魔導書のヒミツ

「いろいろ手を尽くして調べたのは本当だとも。レティシア君の話では、この魔導書に描いたものを創喚することが出来るそうだね。しかし、何か制約があるのかもしれないな。私が試しに描いてみたのだが、実体化することなく消えてしまったのだ」


「あの死にかけのミミズのような絵を描いたのはやはり貴様か。あのような出来損ないのために我が魔力を浪費させてなるものか。即座に消去してやったわ」


「死にかけのミミズとは酷いな!確かに久々に筆を取ってマルク君には遠く及ばないかもしれないが、私なりに私が思うドラゴンを描いたつもりだったのだが!」


「くははっ、阿呆め。その魔導書を使えば創喚術を扱うことが出来るのは事実だが、込められているのは我が魔力なのだぞ。当然、我が許可しなければ創喚など出来るわけがなかろうが」


「じゃあ、レティシアさんとこの魔導書って、まだ繋がってる状態なんですか?」


「ああ、そうだ。感覚は共有していないが、本の所在、描かれたものについては頭の中に浮かんでくるような感覚だな」


本来、創喚術とは術者がイメージした存在を魔力によって幻界と交感し、自身のイメージのフィルターを通して喚び出した不定形の意思に名前を与えて使役するものだ。


この魔導書の場合、描いたものがイメージのフィルターとなり、幻界との交感、不定形の意思の創喚はレティシアが自身の魔力で行なっているということらしい。


創喚術を扱うことが出来ない者にとって、この魔導書は垂涎ものだろう。しかし、そこにレティシアの許可という強力な制約が掛けられている以上、自由に創喚術を扱うことが出来ないということだ。今回は、リカルドが自身の絵心の無さをレティシアに露呈しただけという結果になってしまったようだ。


「じゃあ、これはレティシアさんが持ってて下さい。本の中にいた時と違って、もう自分で絵も描けますし」


創喚術を使うことにレティシアの許可が必要ならば、本人が持っていた方が使い勝手が良いだろう。そう思ってマルクはレティシアへと魔導書を差し出したが、彼女は突き出した手の平で押し返した。


「不要だ。それは貴様が持っておけ」


「えっ?で、でも……」


「もしや、キミも私と同じく絵が不得手なのかね?それならば、確かにマルク君が持っていた方が良いだろうが……」


「そうではないわ、阿呆。この強靭な肉体を得た今、我に創喚術などというものは不要だと言っているのだ。それに……」


レティシアは手を伸ばし、マルクの頭を撫でる。慈しむような、それでいて不安げな眼差しがマルクを見下ろしていた。


「レティシアさん……?」


「…常に貴様が我の目に届くところに居るとも限らんからな。それに、それを貴様が持っていれば万が一の時にすぐ居場所がわかる」


「レティシアさんがそう言うのなら……じゃあ、僕が持っておきますね」


確かに、その理由ならばマルクが所持することに意味はある。少なくとも、自衛のために使い慣れない短剣を持たせるよりはよほど良いだろう。


「しかし、創喚術を使えるようになる魔導書か……幼い時に聞いたブラムバルドの物語を思い出すな」


「それって、大魔導師ブラムバルドのことですか?創喚術を使って飢えた人々に恵みをもたらしたという……」


大魔導師ブラムバルド。それは子供の時に誰もが一度は耳にしたことのある人物の名前である。彼の存在事態実話なのか創作なのかは定かではないが、彼の功績として最も有名なものは数百年前、長年に渡る人々の争いによって、世界の大半は作物も育たない死の大地と成り果てていた頃であった。


人々が困窮し、飢餓に喘いでいたある日、ふらりとどこからともなく現れたブラムバルドは、その惨状を見渡したかと思えば、手にしていた一冊の魔導書から不思議な生物を次々に喚び出した。


見上げるような四つ腕の巨人は大地を耕し、天に昇った竜は恵みの雨を降らせ、大勢の緑帽の小人は種を蒔き、一刻と立たない内に大地を緑で埋め尽くした。魔導書から喚び出された不思議な生物の働きによって世界に命が戻ると、ブラムバルドは人々の感謝の声を背に、再び何処かへと姿を消したのだという。


「ほう、よく知っているね。大魔導師ブラムバルドは、創喚術の祖とも呼ばれているんだよ。まぁ、ブラムバルドが絵を描いて創喚したという話は聞かないし、所詮は誰が考えたのかもわからん御伽噺だ。あくまで、その魔導書と似たような話があったというだけだよ」


「でも、なんだか偶然とは思えませんね。レティシアさんはこの話を聞いたこと……レティシアさん?」


マルクが隣のレティシアへと顔を向けると、彼女は腕組みをしたまま何やら難しい表情を浮かべていた。マルクが呼び掛けるも、一切の反応は無い。意識が思考の奥底まで沈んでいるようである。


「レティシアさん、レティシアさんってば」


「……む?あ、ああ、どうした?」


マルクが軽く肩を揺すったところでようやく気付いたらしく、レティシアは顔を上げた。しかし、その様子ではマルクの言葉など耳に入ってはいないらしい。


「ですから、大魔導師ブラムバルドのお話です。レティシアさんもずっと昔から封印されていたのなら、何か御存知じゃないかと思って」


「その名に覚えは無い……はずなのだがな。上手く言葉にならんのだが、どこか懐かしいような……」


自分の記憶の引き出しを探るように、手元を見つめたまま呟くレティシア。彼女自身に覚えはなく、関係性は不明だが、ブラムバルドという伝説的人物の名前が彼女の封じられた記憶の扉を叩いたことには違いない。


「じゃあ、ブラムバルドさんについてもっと調べれば、レティシアさんの過去について何かわかるかもしれませんね」


「むぅ……だが、私の知る限りブラムバルドについて記された文献は少ない。本格的に調べるとなると、学院都市アルフェッカのレグリア王立図書館ならば何かわかるやもしれんが……」


「つまり、この場ではわからんのだろう?ならば、この話はここで終わりだ。もともと、貴様には外出する旨を伝えに来ただけなのだからな。行くぞ、マルク」


「あっ……は、はい」


そう言って、レティシアは折り畳んでいた尻尾を伸ばしてマルクの腕を引きながら立ち上がった。その様子を見る限り、どうやらあまり自身の失われた記憶に対する興味は無いらしい。


「ああ、そうだ。爺、少しばかり金を寄越せ。ただ見物だけでは退屈だ。ついでに旨いものでも探してこよう」


「ちょ、ちょっと、失礼ですよレティシアさん!」


「はっはっはっ、構わんよ。私も食べ歩きは嫌いではないからね。ただし、夕食を入れるスペースは残しておくんだよ。今夜はマルク君の好きなシチューにしてもらうつもりなのだからね」


リカルドは懐に手を入れ、豪華な金刺繍の入った布財布を取り出すと、一枚の硬貨を手に取ってマルクへと手渡した。


「こ、これって……!」


その途端、手元を見下ろして絶句するマルク。彼の手の上には、頭に冠を乗せた国王の横顔が刻印された煌めく金貨が乗せられていた。


「む……たったこれだけか?公爵とあろう者がしみったれた真似をする」


「何言ってるんですかレティシアさん!これって金貨じゃないですか!貰えませんよ、こんなに……!」


世間に流通する硬貨の種類は安価な順から銅貨、銀貨、金貨、白金貨。質によって多少の価値の変動はあるものの、市場で出回るのは大半が銅貨と銀貨であり、金貨や白金貨は特に価値が高く、そのほとんどは大量の商品を取り扱う商人達の間で取り引きされる。


当然、マルクも実際に金貨を目にしたのは初めてのこと。金貨一枚あれば、大きな大衆食堂のメニュー全品を頼んでもお釣りが出るだろう。仮にこれを安価な屋台で出せば、お釣りが無いと言われて嫌な顔をされること請け合いだ。


「あいにく、今はそれしか待ち合わせが無くてね。必要なものがあれば街を回るついでに買ってくるといい。もし使い勝手が悪いのであれば、屋敷の使用人に言って両替してもらうといいだろう」


「で、でも……!」


「マルク君、キミは少し大人びているからか、どうにも遠慮し過ぎるきらいがある。だが、私から見ればキミはまだまだ子供だ。たまには年相応の子供のように楽しんできなさい」


マルクが金貨を差し出しても、リカルドはそれをそっと押し返す。どうやら、彼もマルクの不調に気付いているらしい。少しでも精神的なダメージが癒えるようにというリカルドなりの優しさなのだろう。


「マルク、貰えるものは貰っておけ。街には様々な物が溢れているのだぞ。我に言わせればその程度では足りんくらいだ」


「さぁ、レティシア君もそう言っている。彼女に私の財布ごと持って行かれぬ前に行っておくれ」


「…ありがとうございます、リカルドさん。じゃあ、行ってきますね」


マルクは深々と頭を下げて、金貨をポケットに入れるとレティシアと共に部屋を出た。彼らを見送り、一人残されたリカルドはソファーから立ち上がると強張った腰を伸ばすように背伸びをする。


「んんっ……さて、ここで一緒に行けると良かったのだが……会議の時間も近い。早いところ片付けなければな」


踵を返した彼の前には、書斎机の上で霊峰のように聳え立つ書類の山が立ち塞がっている。普段ならば近くに使用人の目が無い内にノクシスに乗って窓から飛び出すところなのだが、今回はマルクのためとあって投げ出すわけにはいかない。


肩を回し首を回し、リカルドは歴戦の勇士を思わせる雰囲気を纏いつつ、書類の山へと挑むのだった。

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