思い上がりの代償

「…お?お、おお……!?」


不思議そうにマルクの行動を眺めていたグウェンだったが、その表情が驚愕へと変わるのにそう時間は掛からなかった。


まるで自分だけに見えている何かをなぞるように切れ端を地面へと走らせるマルク。およそ三十秒後、そこに描かれたのはグウェンが手にした絵と同じドラゴンが巨体を丸めるように横たわり、静かに眠っている姿であった。


その完成度は、たった一目原画を見て模倣したようなレベルではない。荒い地面の上のキャンパスに描くにはあまりにも勿体無いと言わざるを得ない、圧倒的完成度であった。


食い入るように地面を見つめていたグウェンの瞳が、ゆっくりとマルクへと向けられる。そんな彼の熱い眼差しに、マルクは困ったように肩を竦めて見せた。


「…信じてもらえました?」


「お、おお……っ!」


もはや言葉も出ないといった様子で、グウェンは突然マルクの手を両手で握りしめた。


「先ほどの身の程を弁えぬ思い上がった言動を御許しくだされ。技量は決して積み上げた時間だけで磨かれるものではないことを、私は忘れていた。よもや、キミ……いや、貴方が……!」


「や、やめて下さいよ。そんなたいしたことじゃないですから」


「いやいやいや、持ち得た技術というものは千金を積んでも買えぬもの。それが天賦の才であれば尚更。いや、本当に自分の思い上がりが恥ずかしい。もしも時を巻き戻せるのであれば、そのしたり顔を張り飛ばしてやりたいくらいだ」


『まったく、調子が良いというか、大袈裟な爺だ……』


あまりにも早い掌返しにさすがのレティシアも呆れ果てている様子。だが、グウェンにとっては今日一日の苦労が報われた瞬間だろう。もはや自分が貴族であることを忘れてしまったような狂喜乱舞。マルクを見つめる眼差しは完全にアイドルを前にしたファンそのものであった。


「い、今更このようなお願いをするのは大変不躾だと思うが……ど、どうか私に絵を描いて頂けないか?代金は勿論お支払いする。いや、いっそのこと専属の絵描きとして我が家に……!」


「絵を描くのは別にいいんですけど、専属の絵描きっていうのはちょっと……」


「そこを何とか!賃金は望むままお支払する!老い先短い老人の頼みをどうか無下にしないでくだされ……!」


「う、うう……」


『ほれ見ろ。結局ろくなことにならなかっただろうが。大体貴様は毎度毎度……』


もはやなりふり構わず懇願してくるグウェンとネチネチ小言を差し込んでくるレティシアの間で板挟みになり、頭の許容量の限界を迎えるマルク。卒倒まで残り数秒といったその時、玄関の扉が開かれた。


「どうしたのマルクちゃん?いつまでも戻って来ないから心配して……あら?」


顔を出したのはマルクの祖母、ジーナ。その瞳がマルクへと向けられた後、すぐに彼にすがり付くグウェンの姿を捉えた直後、限界まで見開かれた。


「あっ、おばあちゃーーー」


「ま、マルクちゃん!ちょっと待ってて!」


急に取って返して家の中に戻るジーナ。一体どうしたのだろうとマルクが思った直後、何かをひっくり返したかのような騒音の後、彼女は再び姿を現した。その手に、鉄製の頑丈なフライパンを握りしめて。


そして、彼女は仇を前にした刺客のような面持ちで杖をつきながら一直線にマルクの元へと向かってくる。ジーナが何をしようとしているのか、マルクはすぐに察知した。


「お、おばあちゃん!ちょっと待って!この人は……!」


「おお、貴方の祖母君か。ならば挨拶をしなければ。これ以上礼を失することは出来んからな」


汚名返上とばかりに立ち上がるグウェン。まったくもって事態を把握していない彼は、無防備のままマルクとジーナの間に立った。


「御初にお目にかかる。私の名はーーー」


「マルクちゃん!今助けるわーーーっ!」


「あっ……」


マルクが止める暇もなく、ニコやかにヒトの良さそうな微笑みを浮かべるグウェンの顔面に、老体ながら渾身の力で振り抜かれたジーナのフライパンが炸裂した。


「グウェェ……」


小気味良いフライパンの残響音が響き渡り、潰れた鼻から噴水のように鼻血を噴き出しながら自己紹介っぽい呻き声を上げて昏倒するグウェン。あまりにも衝撃的な光景に、マルクは根元の折れた案山子のように倒れてピクリともしない彼の姿を呆然と見つめていた。


「だ、大丈夫マルクちゃん!?すぐに若い人達を呼んでくるわ!」


「いや、この人お客さんなんだけど……」


「えっ……?た、大変!ごめんなさい、しっかりしてくださいな!」


『くははははっ!面白い!実に良いものを見せてもらった!人畜無害の女と思いきや、なかなかやるではないか!』


口調は冷静だが、マルクの内心は荒れ模様。非常に、物凄く焦っていた。何しろ、貴族をフライパンで張り飛ばしてしまったのだ。


その時、彼の脳裏に過ぎるのは残酷な未来。二人揃って連行されて街中の晒し者にされた後、並んで縛り首になった死体に群がるカラス達。それは、マルク達を待ち受ける限りなく現実に近付きつつある光景であった。


「レティシアさん……約束、やっぱり守れないかもしれません」


『なにぃっ!?何故そうなるのだ!?こ、この期に及んでふざけるなぁあああーーーーッッ!!』


白目を向いて昏倒しているグウェンと、必死に介抱するジーナ。頭の中で絶叫するレティシアの声を聞きながら、マルクは全てを諦めた表情で今の彼の心風景を映し出すかのように暗くなりつつある空を仰ぐのだった。

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