罪と償い

「アレ……?何かお困り事でしたら、僕達で良ければ力になりますよ」


「この阿呆は、また安請け合いを……」


「あ、ああ、申し訳ありませぬ。これは既に過ぎたことでしてな、困っているというわけではございませぬ。しかし、お二人を見ているとつい、有り得たかもしれないもう一つの可能性を思案してしまいましてな……」


尋ねるマルクに、歯切れの悪い返事をするヴァシム。しかし、悩んでいる姿を見ておとなしくマルクが引き下がるわけもない。そんな彼の心境を見透かしたか、レティシアは溜め息をつきながら横目でヴァシムへと視線を向けた。


「まどろっこしい言い回しをするな。歯に小骨が引っ掛かったように気になるではないか。一体何を考えていた?」


「…いやはや、お二人には敵いませぬな。しかし、本当に過ぎ去ったことなのです。儂が考えていたのは、かの戦のことなのですからな」


「いくさ……ですか?」


「ええ。お二人は、かつて北方の地に存在していたイナーク=ディアート共和国との戦争は御存知ですかな?」


「は、はい……一応、起きていたこと自体は……」


それは、およそ二十年ほど前に先代国王の統治下に起きた戦争である。今でこそ王都は比肩する者無き大国となったが、当時は戦乱時代の真っ只中。世界のあちこちで戦火が大地を焼く中、王都は領地拡大が領民にとっての幸福に繋がるのだと信じ、北方の領地に接するイナーク、ディアートという二つの国と鎬を削っていた。


しかし、この二つの国の王子と王女の政略結婚により、二国は合併。強大な国となって王都に立ち塞がったのだった。


戦いは苛烈を極め、戦火は小さな村々にまで及び、火口にくべるように命が消えていく。争いを激化させた大きな要因が、創魔である。


現在でも船や荷車を引かせ、広大な農地を耕作させるなど、人々の生活に無くてはならない存在だが、そのように活用されているのは全体のごく一部。創喚される創魔のほとんどは、国家間の戦争に投入されているという。


「そんな……創魔が戦争の道具にされてるなんて……」


「相変わらず貴様の頭の中はお花畑か。尽きることのない無限の戦力だぞ。創喚術など、まさに兵器として打って付けではないか。それに、貴様は知っているはずだ。ただ破壊を目的に喚び出された創魔が、どれだけ危険な存在であるかを」


「あ……」


マルクの脳裏に、燃え盛る村の中で咆哮を上げるサラマンドラの姿が呼び起こされる。生物としての意思を持たず、ただ壊し、燃やし、喰らうだけの絶対的破壊者。それを兵器と呼ばずして、一体何と呼べばいいのか。当時の恐怖を呼び起こされたか、マルクは自身を抱きしめ、ぶるりと身震いした。


両国の創喚師である貴族によって喚び出された数多くの創魔は心を持たず、ただ純粋な兵器として利用された。創魔の中には、ただ凄惨に、より残酷に敵を殺戮する、人道に大きく外れたものすら存在したらしい。


創魔の投入によって戦争は激化の一途を辿り、両国に多くの犠牲と領地に深い傷跡を残したが、その争いに終止符を打ったのが王都の抱える守護者と呼ばれる創喚師達の存在であった。彼らの活躍により共和国は消滅し、王都の存在は絶対的なものとなったのだ。


だが、その頃には何もかもが遅すぎた。


「戦争は終わり、一見して平和が訪れたようにも見えますが、国は未だに領地の復興に追われ、戦後各地に領主として配置された貴族達は、王都の目が届かぬことを良いことに悪辣極まる暴政を振るっていると聞いております」


そんな領主から逃れた大勢の人々は仕事を求めて王都へとやってきても、仕事が無い。彼らはスラムに転がり込み、僅かばかりの日銭は酒と博打へと消え、酷い生活環境から病に冒されて倒れていく。その結果、残されたのは学も希望も持たない子供達であった。


「じゃあ、ここにいる子達は……」


「皆、同じような境遇の子達ばかりです。儂は、儂が生きた時代に溜まった膿を被らせてしまったこの子達のために何か出来ることはないかと思い、ここで読み書きを教えておるのです」


ヴァシムは瞳を細め、慈愛の籠った眼差しで広場を駆け回る子供達を見つめる。大きな身体を持つ彼だが、今はなんとなくその背中が弱々しく見えた。ヴァシムは深い溜め息をついたかと思えば、自嘲するような笑みを浮かべた。


「しかし、このようなことをしても、将来全ての子達が救われるとも限りませぬ。所詮は、儂の独り善がりやもしれまぬな」


「そんなことないですよ!」


突然椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がるマルク。その音に気付いたか、遊んでいた何人かの子供達が立ち止まって何事かと視線を向けた。


「マルクさん……」


「僕はヴァシムさんのこと、凄い人だと思います!だって、そんなの誰でも出来ることじゃありませんよ!子供達もヴァシムさんの気持ちはわかっていると……ぁっ」


「あまり興奮するな。貴様の体調は万全ではないだろうが」


これまでの疲労がどっと押し寄せたか、唐突に膝から力が抜けてしまったマルクを支え、椅子に座らせるレティシア。そして、彼女は驚いた表情のまま固まっているヴァシムへと視線を向けた。


「我は長らく流れゆくヒトの時代をこの目で見てきたが……善であれ悪であれ、どうしようもない愚かさも全て含めてヒトの営みだと思うがな。矮小な貴様の行動一つで全てがより良い方向に向かうとは言わん。だが、いかなる大河とて、まずは誰かが一石を投じてみなければ流れなど変わりようがあるまい?」


「ホッホッホッ……もしや、元気付けてくれているのですかな?」


「コレがそう願っているのでな。我は合わせただけだ。だが、思い上がらぬことだ。驕り高ぶった者ほど、その最期は惨憺たるものだからな。それはコレも望むまい」


「ええ、ええ。心しておくとしましょう。儂にはまだまだ、やらねばならぬことがありますからな」


椅子に寄りかかり、建物に遮られて狭い空を見上げるヴァシム。その微笑みを浮かべた表情は、どこか憑き物が落ちたように見えた。


その時、どこか遠くから届く教会の鐘の音が広場に響き渡った。それは街に夕刻の訪れを報せるものであった。


「おやおや、もうこんな時間か。楽しい時間は本当に進むのが早い。有意義な時間でしたが、そろそろお暇しなければ。皆、帰る時間だよ」


「はーい!」


「先生、また明日な!兄ちゃん達も、また来てくれよ!」


「う、うん……」


ヴァシムの一声を合図に、子供達はマルク達へと手を振りながらぞろぞろと路地裏へと去っていく。あれだけ賑やかだった広場が静寂に包まれるのは、まさにあっと言う間であった。


「では、儂も失礼しますぞ。あまり遅くなると家の者が心配してしまいますのでな。お二人はどうされますかな?」


「うーん……僕達はもう少し暗くなってから動こうと思うんですけど……」


「それがいいだろう。暗闇に紛れた方が動きやすいからな」


夜ともなれば一日の仕事の疲れを削ぎ落とすために繁華街には人々で溢れるだろう。その人波に紛れてしまえば、アイゼンも簡単にはマルク達を見付けることは出来なくなるはずだ。


「それであれば、ここをお使いくだされ。儂の魔法もまだしばらくは持つでしょう」


椅子から立ち上がったヴァシムは、子供達が去った路地とは別の方向へと向かって歩き出した。


「ありがとうございます、ヴァシムさん。お気を付けて」


「いやいや、それはこちらの台詞ですよ。レティシアさんもお元気で」


「ふん……さっさと行ってしまえ」


「ええ、それでは。お二人とは、またテーブルを囲んでお話ししたいものですな」


マルク達に先立ち、ヴァシムは杖をつきながら緩慢な歩みで出口へと向かっていく。その時、彼は思い出したように足を止めてマルク達を振り返った。


「儂の新しい話仲間に、年の功というわけではありませぬが一つお伝えしておきましょう。相手を気遣い、真意を胸中に押し留めるのも優しさでありましょうが……相手を信じながらも伝えられぬというのは、それはそれで辛いものですぞ。伝え難い言葉だからこそ、互いに打ち明ける。それが、真の友ではありませぬかな?」


「えっ……?」


「…………」


「ホッホッホッ、それでは」


そんな言葉を言い残し、ヴァシムは路地の暗がりへと消えていった。


その小さな背中を見送るマルク達。夕刻が近付いているのか、周囲の薄闇が少し濃くなってきたような気がする。そんな中、マルクは少し気まずそうな表情でレティシアを見上げた。


「あ、あはは……不思議なお爺さんでしたね?」


「…貴様は気付かなかったか」


「えっ……?」


意味深な台詞を口にするレティシアに、マルクは首を傾げる。


「気付かなかったって、何をですか?」


「あの爺が去った瞬間、周囲から複数の反応が消えた。恐らく、護衛を引き連れていたのだろうな」


そう語るレティシアの瞳には、不思議な紋様が浮かび上がっていた。それはマルクがレティシアに複数搭載させた機能の一つ、生体感知レーダーである。たとえ視覚では見えなくとも、レティシアには一定範囲の生物の存在を察知することが出来た。


何処に隠れていようが、レティシアには何もかも丸見えだ。彼女の言う通り、マルクの気付かぬところに潜んでいた者達が居たのだろう。


「あの爺、ただの物好きな好好爺ではないとは思っていたが……二度と顔を合わせたくないものだな」


「そうですか?確かに不思議な人でしたけど、凄く優しい人でしたよ。僕達に危害を及ぼすようには……」


「用心するに越した事はない、ということだ。だが、安心するがいい。何があろうとも、貴様はこの我が守ってやる」


「もちろん、レティシアさんのことは信頼してますよ。でも、出来ればレティシアさんにも危ない目には遭ってほしくないです。もし、レティシアさんまで居なくなったら……わぷっ!?」


隣に立つレティシアから突然の抱擁。深い谷間の中へと顔を埋めながら、マルクは困惑しながら彼女を見上げた。


「れ、レティシアさん……?」


「言ったはずだ。我は貴様を孤独から守ってやると。貴様を置いてこの我が死ぬと思うか?」


レティシアの言葉から伝わってくる確固たる意志。マルクによって与えられた最強と言って申し分無い身体と自信、そしてマルクとの揺るがぬ友情が彼女にそう言わせるのだろう。


「我は貴様を守る。傷一つ付けさせてなるものか。貴様はただ、安心して我の隣にいればいい。いいな?」


「…はい。ありがとうございます、レティシアさん」


強くて、優しいレティシアの腕がマルクを抱き締める。他の人に向けられることはない、優しい眼差しがマルクを見下ろしている。


レティシアの庇護下にいれば、きっと彼女が全て何とかしてくれる。しかし、マルクは少し複雑な気分だった。


絶対に守るというレティシアの気持ちは痛いくらいわかる。彼女の庇護下にいれば、何一つ心配することはない。全て彼女が片付けてくれるだろう。


だが、それは本当に友人という関係だと言えるのだろうか。友人という看板を盾に、ただ都合良く彼女を扱っているに過ぎないのではないだろうか。


疑問に思っても、それを口に出す勇気は無い。マルクにとってレティシアは初めての友人であり、かけがえの無いない存在だから。ほんの一言、それによって生じる軋轢が今の関係を壊してしまわないか、マルクは不安だった。


「さて……その約束を、早くも果たすことになりそうだ」


「えっ?それって、どういう……」


「見つけたぞ、ネズミ共……!」


レティシアがマルクから離れた瞬間、怒気の籠った声が響き渡る。驚いてマルクが視線を向けた先には、怒りに燃えるアイゼンの姿があった。

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