チカラの帰還

すると、中で何かが動いたような微かな物音。続けて足音が近付いてくると、静かに扉が開かれた。


「おや……キミ達から訪ねてくるとは珍しいね」


中から姿を現したリカルドは、驚いたような表情を浮かべながらマルク達を出迎えた。仕事用なのか、目元には高級そうな銀縁の丸眼鏡を掛けている。


「大した用ではない。少々気晴らしにマルクと街に出る。問題はあるまい?」


「おや、随分と急な話だね。そろそろ言い出す頃合いかと思っていたが……ひとまず、部屋に入りなさい。それについては、少々話をしておかねばね」


「は、はい……」


リカルドに促され、マルクはレティシアと共に彼の自室に足を踏み入れた。


やはり公爵の部屋ともあってマルクが使用している客室よりも遥かに広く、壁際には背の高い本棚がずらりと並び、バルコニーに続く大きな窓の前に鎮座する高級感溢れる書斎机の前には、テーブルを囲うように柔らかそうなソファが置かれている。部屋を二分するように置かれた木製の衝立の向こう側には、恐らくベッド等が置いてあるのだろう。


「す、凄い部屋ですね……」


「はっはっはっ、老人が一人で使うには広過ぎるくらいだよ。さぁ、好きなところに掛けてくれ。レティシア君には少々座りにくいかもしれないが」


「余計な心配だ。それより、話があるのならば早く済ませろ」


マルクがソファに腰掛けると、レティシアはその隣でパズルのように折り畳んだ自身の尻尾に腰掛けた。普段は金属の翼と頑強な装甲で武装している彼女だが、必要に応じて一時的に消しておくことも出来るらしい。


「ろくなもてなしも出来ずにすまないね。さて、私を訪ねた理由は街に出たい……だったかな?」


「は、はい。やっぱり、まだ難しいでしょうか……?」


あれから何の音沙汰も無いとはいえ、まだ三日である。まだ警戒を解くには早すぎる段階であり、様子を見るべきだと言われては反論の余地も無い。


リカルドが下す可否を待ち、マルクの表情が強張る。しばらく沈黙の時が流れた後、リカルドは緊張感を和らげるような笑みを浮かべた。


「ふむ、良いと思うよ。ずっと屋敷の中で過ごすのも退屈だろう。レティシア君とゆっくり羽根を伸ばしてくるといい」


「い、いいんですか?」


「いいも何も、そのつもりで私に相談してきたのだろう?さすがに王都から出ることは許容出来ないが、街を見物するくらいならば構わないよ。それに、キミはともかくレティシア君は私がダメだと言ったところで納得してくれるような性格じゃないだろう?」


「よくわかっているではないか。我にとっては表から出ようが窓から出ようが大差無いのでな」


レティシアの強行により、いつの間にか屋敷から居なくなられるくらいならば、素直に玄関から出て行ってもらった方がいい、というのがリカルドの考えらしい。


マルクも世話になっている身の上でレティシアにそのような傍若無人な振る舞いは決してさせまいとは思うのだが、類い稀なる軟弱ボディの彼では、とてもではないがレティシアのストッパーは務まりそうになかった。


「てっきり、ダメって言われるかもしれないと思いましたけど……良かったですね、レティシアさん」


「ああ、まったくだ。話が早くて助かる。平和的に話が進むに越したことは無いからな」


「そもそも交渉という形にすらなっていなかったと思うのだが……そうだ、それならば先にこれを返しておかねばな」


そう言ってリカルドは立ち上がり、書斎机へと向かっていった。一体どうしたのかと、リカルドの背中を追うマルク。再びマルク達の元へと戻ってきた彼の手元には、あるものが握られていた。


「さて、マルク君。これをキミに返しておくよ」


「これって……」


リカルドがマルクの前に差し出したもの。それは、レティシアが封じられていた魔導書であった。あれだけの鉄火場を乗り越えたにも関わらず、その表紙は新品そのもので汚れ一つ見当たらない。


彼女の意思が実体となって抜け出た今、魔導書からは当然ながら何の声も聞こえてはこないが、見た目は何一つ変わらない。マルクが受け取った魔導書のページを捲ってみると、炎の中で彼が描きあげたレティシアの絵だけが残されていた。


「てっきり村に置いてきたと思ってたんですけど、リカルドさんが持ってたんですね」


「ああ、レティシア君から頼まれて預かっていたんだ。彼女の記憶を取り戻す手掛かりになればと言われてね。そこで、いろいろ調べてみたのだが……」


「それで、何かわかったのか?」


「うむ、それが……」


レティシアを数百年にも渡り、彼女自身の無理難題の拘りという名の封印を施した魔導書。封印されていた期間の途方も無さは、よくよく考えてみればレティシア自身の自業自得のような気もするが、その封印されていた長い年月の間に漂白された自身の記憶に関することだ。


やや前のめりになりながら次の言葉を待って迫るレティシアと、神妙な面持ちを浮かべるリカルド。そのまま沈黙して見つめ合うこと数秒、不意に動いたのはリカルドであった。


「…すまぬ!残念ながら何もわからなかった!そもそも私はこういったものは専門外でな、力になれず本当に済まない……!」


テーブルに両手をつき、リカルドは深々と頭を下げる。てっきり何かわかったと言わんばかりの間だったような気がするが、単にレティシアを前にして言い出しにくかっただけらしい。


「こ、この爺……勿体つけておいてこの体たらくか。我が神経を研ぎ澄ませ回答を待ったあの数秒を返せ、この阿呆が」


「ま、まぁまぁ、レティシアさんも落ち着いて下さい。リカルドさんも忙しい中で頑張って下さったんですから……」


「うう……マルク君の優しさが老骨に沁みるようだ。レティシア君、労いの気持ちを持つことは他者と関わる上で非常に重要なことだよ?」


「こ、この……!」


「ちょ、ちょっとレティシアさん!ここで暴れたらお屋敷が無くなっちゃいますよ!」


リカルドの安い挑発によって怒りのメーターが限界まで振り切ったレティシアが翼の砲塔の狙いを定めようとしたところで、マルクが必死の制止に入る。ここであのレールガンを放とうものなら、リカルドの自室に大きな風穴が開くだけではすまないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る