逃走の果てに

マルク達が少年に誘われるまま足を踏み入れたのは、建物に遮られ、太陽の光も届かない薄暗い路地裏であった。人気は無く、冷たく湿った空気は少しカビ臭い。長く手入れされていないのだろう石畳の隙間からは雑草が伸び、狭い小道の脇には時折空になった酒瓶と共に地面に転がって泥酔している男の姿と路地の影からマルク達を見つめる複数の視線があった。


ここはまさに、光に満ちた賑やかな街の裏に潜む影。路地はまるで迷路のように入り組んでおり、同じような景色は自分が今何処にいるのか把握出来なくなる。恐らく、追ってきていた近衛兵達もマルク達を見失ったことだろう。


「さっきはありがとう。おかげで助かったよ」


「礼を言うのはこっちの方だよ。おかげで俺も妹も怪我しないで済んだんだから。ここまで来れば、奴らも追っては来れないはずさ」


マルクが声を掛かると、肩越しに振り返って笑う少年。マルクよりも一回り小さい少年は、一切迷うことなく路地裏を突き進んでいく。


「それで、一体何処へ向かっている?連中を撒いたのならば、こんなところに用はないのだが」


「俺の先生のところさ。理由を話したら、奴らが諦めるまで休んでもらえって。貴族って奴は執念深い奴ばかりだからさ。もう少し隠れといた方がいいって」


「先生……?」


「おう。俺みたいな子供に読み書きを教えてくれてる物好きな爺さんだよ。まぁ……居眠りしたりすると杖でぶっ叩いてくるような厳しい人だけど」


「ええ……怖……」


少年の話を聞く限り、その先生と呼ばれる人物は少々過激派ではあるが悪い人間ではないらしい。当然、顔を合わせてすらいないその人物乗り越え申し入れを手放しに信用するわけにはいかないが、アイゼンがこのままおとなしく引き下がるとは思えない。その人物の言う通り、ほとぼりが冷めるまで厄介になった方が賢明だろう。


「ところでさ……もしかして、兄ちゃんって貴族なのか?」


「えっ?ち、違うけど……」


困惑しながら、マルクは少年の問い掛けに答える。リカルドが用意した服装とはいえ、見た目はそれほど高級感のあるものではない。そうでなければ、人目を引きすぎて街を出歩くことなど出来ないだろう。


「くはははっ!コレのぽやっと平和ボケした面がそのような高尚に見えるか?コレは貴様と何ら変わらん平民だぞ。せっかくだ、からかいのタネに聞いておくとしよう。何故そう思う?」


「だって、姉ちゃんって人間じゃないんだろ?貴族の連中が連れてる化け物と同じだと思ったから……」


「……ほう」


その瞬間、微笑みを浮かべたレティシアの口元がヒクついた。


恐らく、少年はレティシアが創魔なのでは、ということを言っているのだろう。創喚師というものに馴染みのない彼にとって、創魔は外の世界に蔓延る魔物と何ら違いは無い。創魔のことを化け物と呼ぶのも仕方の無いことだろう。


だが、レティシアを相手にその言葉はあまりにも直球過ぎる。兎を狩るのにミサイルを持ち出すほど情け容赦の無いレティシアだが、今回は相手が子供とあって水際のところで自制心を保っていた。


「…ふ、ふふふ……目の付け所が良いな、小僧。そのとおり、我はーーー」


「違うよ」


激情を必死に押し殺すレティシアの言葉を遮り、マルクはハッキリと言い放つ。世間一般の認識がどうあれ、マルクは少年の言葉を肯定することは出来なかった。


「でも俺、見たぞ。その姉ちゃんが金ピカの鎧をその尻尾でブッ刺して殴り飛ばしたところ。そんなの絶対人間じゃ出来ないじゃないか」


「キミの言う通り、レティシアさんは普通の人間じゃないよ。でも、レティシアさんは化け物でも、創魔でもない。レティシアさんは僕の……大切な友達なんだ。キミが妹さんを大切に想うのと同じくらいにね」


周りから何と言われようとも、この考えは絶対に揺らぐことはない。普段の引っ込みがちなマルクからは考えられないハッキリとした口調に驚いているのか、レティシアも口を挟むことが出来なかった。


「友達……そういう関係もあるんだな。ごめん、兄ちゃん。俺、兄ちゃんが貴族の仲間だと思って……」


「謝るなら僕じゃなくて、レティシアさんに。このくらいのことじゃ気にしないと思うけど」


「う、うん。ごめんな、姉ちゃん」


「…気にするな。コレの言う通り、その程度のことでは我の心に小波一つ立てられん。それより、さっさと案内しろ。こんなカビ臭いところにいつまでもいられん」


「おう!もう少しで着くから、遅れずについて来いよな!」


大きく頷き、少年はマルク達の前に立って再び歩き出した。


「レティシアさん、もう少しですって。僕達も早く……わっ!?」


マルクが少年を追って歩き出したその時、レティシアが彼の首に腕を回して引き寄せる。脇に抱えられ、レティシアの柔らかく豊かな胸にマルクの顔半分が押し付けられた。


「ど、どうしたんですかレティシアさん?あ、歩きづらいですよ……!」


「気にするな。我が親愛なる可愛らしい友にほんの褒美だ。ありがたく享受するがいい」


「で、ですから歩きづらいんですって……!」


抵抗も虚しく、されるがままにレティシアから頭を撫で回されるマルク。どうやら、今の彼女はかなり御満悦らしい。何故レティシアの機嫌が良くなったのか、その理由は純真なマルクには理解出来なかったようだが。


「着いたぞ、兄ちゃん達」


そんなやり取りを挟みつつ、幾つかの角を曲がり、時に塀を乗り越え屋根を伝ったところで、不意に少年は足を止めた。


そこは、三方を高い壁に囲まれた何の変哲も無い袋小路。両腕を広げた程度の幅しかない通路の先にあるのは、地面に転がる乱雑に散らかるゴミと薄汚れた壁である。何処かに繋がっているような穴も無く、少年の言う先生や他の子供達の姿すら見当たらなかった。


「着いたって……何も無いよ?」


「何言ってんだよ。ほら、こっちだって」


「ちょ、ちょっと……!」


困惑するマルクを他所に、少年はさっさと袋小路に向かって歩き出した。まったくもってわけがわからず、立ち尽くすマルク。そこへ、その隣を擦り抜けながらレティシアがマルクの手を取った。


「せっかく招待してくれているのだ。待たせるのは野暮というものだぞ。さぁ、早く来い」


「レティシアさんまで何を言って……ちょ、ちょっと!?」


マルクの手を引き、歩き出すレティシア。彼女の力の前では、貧弱ボディのマルクでは抗いようもない。薄暗い壁に向かって真っ直ぐに進んでいく三人。このまま向かったところで、ただ壁に顔をぶつけてしまうだけーーーそう思われた。


「わぷ……っ!?」


その瞬間、唐突にマルクの顔が分厚い空気の層にぶつかった。思わぬ出来事に瞳を閉じるマルク。それとほぼ同時に、彼の手を引くレティシアの足が止まった。


「着いたようだぞ、マルク。そら、目を開けてみろ」


「えっ……?」


レティシアに促され、恐る恐る瞳を開くマルク。そこには、思わぬ光景が広がっていた。

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