに抱かれたまま、胸を押さえて小刻みに身体を震わせるマルク。そんな彼の心境を見透かしたかのように、レティシアはマルクの頭を撫でた。


「…それが、貴様の本心なのだな」


震えるマルクを抱きしめたまま、レティシアは彼を見下ろす。小さくて、か弱くて、そして儚い。少し力を入れてしまえば壊れてしまいそうな、そんな印象を覚えた。


いつも気丈に振る舞うマルクからはあまり考えられない姿がすぐそこにある。いや、これこそ彼が必死に隠してきたものなのだろう。誰にも悟られないように、見せないように、救いを求める口を必死に塞ぎ、その本心を押し殺してきたのだ。


一体何のために?その疑問はわざわざ本人に尋ねるまでもない。自分の周りにいる存在、その全員を気遣ってのことだろう。


「言いたい事も言えず、甘えられないほど頼りにならない大人ばかりですまないな。だが、今ばかりはそのような気遣いは無用だぞ」


「…出来ませんよ」


レティシアに抱かれたまま、マルクがくぐもった言葉を洩らす。俯く彼の表情は窺い知れないが、その声色にはどこか悲壮感すら感じられた。


「僕……そんなこと言えません。だって、そんなこと言ったら……皆、居なくなっちゃうかもしれないじゃないですか」


ただでさえ、リカルドには迷惑を掛けているのだ。そんな自分が悲しいからといって泣き喚いて、塞ぎ込んで、これ以上面倒を掛けたらどうなるか。


もしかしたら、心が離れてしまうかもしれない。一緒に居たくないと、そう思われてしまうかもしれない。そう考えた結果、マルクが導き出した答えは変わらないこと。周りの子供よりも少し大人びていて、手間の掛からない少年。傷付いた心にそんな自分を装って、いつものように笑っていることだった。


「だから、僕はこのままでいいんです。僕が笑っていれば、周りの人達に迷惑を掛けることもありません。僕は、それが一番……」


「…バカめ」


その時、マルクを抱くレティシアの腕に力が篭る。より身体が近付き、互いの心音が伝わるほどに密着した。


「レティシアさん……?」


「あまり我らを見くびるな。貴様のひねくれた気遣いなど既にお見通しだ。甘っちょろい世間知らずの子供が、大人相手に変な気を回すな。貴様一人に甘えられて失望するほど狭量な輩はここには居ない。少しは我らを信用しろ」


「でも、僕は……」


「今すぐ貴様の全てを曝け出せとは言わん。だが、せめて……貴様の友である我の前では、弱みを見せても良いのだぞ」


「……っ」


絶対に悲しい顔は見せない。どんなに辛くても笑っていよう。もう一人にならないために。そう心に決めていたマルクの心に波紋が起こる。


本当に、いいのだろうか。全部吐き出してしまっても、本当にいいのだろうか。戸惑い、揺れる感情。それが心の受け皿の端から僅かに一滴溢れ落ちた。


「…凄く、怖かったんです。また、一人になることが……」


「そうか。ならば安心しろ。我が貴様を孤独になどさせるものか」


そう言って、頭を撫でるレティシア。一度堰を切って溢れ出した想いは、もう止められない。マルクの口元からポツリポツリと紡がれる言葉と同時に、瞳から熱い雫が零れ落ちる。


「村の人達も、おばあちゃんも皆居なくなって……どうすればいいかわからなくて……っ」


「ああ、そうだろうな……貴様はこれまでよく堪えた。もう、我らの前で肩肘張って強く見せる必要は無い」


「寂しい……寂しいよ、レティシアさん……あの頃に、また皆と過ごしてたあの村に帰りたい。おばあちゃんに、会いたいよ……っ」


「ああ……今宵は思う存分泣いてしまえ。その嗚咽も、その涙も、全てこの我が覆い隠し、受け止めてやろう」


顔を押し付けたネグリジェに涙の跡を残しながら、肩を震わせて泣くマルクを力強くレティシアは抱き締める。その嗚咽が外に洩れないように、その涙が零れ落ちないように。


たった二人だけの空間に、マルクの啜り泣く声だけが微かに響く。まるで、世界がたった二人だけになってしまったかのように。


「一人にしないで……もう、一人は……イヤだ……」


泣き疲れたのか、それともレティシアの存在に安堵したのか、マルクの嗚咽は次第に寝息へと変わる。全身から力が抜け、彼女に身体を預けながら、マルクはこの数日間で初めての安眠を手に入れた。


「ああ……わかっている。貴様の友として、貴様を孤独にはさせん。だから今は、何も考えず安らかに眠るがいい……」


数日後に控えた御前試合。その結果によって、マルクの運命は大きく左右されることになるだろう。


相手が何処の誰なのかはわからないが、絶対に勝利を掴み取る。それが、マルクが安寧を得るために必要不可欠なのだから。


頬に涙の跡を残しながら安らかな寝息を立てるマルクを抱きしめ、レティシアは密かに決意を固めるのだった。

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