償い
国家の中枢を担う公爵の頭は、たかだか名も無き村の少年に下げて良いほど軽いものではない。それも国防の要である守護者の一人であるならば尚更だ。
「やめて下さいよ、リカルドさん。僕、リカルドさんのせいだなんて全然思っていません。それに、こうして助かったのはリカルドさんのおかげでもあるんですから。リカルドさんが喚び出した、あのドラゴンさんも」
「マルク君……そう言ってもらえると、私も救われる。後でノクシスにも伝えておかねばな」
リカルドはどこか安堵した様子で立ち上がった。恐らく、彼も村一つを壊滅させてしまった自身の危機意識の無さから責任の重圧を感じていたのだろう。そもそも、ここでリカルドを責めることは筋違いも甚だしい。もっとも追求されるべきなのは、他の被害を顧みることなく彼の命を狙った者なのだから。
それを理解してなお、八つ当たり的に他者を責めてしまうことが人の弱さだが、その点についてはマルクは人並み以上に達観していた。しかし、微笑すら浮かべている彼の表情を、レティシアは何か言いたげに見つめていた。
「だが、償いはさせて欲しい。キミ達の今後の目的が決まるまで、いつまでもここに居てもらって構わない。無論、ここをキミ達の第二の家としてもいい。歓迎しよう。実は、私は独り身でね。使用人達もこんな爺の世話ばかりで退屈しているだろう」
「ほう、それはありがたい申し出だな。喜べマルク、ここの飯は美味いぞ。肉でも魚でもよりどりみどりだ。少食の貴様も食が太くなること請け合いだ」
「あはは……ありがとうございます、リカルドさん。じゃあ、しばらく御厄介に……あっ」
レティシアに食事の話を振られたせいか、マルクの空腹の虫が目覚めてしまったらしい。気の抜けるような間抜けな音がマルク達の間に流れた。
「はっはっはっ。レティシア君の言う通り、食事は期待して欲しい。我が家のシェフは優秀でね、キミの祖母君に負けずとも劣らない食事を提供出来るだろう」
そう言って、リカルドはポケットの中から取り出した鈴を鳴らす。すると、恐らく部屋の外で待機していたのだろう、ノックの後に清潔感のある真っ白なエプロンドレスを身に纏う若い使用人の女性がドアを開いた。
「お呼びでしょうか?」
「私の恩人に食事を頼む。腕によりをかけて支度をするようシェフに伝えておいてくれ。デザートも忘れずにな?」
「かしこまりました。お客様、どうぞこちらへ」
「え、あ……は、はい……」
恭しく頭を下げた後、使用人はマルクの手を取って立ち上がらせる。そのまま導かれるまま歩き出したマルクだったが、レティシアとリカルドがその後についてくる気配が無く、不安そうに二人を振り返った。
「あ、あの、お二人は……?」
「ああ、私は少しレティシア君と話がある。ゆっくり食事を楽しんでくれ」
「安心しろ、マルク。貴様を一人にするようなことはしない。すぐに行く」
「う、うん……」
マルクが扉の向こうへと消えると、室内に静寂が訪れる。沈黙を破ったのは、リカルドの重い溜め息であった。
「はぁ……やはり、無理をさせているようだ」
「仕方あるまい。アレは元よりそういう性格だ」
レティシアとリカルドは、マルクが胸に秘めた真意を見透かしていた。彼はまだ、村と家族を失った悲しみから解放されてはいないのだと。
本当は外部との接触を全て断ち切って塞ぎ込んでしまいたいのだろう、衆目を気にせず泣き叫びたいのだろう。だが、そうしない理由はただ一つ、レティシア達に心配を掛けないためだ。
誰より悲しみを背負う、自身よりも遥かに幼い少年から本音を聞かされることなく、逆に気遣われている。その紛れもない事実が、レティシア達にとって何より歯痒いことであった。
「しかし、素直に本音を聞かせて欲しいと言ったところではぐらかされてしまうだろうね。どうしたものか……」
「どうしたもこうしたも……様子を見るしかあるまい。今のアレに必要なものは休息だ。下手に突いては心の核を砕きかねん」
笑みを貼り付けた継ぎ接ぎだらけの仮面の下には、一体どれほどの悲しみを抱えているのだろう。そう考えるとレティシア達の胸は締め付けられるように痛んだ。
「うむ……わかった。私も出来る限りのことはさせてもらおう。しかし……キミは本当に彼の事を想っているのだな」
「ふん、当然だ。我はマルクの友なのだからな。友というものの概念の理解は未だに曖昧だが、このような時に寄り添う存在もまた友なのだと、貴様の蔵書に記されていたぞ」
それは恐らく、リカルドが趣味で収集している少年向けの冒険譚から学んだのだろう。マルクが目覚めるまでの間、レティシアはこの世界の知識を身につける必要があると言って屋敷にある本を読み漁っていた。
もっとも、ジャンル関係なく手当たり次第目を通したせいで、知識に多少の偏りが生じてしまったようだが。
「それより、我らに化け物をけしかけた者について、何かわかったことは無いのか?」
「調べてはいるが、まだ昨日の今日なのだ。そう簡単にはわからんよ」
「あの化け物を創喚した者の魔力は記憶している。あとはその者の魔力を感知出来れば、すぐにわかるのだがな……」
サラマンドラが呑み込んでいた宝玉を砕いた際、溢れ出した魔力の波をレティシアは記憶していた。魔力の質は個体差があり、同じものは一つとして存在しないため、再び同じ魔力を感じ取れば襲撃者は容易に特定出来る。
目的が失敗したことは襲撃者側も理解しているだろう。既に王都を離れた可能性が高いが、用心するに越したことはない。
「何かわかればすぐに教えろ。見つけ次第焼き払って犯した罪を身を持って思い知らせてくれる」
レティシアの怒気は凄まじく、対面する百戦錬磨のリカルドですら冷や汗を滲ませるほどであった。比喩でも何でもなく、レティシアは刺客を発見したら間違いなく壮絶にして凄絶な報復を実行するだろう。
「今ばかりは報復のことは忘れてはどうかね?マルク君に余計な心労を掛けることになるやもしれん」
「う、むぅ……そうだな。それと、我の頼みは進めているのだろうな?」
「無論だとも。しかし、いろいろと障害が多くてね。根回し手回し、今朝からあちこちに奔走しているよ。だが、これもマルク君のためだ。骨身を惜しまぬよ」
「一日でも早いことに越したことは無いからな。この世界をマルクが生きるためには、どうしても必要なことなのだ」
「わかっているとも。さぁ、キミは早くマルク君のところへ行きなさい。今頃、キミが来るのを待ちかねているだろう」
「ああ、そうさせてもらおう。まったく、世話のかかる……」
そう言いつつも、どことなくマルクに頼られていることを嬉しそうにしながらレティシアは部屋を出て行った。
「やれやれ…ああも言われてしまえば、急がねばならんなぁ……少々、搦手も使わねばならんか」
一人残され、リカルドは窓へと歩み寄っていくと、片手で長い髭を扱きながら今のマルクの心境とは正反対の空を見上げた。
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