愛のカタチ
「まさか、わざわざ訪ねて下さったお客様だったなんて……知らなかったとはいえ、本当にごめんなさいね……」
くず野菜が溶け込むまでじっくりと煮込んだシチューと素朴なパンが並ぶ質素な夕食の席で、ジーナは至極申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「なんのなんの。見慣れぬ男がお孫さんに近付いているところを見れば、心配するのは親として当然のこと。お気になさることはありませぬ」
そう笑って話すのは、ささやかばかりの治療を受けたグウェンである。無防備だったところへ直撃を受けた割には大事に至らなかったようだが、思いの外痛手を受けたその両鼻には丸めた綿が詰め込まれていた。
どうやら、グウェンの懐が想像以上に広いおかげで予想していた最悪の展開は避けることが出来たようだ。二人の間に挟まる席に腰掛けながら、マルクはホッと胸を撫で下ろした。
「そう仰って頂けると、私も気が楽になりますわ。孫は息子夫婦が遺してくれた、私にとってかけがえのない宝ですので……」
「ちょ、ちょっと、おばあちゃん……!」
「なんと……そうでしたか。では、尚更お孫さんのことは可愛いでしょうな。まだ彼とは少しばかり話した程度ですが、見た目の幼さに反して実に聡明だ。ジーナ殿がどれだけ愛を注いで育ててきたのか、まるで目に浮かぶようです」
「まぁ、ありがとうございます。この子が立派に育ってくれることだけが、私の唯一の楽しみなのですよ。息子達も、きっと今のこの子を見て喜んでいますわ」
『どうしたマルク、顔が赤いようだが?もしや照れているのかぁ?』
「し、シチューが熱いからですよ。そんなわけないじゃないですか、もう……」
足下に置いたレティシアの言葉に言い返しつつ、マルクは誤魔化すようにスプーンで掬ったシチューを口元に運ぶ。
久しぶりの来客で、ジーナも随分と嬉しそうに見える。彼女の願いと同じく、マルクにとっての望みもまた、彼女が平穏無事に余生を幸福に過ごすことであった。
「あっ、おばあちゃん。そろそろ行かないと間に合わないよ」
和やかに会話をしながら夕食を楽しんでいたその時、村の小さな教会から時刻を報せる鐘の音が鳴り響いた。
「あら、大変。久しぶりのお客様だから、随分話し込んじゃったわ。グウェンさん、私は村の会合に行かないといけないので、これで失礼しますね 。マルクちゃん、後片付けはお願いね」
「うん、大丈夫だから心配しないで。夜道は危ないから気を付けてね」
「では、私がお供しましょう。夜道を御婦人に一人歩かせては心配ですからな」
「お気になさらないで。一本道ですし、長旅でグウェンさんもお疲れでしょう。お部屋は好きに使って下さいな。それでは」
ジーナはグウェンに会釈をして立ち上がると、杖とランタンを手に玄関から外へ出た。
会合が開かれる村長の家までは少し距離があるが、彼女にとっては通い慣れた道だ。マルクとグウェンの見送りを背に受け、ジーナの姿は扉の向こうへと消えた。
「…良い祖母君だ。昔日の懐かしき母の姿が思い起こされる。良き家族に恵まれ、キミは幸せ者だな」
「ええ、自慢の祖母です。グウェンさん、食後にお酒はいかがですか?といっても、祖母が毎晩飲んでる安酒ですけど」
「はっはっはっ、祖母君は酒を嗜まれるのか。では、宿の礼には上等な酒を用意しなければな。是非とも頂きたい」
マルクは食器を片付けると、棚からジーナが好んで口にする果実酒を持ってきてグウェンのコップに注いだ。貴族が口にするにはあまりにも粗末な酒ではあったが、グウェンはコップに口を付けると口内で味わいながら飲み込んだ。
「ふぅ……初めて口にする酒だが、なかなか美味い。なるほど、上等な酒ばかりが美味というわけではないか。いや、こうして着飾ることもなく、肩肘を張らなければならん立場を忘れた今だからこそ美味に感じるのやもしれんな」
『小賢しそうに語るではないか。絵の良し悪しは分からぬ割にはな』
「キミも一杯どうかね?華は無いが、男同士酒を交わして語らおうではないか」
「あはは……すみません、それはまたの機会に。お酒は少し苦手で、飲むとすぐに寝ちゃうんです。まだ僕が絵を描けなくなると困りますよね?」
「むむっ、それは確かにマズイ。非常に残念ではあるが、今はこの酒との出会いを喜ぶとするか……」
少し落ち込んだ様子で、グウェンはコップを傾ける。出来れば一杯でも付き合ってあげたいところではあったが、残念ながらマルクは相当酒に弱い体質である。この後のことを考えると、まだ酔い潰れるには早かった。
「キミが我が家の絵描きとなってくれた際には、祖母君も是非我が家にと思ったのだが……彼女の幸福そうな顔を見ては、私の我儘で今の生活を壊すわけにはいかんな。それに、キミの類稀なる才能も今の祖母君との生活があってこそ磨かれたものやもしれん」
「ええ。そうかもしれません。というか、まだ諦めてなかったんですね……」
「当たり前だとも!キミの才能は金塊を山と積んでも惜しくはない!だが、祖母君がキミについて語る時の誇らしげな顔を見ると、そんな気は無くなってしまったがね」
『そうは言いつつも、まだ未練ったらしい顔をしているぞこの爺……』
レティシアの言うとおり、もはやその気は無いと口にするグウェンだが、言葉の節々からはどことなくマルクに対する未練のようなものが感じられる。これを解消するには、相応の土産を持たせるしかなさそうだ。
「どうでしょう、酒のつまみ代わりと言ってはなんですが、僕の絵を御覧になりますか?祖母の話し相手になって下さったお礼に、好きな絵を差し上げますよ。もし気に入ったものがなければ、御希望の絵を描きますが……」
「なんと!それならば酒に酔っている場合ではない!今すぐ拝見させて頂きたい!」
『単純な爺め……』
「まぁまぁ……さぁ、こちらへどうぞ」
「うむ!」
マルクはレティシアを脇に抱え、自室へとグウェンを案内する。今夜は愉快な夜になりそうだ。そんな思いを胸に抱えながら。
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