二度目の創喚

「お、お前達……よくも、よくも俺のゴールドブランドを……!」


その時、ようやく我に返ったのかアイゼンが怒りに満ちた瞳を向けてくる。人間はここまで憤怒出来るのかと思うほどに、今の彼は怒髪天を突く勢いで怒り狂っていた。


「あ、ありゃ間違いなく創魔だぞ!ってことは、あのガキも貴族ってことか……?」


「お、お前、殴ってたよな?俺は止めようとしたからな!一切関係無いからな!」


「ふ、ふざけんなテメェ!俺だって知ってりゃ手なんか出すわけねぇだろうが!全員同罪だ!」


「喧しいぞ、愚か者共!」


創喚術を扱えるのは貴族のみ。その一般常識のせいか、盛大に勘違いをして醜い言い争いを始める近衛兵達をアイゼンは一喝した。


「この俺が、何処の馬の骨ともわからん家柄の輩に……!この俺を誰だと思っている!?俺はーーー」


「お、お待ち下さいアイゼン様!」


その時、近衛兵の一人が焦ったように唐突にアイゼンの言葉を遮った。


「大衆の面前で名乗ることは決して許さぬという御当主の御言葉をお忘れですか?一度落ち着かれてーーーぐはッ!?」


「そのようなこと、言われずともわかっている!いちいち指図をするな痴れ者がァッ!」


理由はよくわからないが、さらに怒りのボルテージを上げて諌めた近衛兵を八つ当たりのように殴り付けるアイゼン。しかし、これで彼の怒りが収まってくれるわけもなく、アイゼンは再びマルク達へと怒りの矛先を向けた。


「こんなことが、こんなことが許されてなるものか!お前のような輩に、この俺が敗れるはずがない!あってたまるものかァッ!」


「ひ、ひぇ……っ」


「貴様は顔を出すな。アレの悪意は少々刺激が強すぎる」


特に、レティシアの創喚者として認識されたマルクに対する敵意は凄まじい。その形相に完全に気圧されたか、恐怖するマルクの腕を引き、レティシアは自身の後ろへと押し込んだ。


「さて、これからどうする?まだ続けるというのであれば構わんぞ。恥の上塗りにならなければいいがな」


「創魔如きが俺にふざけた口を叩くな!お前達、奴らを斬り捨ててしまえ!」


「は、はいぃぃっ!?相手は平民とは違うのですよ!?そのようなことをすれば一大事に……!」


「この街で俺より高貴な者がそうそう居てたまるものか!理由など後から幾らでも作れる!それとも、お前達が奴の代わりに首を飛ばされたいか!?」


「う、ううう……お、お前達、やるぞ!こうなればやぶれかぶれだ!」


「お、おおおっ!」


「阿呆どもめ……」


もはや進退極まった近衛兵達が一斉に武器を抜く。アイゼンの創魔を一撃で葬ったレティシアに近衛兵達が敵うはずもないことは自明の理だが、彼の高すぎるプライドがアイゼンの冷静な判断力を失わせているらしい。


「やれやれ……自暴自棄の輩相手にこれ以上は付き合いきれんな。マルク、何かこの場を凌げるものを描け」


「え、ええっ!?そんな、いきなり言われても……!」


さすがにこれ以上は過ぎた行為だと思ったのか、今後の対応をマルクへと丸投げするレティシア。ここまでぐちゃぐちゃになった状況から脱することは並大抵のことではないだろう。


「早くしろ、このような密集した場所で飛ぶわけにもいかん。奴らの動きを止められるなら何でもいい」


「簡単に言わないで下さいよ!こっちはただでさえ調子悪いんですから……!」


食欲不振と寝不足による纏わりつくような気怠さのせいで、今のマルクは本調子ではない。描こうとしたところで筆はろくに進まず、大したものは出せないだろう。


「何でもいいと言っているだろう。それとも、殴られた報復に奴らの顔面を陥没させて欲しいのか?貴様が望むのであれば、我はそれでも構わないが」


「そ、それだけは絶対にダメです!描きます!描きますから絶対にダメですよ!」


レティシアに焚き付けられ、マルクは魔導書とデッサン用に細く削った炭を手に取る。だが、案の定というか、やはり思考に霞が掛かって全く手が動かなかった。


「お前達、覚悟するがいい!その首を斬り落として酒樽に漬け込んでくれる!」


「おい、来たぞ。描いた後に名を呼ぶのを忘れるな」


「わかってます!わかってますよ!もう……んんんっ!」


向かってくる近衛兵達。もはや猶予は一秒も無い。笑みを浮かべながら急かすレティシアに、マルクは絞り出すように紙面へ炭を走らせた。


描いたのは、絵とも呼べないような雨後の水溜まりのような歪な円。そこからさらに描き足すかと思いきや、マルクは炭を置いた。


「おい、もう完成か。久々の完成画にしては手抜きが過ぎるのではないか?」


「何でもいいって言ったじゃないですか!名前、名前、ええーっと……ぬ、ヌルヌルスライム!」


呆れたようなレティシアの言葉に晒されながら、マルクは描いた絵に授ける名前を叫ぶ。直後、ポフンという気の抜けたような音と共にマルクの目の前の地面にバレーボールほどの大きさのプルプルした半透明の粘液の塊が現れた。


「くはははっ!なるほど、確かに不調らしい。では、逃げるとするか」


「うわぁッ!?お、お願いしますねスライムさん!」


レティシアはマルクを抱え上げると、反転して一目散に駆け出した。取り残されたスライムはマルクの言葉に応えるかのようにプルプルと震えたかと思えば、そのまま形状を失って溶けるように地面に広がった。


「逃すものかぁああッ!!」


マルク達を追ってさらに踏み込む近衛兵達。その時、彼らの足がスライムの広がる濡れた地面を踏み付けた。


「おおおおッ!?」


「な、なんっ、うわぁあああーーーッ!?」


その瞬間、ぐるりと近衛兵達の視界の中で反転する天地。スライムによって覆われた地面の摩擦は限りなくゼロに近い。そんな危険地帯に思い切り踏み込んだ彼らは、わけもわからないまま真っ青な空を見上げーーー


「おぐううぅぅッ!?」


「ぎゃあああッ!?」


仲間同士で折り重なりつつ、盛大に身体を地面に強打することとなった。


「な、何をやっているお前達ィッ!お、おのれェッ、絶対に草の根分けてでも探し出してくれる!覚悟しておけッ!」


「くはははっ!よくやったマルク!後で存分に愛で倒してくれる!」


「そ、そんなこと言ってる場合じゃないですよ!これからどうするんですか!?」


アイゼンの怨嗟の叫びを背に逃走するマルクとレティシアだったが、状況はそれほど好転してはいない。アイゼンは言葉通り、使える人員を総動員させてマルク達を捜索するだろう。


リカルドの屋敷までは遠く、ほとぼりが冷めるまで何処かで匿ってもらおうにも好き好んで貴族との諍いに首を突っ込みたい酔狂な人物などいるはずもない。これからどうするべきなのか、マルクは働かない頭に鞭打って思案するーーーその時であった。


「兄ちゃん達、こっちだ!」


「え……っ!?」


マルクが声のした方向へと顔を向けると、路地裏から顔を出して先程の兄妹が手を振っていた。


「あれは先程の……どうする、マルク?」


「どうするって……」


レティシアは足を止め、二人揃って後方を振り返る。その視線の先では、粘液に塗れた近衛兵達が大衆からの奇異の眼差しに晒されながら必死の形相で追い縋ってきていた。


「悩んでる暇は無さそうだな」


「そうですね!行きましょう!」


二人は同時に頷くと、兄妹達に続いて薄暗い路地裏の中へと飛び込んだ。

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