王都の景色

「わぁ……!」


リカルドの屋敷を出て、道行く人々の波と手を引くレティシアに任せて商業通りへとやってきたマルクは感嘆の声を洩らしていた。


右を見ても左を見ても、見えるのは人、人、人ばかり。人間や獣人といった様々な人種が入り混じり、全員が顔馴染みという小さな村とは比較にもならない王都の光景は、マルクにとって何もかも新鮮なものであった。


広い通りの端々では様々な店舗が軒を連ね、道行く人々を呼び込むように店員が声を上げている。ちらりと近くの店を覗けば熱した鉄を叩く音が響く剣や鎧といった武具を扱っているかと思えば、その隣の店では甘い芳香の漂う色彩鮮やかなフルーツが大きな台の上で山積みにされていた。


次の店では一体何を扱っているのか、マルクは歩みを進めながら店を覗いては次の店へと移っていく。テーマパークのような遊具は無いが、マルクはそれに似た高揚感のようなものが湧き上がってくるのを感じていた。それは、恐らく自分の中の世界が広がっていくことに喜びを感じているのかもしれない。


「凄いですね、レティシアさん!こんなに人がいっぱいいますよ!」


マルクが振り返ると、そこには物々しい武装や装甲を消失させ、外行きの落ち着いた色彩のローブを纏うレティシアの姿があった。彼女が言うには全ての武装を身に付けている時は武装の使用に関わらず魔力の消耗が激しいらしく、顔には出さないが相当な負担があるのだそう。


それに反し、全ての装備を取り払った非武装状態の彼女は省エネモードと言える。もっとも、武装が無くともそこらの無法者達では太刀打ち出来ない身体能力は保持されており、例えるならば猫の皮を被ったジャガーかライオン状態で、全くの無防備とは言えないのだが。


そして、何より重要なのは、この姿であれば一目にはレティシアが創魔であることはわからないということだ。目立たないようにするための措置と言えるだろう。


そう、あまり目立たないようにするはずだったのだがーーー


「むぐっ、ん、たかがそれぐらいで……はぐっ、んぐ……大袈裟な奴だな。人などこの世界に……はぐっ、はぐっ……んっ、掃いて捨てるほど……んっ、く……いるのだからな……はふぅ」


指の間にそれぞれ挟むように串を持ち、串焼きにされた脂の滴る肉や魚に齧り付くレティシア。一体その身体の何処に入っていくのか、マルクの少し後ろを歩きながらふらりと屋台に立ち寄っては大量に料理を買い込み、次の屋台に辿り着くまでに全て平らげている。


そのフードファイター顔負けの鬼気迫るような食べっぷりに、擦れ違う人々の全てがレティシアに奇異と驚愕の入り混じる眼差しを向けていた。


「口の中に詰め込み過ぎですよ、レティシアさん。せっかく街に来てるんですから、食べるばっかりじゃなくて景色や雰囲気も楽しみましょうよ」


「あいにく、田舎者の貴様と違って我はこのような景色は見慣れているのでな。それより、貴様もこれを食ってみろ。ただ獣の肉をタレに漬け込んで焼いただけのものだが、甘辛いタレが何とも言えぬ味わいだぞ」


「ちょ、ちょっと待って下さ……むぐっ」


何百年にも渡って様々な時代、様々な街を渡り歩いてきたレティシアには、今更こんな光景など見飽きているらしい。マルクが口元に押し付けられた肉の串焼きを薦められるまま一齧りすると、レティシアの言う通り香辛料のピリリとした刺激とそれを和らげるような焦げた蜜の甘苦さが肉の脂と渾然一体となって口の中に広がった。


「あっ……本当に美味しいですね」


「そうだろうそうだろう。このコッテリとした濃厚な肉の味わいと舌が痺れるような旨味に、我が錆び付いた味蕾も蘇るというものだ。我は貴様が当たり前のように食してきた十四年間とは比較にならぬほどの時を本に封じられてきたのだぞ。我は肉体を得た暁には、旨い物をたらふく食うと決めていたのだ」


そう言って、レティシアはあっという間に大きな肉の塊を胃に収めてしまった。屋敷でも暴飲暴食の目立つ彼女だが、つい先日まで肉体を持たなかった事情を鑑みれば、こうして積もり積もった自身の欲を発散するのもやむを得ないと思えてくる。


「気持ちはわかりますけど、あまり食べ過ぎないで下さいね?夕食が入らなくなっちゃいますよ」


「貴様は誰に向かって言っている?我は貴様の数十倍年上だぞ。子供扱いするな。しかし、これも実に旨かった。給仕の出す飯も悪くはないが、お行儀良くまとまった飯よりはこちらの方が好みだな。おお、こちらの屋台もなかなか我が食指を誘うぞ」


「まだ食べるんですか……?」


あちこちから漂う匂いに誘われるまま、蜜を求める蝶のように屋台を回って両手に食べ物を抱えて戻ってくるレティシア。彼女に預けている銀貨が詰まった財布が幾分ダイエットに成功したような気がする。


「このままだと、ここの屋台全部制覇しちゃいそうですね」


「ほう、それも面白いやもしれんな。しかし、欲を言うなれば……貴様が絶賛していた、貴様の祖母が作ったシチューを一度食いたかったものだな。貴様があれほど旨そうに食っていたくらいだ。料理の腕はなかなかのものだったのだろうな」


「そう……ですね。ええ、おばあちゃんは本当に料理が上手で、それで……」


レティシアの何気ない言葉によって、マルクの思考に少し前まで当然のように過ごしていた日常がフラッシュバックする。楽しくて、温かくて、もう戻っては来ない幸福な日々。ワサビを詰め込まれたように鼻の奥がツンとして、涙腺に雫が貯まっていく。それが溢れ落ちない内に、マルクは素早く目元を拭った。


「あー……すまない。思い出させてしまったな。貴様の中では、まだ過去の出来事ではないものな……」


その一瞬をレティシアは見逃さなかったらしく、バツが悪そうな表情を浮かべてマルクを片腕で抱き寄せる。しかし、マルクはすぐにするりと彼女の腕の中から抜け出した。


「な、何言ってるんですか。僕はもう気にしてませんよ。いつまでも引き摺っていられませんし」


「マルク……」


そう言って笑うマルクだが、悲痛な記憶に囚われているのは誰が見ても明らかであった。今の悲壮感に満ちた笑みに、一体どんな言葉を掛けるべきだろうか。永遠にも近い時を生き、あらゆる知識を取り込んだレティシアでさえ、今のマルクに掛けるべき言葉を導き出すことは出来なかった。


「お兄ちゃん!こっちこっち!」


「わかったから、ちゃんと前見て走れよ!転んじまうぞ!」


「うわっ……!?」


その時、マルクよりも一回りは年下だろう、幼い兄妹がマルク達の脇をすり抜けていった。驚き、その拍子に足元をもつれさせるマルクだったが、横から伸びるレティシアの腕によって支えられた。


「まったく……貴様が転んでどうする。あの幼子に笑われるぞ」


「あはは……ちょっと驚いちゃいました。でも、本当に元気なーーー」


今から遊びに行くのだろう、仲の良い兄妹だ。何気なく微笑ましいその背中を視線で追い掛けるマルクだったが、その瞳が大きく見開かれた。


兄を振り返りながら走る少女。その対向から、二頭の馬に繋がれた馬車が向かってきている光景が飛び込んできたからだ。


「お兄ちゃん早く!皆待ってるよ!」


「ば、バカ!前見ろ!危ねぇッ!」


周囲の喧騒で馬車が近付いてくる音が聴こえていないのか、兄を振り返る少女。そして最悪なことに、馬を操る御者も周囲の街並みに視線を奪われ、小柄な少女の姿を完全に見落としていた。


「う、うおおおッ!?」


「え……っ?」


遅れて気付き、御者の男が手綱を思い切り引いたがもう遅い。突然の出来事に馬はいななきを上げ、立ち尽くす少女を目の前に前足を大きく持ち上げて立ち上がった。


「り、リサぁッ!」


「……っ!」


「おい、マルクッ!?」


その瞬間、マルクはとっさに駆け出していた。突然のことに動けないでいる兄の横をすり抜け、我が身を顧みず馬車の前に飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る