絢爛の貴族

それは、マルクよりも二回りは年上だろう青年であった。短い金髪は艶があり、すらりと背が高く、いかにも美青年といった顔立ちだが、傲慢さが見え隠れする紅玉色の切れ長の瞳はどこか近づき難い雰囲気を醸している。


その身に纏う赤を基調とした絹の服は一般庶民には到底手の出ない高級品であり、これでもかと宝石を散りばめたピアスや腕輪といった装飾品を見る限り、それらをこれ見よがしに身につける彼は、相当な権威を誇る家柄の生まれであることは容易に想像がついた。


「平民相手に何を手間取ってる。さっさと片付けろ。オークションに間に合わないだろうが」


「は、はっ、申し訳ありません、アイゼン様。この者達が妨害を……」


「ふん……平民の女子供相手に泣き言か。お前達に支払ってる高い給料はこういう時に役立つためだろうが。おい、いつまで寝てる。邪魔だ」


「ぐっ……!」


足下に転がる近衛兵を路傍の石でも退けるように蹴り、アイゼンと呼ばれた貴族はマルク達へと歩み寄ってくると、まるで品定めでもするかのように足先から頭の先まで眺めてきた。


「ふん……どんな身の程知らずの輩かと思えば、見窄らしい子供と女ではないか」


「貴様がこの不埒者共の飼い主か。躾がなっていないようだな。この責は貴様に問うべきか」


「ちょ、ちょっとレティシアさん……!」


顔を青くしてマルクの心配を他所に、貴族を相手に堂々たる物言いをするレティシア。場合によってはこの場で斬り捨てられてもおかしくない言動だが、並の刃では傷一つ付かない彼女には貴族の権威など微風にも等しいらしい。


「はっ、身分は卑しいが度胸だけはいいらしい。その太い度胸に免じて話だけは聞いてやろう。この俺に何の責を問おうというのだ?」


「恍けるな。貴様がこのようなところで馬車など走らせたおかげで、幼児を庇った我が友が貴様の飼い犬に殴られ怪我を負わされている。自身に非があると思うのならば、頭の一つでも下げてはどうだ?」


「非だと?この俺に非があるというのか?はっ、何を言い出すかと思えば……笑わせるな」


「なんだと……?」


まるで何を言っているのかわからない。そう言いたげにアイゼンは不敵な笑みを浮かべてみせた。


「この俺が何をした?庶民を轢いてやろうと思っているわけでもなく、ただ目的地に向かって馬車を走らせていただけだ。非があるとすれば、突然馬車の前に躍り出た子供とお前の連れに問題があるとは思わないか?そのおかげで、俺の雇い入れた御者が負傷し、俺もまた無駄な時間を食わされている。頭を下げるのならばお前達の方だろう」


「で、ですが、もしも女の子を轢いてしまっていたら大変なことになってましたよ。馬車を走らせるなら商店街じゃなくて大通りを走らせるべきなのでは……」


「やれやれ……そもそも、お前達は勘違いをしているようだ。まさか、俺とお前達庶民の命が同等だとでも思っているのか?」


「……えっ?」


一体何を言っているのか、信じられないと言った表情で固まるマルクに、アイゼンはさらに言葉を続ける。


「あの子供のボロ切れのような服から察するに、大方貧民街から這い出してきた貧乏人だろう。いつ野垂れ死ぬかもわからないようなゴミが一人や二人死んだところで何も変わりはしない。そのような至極当然の事実をわざわざこの俺の口から言わせるな」


アイゼンの予想は事実だろう。兄妹の服はあちこちほつれ、修繕した痕跡が幾つもあった。だが、その言い分に納得出来るはずもない。


「いいかげん、その不遜な頭でも理解出来ただろう?それならばさっさと道を開けーーー」


「違う……」


「マルク……?」


アイゼンの言葉を遮るように、マルクが呟く。ここで反論するとは思わなかったのか、レティシアが視線を下ろすと、そこには普段の温和な雰囲気を一変させ、怒気を纏いながらアイゼンを睨み付けるマルクの姿があった。


「…僕は、貴族と平民の関係は仕方の無いことだと思っています。それぞれに果たさないといけない役割があることは、よくわかっているつもりです。だけど、身分の差が命の価値を決めるものじゃないと思います」


「ほう……何が言いたい?」


「僕が言いたいのは、貴方の言うことは間違っているということです!」


目の前で愛する人達を奪われたマルクには、ただ身分が低いだけで命を無価値だと断じるアイゼンの言葉に納得出来るはずがなかった。あの幼い兄妹にも、彼らを大切に思う人々がいるはずなのだから。


「くはははっ!よく言ったマルク、それでこそ我が友だ。ここで奴の言葉に迎合し、頭でも下げていれば拳骨を見舞ってやったところだ」


「ええ……」


マルクの頭を撫でながら豪快に笑うレティシア。彼女の拳骨など受けた日には、ただでさえ低い身長がさらに低くなるところであった。マルクは背中に冷たい汗が流れるのを感じたが、それはレティシアの言葉だけによるものではなかった。


アイゼンがマルク達へと向ける眼差しに刺々しいまでの敵意が混じる。貴族である彼にとって平民とは支配するものであり、敬いと畏れを向けられることはあれど、こうして真っ向から自身に歯向かう存在を目の当たりにしたのは初めてのことなのだろう。


「ほう……おとなしく頭を下げるどころか、この俺に意見するか。それが本来地に頭を擦り付けるべきお前達の答えか?」


「あ、う……え、えっと……や、やっぱりちょっと僕達が謝罪するのはちょっと違うような……なんて。さ、幸いにも誰も怪我してませんし、この辺りで終わりにーーー」


「何を言っている、マルク。お前は奴の配下の者に殴られているだろうが。ここは飼い主である奴に頭でも下げさせねば我の気が収まらん。ほら、見てやるからさっさとやれ。貴族様らしい威風堂々とした謝罪をしてみせろ」


「れ、レティシアさんッ!?」


アイゼンの気迫に圧されながらも、なるべく穏便に済ませようとするマルクの考えとは裏腹に、歯に衣着せぬ物言いで煽り散らかしていくレティシア。その瞬間、貴族としての威厳を保とうとしていたのだろう、平静を装うアイゼンのこめかみに青筋が浮かんだ。


「…おい、予定変更だ」


「は、はっ……?」


困惑したような表情を浮かべて直近に立つ近衛兵がアイゼンへと視線を向ける。そこで目の当たりにしたのは、完全に頭に血が昇り、怒り心頭といった今のアイゼンの鬼気迫るような形相であった。


「この愚か者共を粛清する。憲兵には馬鹿二匹が襲撃してきたが故に手討ちにしたと言っておけ!」


「お、お待ち下さいアイゼン様!それはさすがにーーー」


「ええい、どけェ!木端如きが俺に指図をするなァッ!平民風情がこの俺に楯突いたこと、後悔するがいいわ貴様らァッ!」


近衛兵を払い退け、アイゼンは首に掛けていたペンダントを握りしめて頭上に掲げる。そのチェーンの先端には黄金色に輝く宝玉が妖しく輝き、アイゼンから注がれる魔力によって宝玉は徐々に光を帯び始めた。


「れ、レティシアさん、これって……!」


「ほう……」


ペンダントから溢れ出すのは創喚の輝き。動揺するマルクに反し、レティシアは涼しい顔。相手が貴族であれば、この展開もある程度予想は出来ていたらしい。巻き込まれては堪らないと、集まっていた群衆は慌てふためきながら逃げ惑い始めた。


「俺の呼び掛けに応えろ!断罪の使徒、粛清の剣よ!出てこい、ゴールドブランドォォッ!!」


ペンダントから光が離れ、アイゼンの目の前で浮かび上がる光の繭。その消失と共に現れたのは、陽光を反射させて眩い輝きを放つ黄金の騎士鎧であった。

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