窮地

「あ、貴方は……っ」


「俺から逃げ切れると思ったか、バカめ。よもや、こんなクズ共の掃き溜めまで逃げ込んでいるとは思わなかったがな。俺の手を煩わせたこと……万死に値するぞ」


不敵な笑みを浮かべるアイゼンが広場に足を踏み入れると、その背後からはゾロゾロと護衛達が姿を現す。逃げる暇もなく、忽ちマルク達は逃げ道を塞がれるように取り囲まれてしまった。


暗くなるまで潜伏するつもりが、とんだ大誤算だ。踏み込まれたのがヴァシム達が去った後であったことが唯一の救いか。


「ど、どうしてここに?入口はわからないようになっていたはずじゃ……」


「ああ、おかげでかなり時間を食わされた。だが、案内役さえいれば、あんなもの子供騙しに等しい。よく出来た呪いではあったがな」


「案内役……?」


嫌な予感を覚えるマルク。その不安を見透かし、肯定するかのようにアイゼンは笑みを深める。


「ああ、苛立つほど威勢の良い案内役だ……おい、見せてやれ」


「はっ……さぁ、こっちに来い!」


「うあ……っ!?」


アイゼンの背後から現れた護衛の男。彼の腕には、マルク達をここまで案内した少年が捕われていた。


「キミは……!」


「わ、悪い、兄ちゃん達……見つかっちまった……」


少年の声は弱々しく、顔や手足に打撲のような痕が見受けられる。捕まっただけではなく、マルク達の逃走を幇助したことで怒りの一端を受けることになったのだろう。


「離してあげてください!その子は何も関係ないじゃないですか!」


「貴様は曲がりなりにも貴族なのだろう?あまり小悪党のような真似はするものではないと思うがな」


「黙れッ!大衆の面前でこの俺を貶めたお前達に報復出来るのなら、多少の体裁など知ったことか!二度とそのような減らず口を叩けないようにしてやる!」


相当な恨みを買っているだろうとは思っていたが、よもやここまでとは。人質を取られ、現状がアイゼンの優位にある以上、もはや交渉など聞き耳も持たないだろう。


「ほう、面白い。やってみるがいい。数で押せば、この我が倒せるとでも思ったか……!」


「う、うう……っ」


レティシアの身体が光に包まれたかと思えば、一瞬にして完全武装の姿で顕現する。圧倒的不利を消し飛ばすほどのレティシアの発するプレッシャーの波を受けて、マルク達を取り囲む護衛達から恐怖を滲ませるどよめきが洩れた。レティシアの言う通り、彼女に大の大人が束になって掛かったところで倒すことなど出来はしない。文字通り片手で捻られることになるのは火を見るよりも明らかだろう。


「ああ、それは同感だ。俺も最初からコイツらに期待などしていない。だが、これでも同じ口を叩けるか……?」


「ひっ……!」


アイゼンの言葉の後、捕われた少年の首筋に、護衛役が持つ冷たい剣の刃が押し当てられた。人質を前にしては、レティシアの圧倒的武力も無為と化してーーー


「はっ、それがどうした。人質のつもりだろうが、元よりソレと我々は全くの無関係だ。何の脅しにもならんな」


同じような状況に陥れば歴戦の勇士でも多少なり反応を示すものだが、予想外にもレティシアは全く動じない。武装解除などするつもりは微塵もなく、余裕のある笑みを絶やさない。そんなレティシアとは逆に、捕われた少年の表情は痛々しい絶望へと変わった。


「き、貴様正気か!?こっちは本気だぞ!」


「脅す側が気圧されてどうする、馬鹿め。人質を活かすつもりが無ければ初めから人質など取るな」


動揺する護衛役に対して、レティシアは呆れたように言い放つ。レティシアの強さは、彼女がアイゼンの創魔を倒した瞬間を目の当たりにしている護衛達は嫌というほど理解しているだろう。


人質という優位性が生きなければ、レティシアの前に丸腰で対峙しているのと変わらない。数では圧倒的優位に立っていたはずのアイゼン側に、明らかな動揺が伝播していく。


だが、それでもアイゼンだけは冷静であった。


「ほう、面白い。ならば、このゴミの喉笛掻き切って同じ顔が出来るか見てやろうではないか」


レティシアと同じく、アイゼンも人質の命に関心など無かった。ただ有用と思われたから連れてきたのであって、人質として無価値であるのならば切り捨てることに何ら躊躇いを持たなかった。


「やってみるがいい。その瞬間、貴様ら全員血達磨にしてくれる」


「ああ、見せてやるとも。虚勢を張った結果、後悔するお前達の顔が見ものだな。おい、やれ!」


「は、ははっ……!」


孤児とはいえ、命を奪うことに抵抗感を覚えていた護衛の男だったが、主人の命とあれば抗うことなど出来はしない。


「や、やだぁあああーーーーーッ!!」


少年の悲痛な叫びが路地裏に響き渡る。無垢な肌に押し当てられた刃に力が込められ、薄皮が破れて僅かに鮮血が流れる。あと少し力が込められれば、少年の首からは真っ赤な血花を咲かせーーー


「も……もうやめてくださいっ!」


そんな光景を前に、優しいマルクが黙っていられるはずもなかった。マルクは声を上げ、身構えていたレティシアの腕にしがみつく。


「ごめんなさい、レティシアさん。僕……僕は……っ」


「…はぁ。相手の脅しに引いては負けだぞ、マルク。いや、貴様にしてはよく堪えたと言うべきか」


溜息混じりに呟いて、レティシアは臨戦態勢を解除。初めからレティシアに人質を見殺しにするつもりはなかった。相手の動揺を誘い、あわよくば人質救出と同時にアイゼン達を叩きのめすつもりだったのだが、今回ばかりは相手が悪い。初めから人質の命を捨て駒程度にしか見ていなかったアイゼンとは、初めから交渉になるはずもなかった。


「なんだ、結局折れるのか。街からゴミを一つ駆逐する良い機会だと思ったのだが、時間の無駄だったな」


「見ての通り、僕達は抵抗しません!ですから、早くその子を離してあげてください!」


「それを決めるのは俺だ。降伏しておきながら図々しく要求するな。おい、目障りだ。ゴミを連れて下がっていろ。逃がすなよ」


「はっ!」


少年を捕縛する護衛の男がアイゼンの後ろに下がる。外観的状況は全く変わっていないが、マルクの行動によって人質の価値が大きく変わった。人質がいる以上、マルク達は何一つ抵抗出来ないという事実が明確となってしまったのだ。


「さて、どうしたものかな。このまま生意気な口が利けなくなるまで嬲り倒してもいいのだが、そこの女は無駄に頑丈そうだ」


「では、あのガキの方を痛め付けては?目の前で痛ぶってやれば、あの女も跪いて泣いて赦しを……ごはっ!?」


耳打ちした護衛の男をアイゼンは間髪入れずに殴り倒す。血反吐を吐き、地面に倒れた男を一瞥することなくアイゼンはマルク達へと向き直る。


「俺の楽しみに口を挟むな。手の込んだ自殺がしたければ自分だけでやれ、馬鹿が」


アイゼンは本能的に察知していた。マルクを直接害することは、レティシアを繋ぎ止める鎖を外すことと同義。マルクの命が奪われた瞬間、レティシアは人質などお構い無しに暴走を始めるだろう。そうなれば、数分と経たずこの場に物言わぬ骸が積み上げられることになるのは目に見えていた。


ならば、まずは狂犬に首輪を付けておくべきか。マルク達の関係性を見抜いたアイゼンは右手をポケットに捻じ込んだ。


「僕達をどうするつもりですか……?」


「お前達に報復する手段は幾らでもあるが……俺にも創喚師としての矜持がある。この俺の創魔が何処の馬の骨ともわからんお前の創魔に劣っていると思われるのは気分が悪い」


そう言いながらアイゼンがポケットから取り出したのは、手の平サイズほどの金色に輝く宝玉。街中で彼が見せた創魔を喚び出したものとは違う、明らかに異質な気配を放っている。


「それは……!」


「さぁ、刮目するがいい!鮮黄の城、黄金郷の守護者よ!我が命に従い、現れ出でよ!ゴールドタイタンッ!」


創喚の輝きが宝玉を包み込み、荒ぶる大気と瞳を開けていられないほどの眩い閃光が頭上に収束していく。光は子牛、車、小屋と徐々にその規模を増し、広場から望む空を覆うように広がっていった。


一体、どこまで膨張を続けるのか。誰もがそう思った直後、収束する光と共に大地に降り立つ巨大な影。視界を覆っていた両手を離し、目の前の光景を目の当たりにしたマルクは呼吸すら忘れて絶句した。


「あ、ああ……っ」


そこに存在していたのは、大地を踏み締めて立つ黄金の巨躯であった。古代ローマの時代を彷彿とさせる肩掛けのローブを纏う壮年の男性を模した姿は剣等といった武器を手にしてはいないものの、超重量の手足は無造作に振るうだけであらゆるものを粉砕するだろう。


本当に見えているのか、ただ嵌め込まれただけの無感情の瞳が不気味にマルク達を見下ろしていた。

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