運命的な出会い?
だが、馬車の中は想像の一回りも二回りもごちゃごちゃ。どこか生活感があるのはローガンが馬車の中で寝泊まりしているからだろう。
おかげで商品なのかゴミなのかわからないくらい物が散乱し、何処に何があるのか全くわからないような有り様。この光景だけで持ち主の性格が窺えるというものだ。マルクは溜め息をつくと、お目当ての画材を求めて探索を始めた。
「もう……もっと綺麗にして下さいよ。何処にあるのかサッパリわからないじゃないですか。しかも汚くて埃っぽいし……」
「仕方ねぇだろ。あれこれと手が回らねぇくらい俺は忙しいんだよ。それに、俺は何処に何があるのか全部把握してるから問題ねェよ」
「ふーん……じゃあ、画材は何処にあるんですか?」
「おう。ちょっと待ってな。確かこの辺に……うおおっ!?」
「わぁあああッ!?」
ローガンが無造作に手近な商品の山に手を入れた直後、極めて絶妙なバランスで保っていた山は雪崩を起こしてマルクへと襲い掛かった。
マルクの小柄な身体はあっと言う間に大量の雑貨に呑み込まれ、その姿は完全に埋もれて消え失せた。
「お、おい、マルク、生きてるか~……?」
「あ、あいたたた……何とか生きてますよ……」
恐る恐る呼び掛けるローガンの言葉に返事を返して、マルクは覆い被さっていた物を退かして起き上がった。
落ちてきたのがあまり重い物でなかったことが幸いした。これが重い武器や防具だった時にはペラペラに押し潰されてしまっていたかもしれないと思うと肝が冷える。
「ほら、言わんこっちゃないじゃないですか。今後はちゃんと整理して下さい。じゃないと今回のことをおばあちゃんに話しちゃいますから」
「そ、それだけは勘弁してくれ!あの婆さん昔から俺に対する仕置きには容赦ねぇんだから!」
子供の頃からマルクの祖母と付き合いのあるローガンにとって、彼女は恐怖の対象であるらしい。丸い耳はペタンと倒され、二メートルを越えるガタイの良い筋肉の塊のような巨漢の獣人が小動物のようにガタガタと震えている。
「ふふっ、冗談ですよ。でも、片付けはちゃんと……あれ?」
その時、マルクは目の前に転がっていたある物の存在に気が付いた。
それは、やけに目を惹く大きな分厚い本であった。持ち上げるとずしりと重い黒色のその本は銀で縁を飾り、表紙には見たこともない金色の文字が刻まれている。
一見して魔法使いが扱う魔導書のように見えなくもないが、開いてみると中身は全て真っ白なページばかりで文章や挿し絵は一ページも入っていなかった。
「ローガンさん、これって何の本なんですか?」
「んん?ああ、そいつか。港町の露店で掘り出し物だと思って仕入れたんだが、どうも偽物を掴まされちまったみたいでな。露店のオヤジが『バカには読めない魔導書』だとか言うもんだから、珍しいと思ったんだが……」
「完全に騙されてるじゃないですか。そうやって微塵も勝ち目のない賭けに出る悪い癖は何とかならないんですか?」
「うっせ!他のヤツと同じモンを扱ったところで、どうせ足下の小銭を拾う程度の儲けしか出ねぇんだ。なら、男として勝負に出るのは当然のことだろうが!」
「そもそも勝負にすらなっていないような気がするんですけど……」
「それを言うんじゃねぇよ!悲しくなるだろうが!」
どうやら、この本はローガンの悪い癖から出た産物らしい。他の商人が扱わない商品を、という考え方は悪くないのだが、如何せん商売勘が悪すぎる。彼が馬車の中に売れない不良在庫が溜まっていく原因を自覚するのは一体何時の日になることやら。
「うーん……」
マルクは手にした本をまじまじと観察する。確かに魔導書ではないようだが、使われている紙はその手触りから上質なもののようで、枚数もかなりある。
これはこれで、スケッチブックのような使い方が出来るかもしれない。ローガンにとっては不良在庫だが、マルクにとってはまさに求めていた逸品だ。
「ローガンさん。商品にならないのなら、これを頂いてもいいですか?」
「あん?おう、いいぜ。どうせそんなもん誰も買わねぇんだ。お前の好きにしな。あと……ほらよ。いつもの炭と油絵具だ」
ローガンの記憶は紙を探し当てることは出来なかったが、マルクの目当ての品ではあったようだ。彼が寄越した縦長の木箱を開くと、中には使いかけの炭と小さな革の容器に入った様々な色の油絵具が綺麗に並べられて収まっていた。
最近は画材を使い果たしたせいで白黒の絵ばかりだったが、久々にたくさんの色を使った鮮やかな絵が描けそうだ。マルクの頭の中では既に次に描きたいもののイメージが湧きつつあった。
「ありがとうございます、ローガンさん。これなら次はもっと凄いのが描けーーー」
『おい』
不意に聞こえてきた声に、マルクは思わず辺りを見回した。しかし、そこにいるのはローガンだけ。突然奇妙な行動に出たマルクに彼は訝しむような表情を浮かべていた。
「どうした?何か虫でも飛んでたか?」
「い、いえ……声が聞こえたと思ったんですけど、空耳だったみたいでーーー」
『空耳ではないわ阿呆』
今度はさらにハッキリ聞こえた。声質から女性のものだと思われるその声は、マルクのすぐ耳元で囁いているようであった。
だが、当然ながらそこに第三者の姿はない。マルクは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
「だ、誰……?」
「誰ってお前……皆の頼れるナイスガイのローガン様じゃねぇか。お前、絵の描きすぎでおかしくなっちまったんじゃねぇのかぁ?」
『過度に反応するな。我の声は、我の本体を持つ貴様にしか届いておらんのだからな』
「も、持つって……どっち?」
マルクは自分の両手を見下ろしてみる。左右の手にあるのは、画材の入った箱と白紙の本。一体どちらのことなのか、マルクは動揺しながら左右に視線を往復させる。
『阿呆か。わざわざ考えるまでもないだろうが。貴様の右手にある本のーーー』
「う、うわぁあああッ!?」
確定した瞬間、マルクは反射的に本を放り投げていた。本は勢い余って馬車を飛び出し、土埃を上げながら地面の上に転がった。
『あ、阿呆ぉおおーーーッ!!この繊細なボディを持つ我をいきなり放り投げる馬鹿がいるか!あっ、きゃっ、わひゃっ!?ふ、踏まれる!踏まれてしまう!き、貴様、早く助けに来んかぁあああーーーッ!!』
「は、はいぃいいッ!!」
頭の中に響き渡る心底焦りまくった悲鳴混じりの怒号に突き動かされ、マルクは慌てて馬車の外に転がり出ると集まった村人達に踏まれそうになっている本を回収した。
『き、貴様ァ~……ッ!初めてだぞ!この我に対し、これほど杜撰で卑劣な仕打ちをした輩はな!この我に両腕があれば宙の果てまで殴り飛ばしておるところだ!』
「ご、ごめんなさい!凄く驚いたので、それで……」
何だか理不尽にも思えるお叱りを受けながら、マルクは拾い上げた本についた砂を払った。
そして、視線を感じてくるりとローガンを振り返る。マルクを見つめる彼の表情は何か可哀想なものを見るかのように瞳にはうっすらと涙すら浮かべていた。
「お、お前、まさかそこまで追い詰められて……くうぅッ!そうか、俺があまりにも次回作を急かすもんだから、やっぱおかしくなっちまったんだな……!」
「あ、いや、そうじゃないんですよローガンさん!えっと……!」
どう説明したものかと必死に脳内で思い付く限りの言葉を並べるマルクだったが、何を言ったところで事態が好転するどころかますます拗れるような気がしてならない。
そこで、マルクが取った行動はーーー
「す、すみません!ちょっと急用思い出しちゃったので!じ、じゃあ、また今度描いて持ってきますからぁああーーーッ!」
全てをかなぐり捨てての逃走。ローガンの手からバスケットを奪い取ると、本を脇に抱えて全力疾走で自宅へと向けて走り出した。
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