報復

「レティシアさん、大丈夫ですか!?何処か痛いところとかーーーわっ!?」


「退いていろ」


「ーーーー!」


駆け寄ってきたマルクをレティシアは視線すら向けずに押し返す。よろめいたマルクをクリスタルの大きな手が受け止めた。


レティシアはマルクの前を素通りして立ち尽くすアイゼンの前へ。冷徹な眼差しで彼を見下ろしたかと思えば、無造作に彼の胸倉を掴み上げた。


「ぐっ!?は、離せっ!この俺を誰だと思っている!?」


「貴様が何処の輩かなど知ったことか。まさか、この落とし前を付けずに終わるとは思ってはいないだろうな?」


「ぐ、うう……っ!お、おい、誰か……誰か、助けろ……っ!」


ぎりぎりと締め上げるレティシアの腕力に、アイゼンの足が地面から離れる。苦しげな声を上げて助けを求める主人の危機を前にした護衛達だが、誰一人として助けに入る者はいなかった。あんな光景を前にした後では、それも致し方ないかもしれないが。


「どうした、先程まで随分な大言を吐いていたではないか。さぁ、次があるならば出せ。さっさと創喚しろ。貴様の目の前で完膚なきまで粉砕してくれる」


「う、うぅ……っ」


彼女の前では、ただの人間であるアイゼンに為す術は無い。彼の言動からそれなりの地位にいる貴族の家系であることは間違い無いのだろうが、そんなことはレティシアには関係無かった。


庶民を平伏させる貴族の威光など、ヒトのルールに縛られず、そして強要されることのない圧倒的武力を誇るレティシアには何の意味も成さなかった。


「な、何が目的だ?そ、そうか、金だな?幾ら払えばいい?俺を離せば、当分遊んで暮らせるほどの金を……っ、がはぁッ!?」


アイゼンの腹に無言のレティシアが放つ拳が突き刺さる。力はかなりセーブしているだろうが、それでもダメージは絶大。顔を真っ青にして早くも限界そうなアイゼンを前に、レティシアは顔色一つ変えなかった。


「…何か言ったか?我の聞き間違いだと思うが、勘に障る言葉は控えた方がいい。今の我は冷静さを欠いている。思わず手が出るやもしれんからな」


「げほっ、ごほっ……!お、俺にこのような仕打ち、必ず後悔させて……ぐふぉっ!?」


「残念だ。聞き間違いではなかったらしい。ならば仕方あるまい。場を弁えることを知らぬ傲慢な性格は生き辛かろう。同情を禁じえんな」


平然とそう言ってのけながら一発、二発と重い拳が何度もアイゼンの無防備な腹に突き刺さる。その度にアイゼンの口から蛙が潰れたような声が洩れるが、やがて完全に気骨をへし折られたらしく、その手足から力が抜けた。


「ひゅ、…かひゅ……な、何故、こんな……」


「…貴様は我が唯一無二の友を愚弄し、貶め、そして傷付けた。ならば、その罰を受けるのは当然のことだろう?」


そう言って、レティシアはマルクに視線を向ける。顔には痛々しい痣が刻まれ、服の中も同様の傷痕が残されているだろう。その行為を止めることも出来ず、ただ眺めることしか出来なかったレティシアがそれを許すはずもなかった。


「貴様に同じ傷を刻んでやる。我らに報復する気も起きぬほど、徹底的になぁ……!」


「や、やめ、ぇ……!」


レティシアが再び握りしめた拳を振り上げる。このまま嬲り殺されてしまうのか。そんな恐怖を覚えたのか、アイゼンは顔を真っ青にして全身を震わせる。見るも哀れな姿だが、そんなことでレティシアが手心を加えるはずもない。その苦悶と恐怖に染まったアイゼンの顔目掛けて、レティシアは拳を叩き込もうとーーー


「ダメです、レティシアさん!」


その時、振り上げた拳にマルクが飛び付いた。


「離せ、マルク。まだ報復は終わっていない。貴様は離れて目と耳を閉じていろ」


「出来ません!これ以上やったら、その人死んじゃうかもしれませんよ!」


「安心しろ、もし死んだら死体は塵も残さず処分する。露呈することはない」


「そうじゃありません!僕はレティシアさんにこんなことして欲しくないんです!僕のために、レティシアさんの手を汚して欲しくないんですよ!」


その時、レティシアの動きが止まる。ここで野放しにしては、禍根を残してまたマルクに危害を及ぼす可能性がある。だからこそ、二度と歯向かう気が起こらないように徹底的に報復しておく必要がある。


だが、マルクがそれを望んでいない。レティシアの動きが止まったのは、彼の言葉によって迷いが生まれてしまったからだろう。


そこへ伸びてきた半透明の大きな腕が、アイゼンの身体を包むように握る。レティシアが見上げると、そこではクリスタルが彼女を見下ろしていた。


「…貴様もか。貴様はマルクの創魔だろうが。その貴様が、マルクを傷付けたコレを許すというのか?」


「ーーーーー」


「あるじさまかなしいと、じょおーさまもかなしい。そゆこと」


「む……」


クリスタルの意思を代弁する兵士の言葉に唸るレティシア。振り返れば、そこには縋るような眼差しを向けてくるマルクの顔がある。しばらく葛藤するように悩んだ末に、レティシアは根負けしたように溜息をついた。


「はぁ……わかった、貴様がそこまで言うのであれば従おう。好きにするがいい」


「レティシアさん……!ありがとうございます!」


「では、ふとどきものをおとどけー」


「あ、アイゼン様ッ!しっかりしてください!」


レティシアがアイゼンから手を離すと、クリスタルはそのまま彼を護衛達へと引き渡す。既にアイゼンは自力で立ち上がる気力すら無いようで、二人の護衛から両脇を支えられている。


「それを連れてさっさと失せろ。次は容赦せんぞ」


「こんかいはようしゃあった?」


「ないなー」


「やかましいわ」


「アイゼン様、参りましょう……」


「…………」


護衛達に連れられて、アイゼンは引き摺られるように去っていく。マルクはその背中を見つめて、ただ送り出すことしか出来なかった。


「…おい」


その時、アイゼンが掠れた声を絞り出す。肩越しに振り返った瞳は、真っ直ぐにマルクを睨み付けた。


「俺は、忘れんぞ。この仕打ち……必ず貴様にも味わわせてやる……!」


「……っ」


「あ、アイゼン様ッ!い、行きましょう!」


怨嗟の籠った捨て台詞を残して、アイゼンは慌てる護衛達と共に路地の暗がりに消えた。

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