それでも彼が好きぃ

魚麗りゅう

それでも彼が好きぃ

 本当に寄り添いたいと思う。自分の気持ちで手を繋いだ。自分の好きという気持ちでキスした。今さら……って言われてしまうかも知れない。私は恋をしている。とにかくあの子と出会った。女としての時間が流れ始めていることを実感している。キスしたいからキスする。それは欲望ではなかった。私とあの子にとっては自然な事だった。罪悪感はあるけど後ろめたさはなかった。初めて自分の気持ちに忠実だった。自分に求められているものを裏切っているようで、その感覚が心地よかった。私はいい子なんかじゃない。でもすべての環境を捨ててしまってもいい、と考えるほど私はばかじゃない。十年早く出会いたかったと、初めて後悔というものをしたけれど、そのことをいつまでも引きずるほど、私の人生はつまらなくはなかった。好き、という気持ちに、初めて真剣に向き合っているような気がしている。



 私の時間はこのまま過ぎていくはずだった。三人姉妹の末っ子で、姉二人はすでに結婚し、実家を出ていた。私もいつのまにか結婚して、私は実家にいる。特に結婚を望んだわけではなかった。気づいたら夫がいて、娘がいる。私は出産した。それは遠い記憶としてあるだけで、特に子供を望んだわけではなかった。私は意識の外側を流れていけばよかった。それでうまく流れていたし、誰も傷つかなかった。人生を深く考えるほど、繊細ではなかったし、大事に扱われることがあたり前だったから、私にとって自我は必要なかった。夫は私を大事にしてくれる。その心地よさだけで、結婚をしたんだと思う。好きという感情が未だによく分からない。短大の時に主人と出会って二三で結婚した。二四で娘を産んで、その娘がもう一八歳。早いなぁという感覚はなくて、ひと事のような気分。無意識に私の時間は流れてきた。特に幸せを意識することがないから、きっとこの環境が幸せなんだろう。大人でないような。娘と買い物に行くと、姉妹に見られる。その心地のいい感覚のまま、私の時間は過ぎてきた。特に望んだわけではない。あるがままの時間に、無関心に身を任せただけだ。一日が終わる。最近初恋の記憶が流れる。高校生の時だったと思う。私はただ、遠くから見ているだけだった。それがきっと、私のやり残したことだ。告白すればよかったとか、付き合えればよかったとか、そういうことじゃない。自分の気持ちとちゃんと向き合わなかった。その事が、一日の終わりに最近寂しさを感じさせる。私はきっと恋をしたことがない。女としての時間は、あの時から止まっている。そこからこんな焦燥感が生まれてくるんだろう。夫は私を大事にしてくれる。女としての私は夫を好きではない、ということに最近気づいた。今さら何を思っているんだろう?と可笑しくなった。私の家庭はうまくいっている。そんな言葉で自分の気持ちとバランスを取らなければいけない。内側で、葛藤が始まっている。それを私は静観している。こんなことは初めてのような気がする。私は現実を生きている。その現実に、息苦しさを感じている。もう一人の自分が、本当の自分を生きようとしている。この感覚が何気なく苦しい。何も考えずに何不自由なく生きてきた。過ぎてきた時間が映像として頭を流れる。私は生まれてからずっといい子だった。旅行に行っても体はここにあるのに心がそこにいない。本当の気持ちがどこかにあることが分かっているのに、肉体だけが義務で動いている。そんな感覚で生きてきたような気がする。取り戻さなければいけないような気もする。自分で望んだ経験をしたことがない。リスクを排除され、私は育てられてきたのだ。望まない経験は記憶に残らなかった。流れて行った時間。その瞬間は思い出として楽しかった。その思い出は、会話のネタとしての機能しかない。友達。仲間。家族。それは大事な事だって理解はしている。でもずっと孤独だった。それを理解されないまま、私は大事に育てられてきたのだ。

 


 好きになった人は二三歳の人だった。私から告白したわけじゃなくて、先に好意を持たれたのは私だ。自然に裸になれたような気がしている。夫の時のような、義務感ではなかった。私はきっと、夫に抱かれたことがない。彼は私を抱いてくれる。私にとっては二人目の人。私の気持ちを大事にしてくれる、それがいい。私と夫との行為は交尾だったのかも知れない。比べる対象ができたことで、視点が変化して、自分にとっては普通だったことがそれは交尾だったと気づく。そのことが滑稽に思えた。私の時間はただ過ぎてしまったのかも知れない。知らなくていいことだったのかも知れないけど、私を女にしてくれた彼には感謝している。好き。素直な気持ち。夫より、性に熟練している。この事実に私はびっくりした。自分の欲望さえ満足させればいい。私はそんな抱かれ方だった。絶頂という言葉を知ってはいたけれど、感覚として味わったことがない。それを知った時、私は素直に感動した。自分が女であることを改めて知った。私から先に。それが嬉しかった。夫とは夫が先に、だった。その不完全さが、私に自慰をさせたのかも知れない。それを彼に言ってしまった。

「そっかぁ」

 と彼は言い、

「かわいいね」

 と続けた。私はギュッとして欲しかった。彼は助手席に座っていた。彼が「いいよ」と言ったので私は移動して、後ろからギュッとしてもらった。公園の駐車場。車が点々と停まっている。私はただ、幸せだった。好きな人に抱きしめられる。ずっとこの時間が続けばいい。私は女だった。ただの一人の女になったことに、きっと世間は馬鹿だという視線を私に刺すだろう。それが未来に現実になったとしても、きっと私は後悔はしない。そんな確信がある。だって愛されているんだもの。たとえそれが過去になったとしても、私は愛されていたと、過去を“いま”の時間のように生きられる。その時私は孤独ではないだろう。一人だろうけど孤独ではないだろう。だから私は彼と会うのだ。だって好きなんだもの。こんな気持ちは初めてだった。だからそんな自分の感情に新鮮だったし、免疫が無かった。会いたいから会う。会いたいんだもの。とにかく会いたいんだもの。彼のことを考えてしまうんだもの。自分の人生にとって、有害な気持ちだってことは理解している。でも彼を見るだけで濡れてくる。この場所の痒さの衝動を、私は理性で抑えることが出来ない。本当の私を生きている。そんな感覚がある。自由になったような気がしている。濁っていた性欲を解放することに、今の私は夢中だ。見えていなかった自分が見えてくる新鮮さ。私は友達と会っている時、なんていうか、私の体だけがそこにいた。本当の私は彼に会っている時の私だ。本当の私に気づく感覚。きっと私は透明だったんだろう。彼はそんな私に輪郭を持たせてくれた。一人の女としての輪郭。自分の存在に自信が持てているような気がする。何気ない日常の中に生まれた秘密。それが私に孤独を感じさせない。私は彼に見つけてもらった。そう思えることが嬉しかった。友達も結婚し、年相応だった。その流れに自分もいることに、焦燥感を持っていたようだ。新しかった時間がくすんでいくような感覚。彼のものが私の内側に入ってくる。初めての時は罪悪感があったけれど、今では彼を受け入れるための形にきちんとなっている。そういうふうに変形することを、私は初めて知った。ある時夫に指摘され、それを知った。夫のは、彼のものよりかなり小さい。私の中の感覚に、どうやら疑問を持ったようだ。私は悪くはないのだ。私を満足させられないこの人が悪いと考える。やさしい愛撫もなく、数分で果ててしまう。最近それが笑える。私の心は冷めている。そのことに、夫は気づいているだろうか?性に稚拙だということに、気づいているだろうか?何が楽しいの?と私はいじくられながら冷静に思う。そんな時、彼のことを考える。それを彼に言ったら笑われた。

「援助交際みたいだね」

 と。

 だけど、そんな感じに私の時間は流れてきたのだ。彼と、最初にしたかった。素敵な思い出になっただろう。ルールを守ったうえでの行為。私には、堕胎の経験がある。もちろん夫の子供だ。お互い学生だったからという理由だった。それは両親にも言ってはいない。それを彼には言ってしまった。彼には秘密を言ってしまいたくなる雰囲気があって、それが私を安心させた。あの人は私と結婚したとはいえ、性に稚拙だった。それから私は娘を産んだ。淡々と時間が過ぎて、彼と出会い、その過ぎた時間を会話している。それが私を癒していく。お互いに必要だから出会ったのかも知れない。彼は私に何を求めているんだろう?

「好きになったから」

 とだけ言った。

 そんな彼が私は好き。好きだから会いたい。好きだから一緒にいる。ただ私は結婚をしていて娘がいる。娘には彼氏がいて、その彼氏が私の彼だ。告白してきたのは彼だ。特に驚くことはなかった。初めて会ったとき、そんな予感が体の敏感な部分を走った気がした。付き合うかも。そんな感覚は生まれてから初めての経験で、だから告白されたことに、驚かなかった。真っ直ぐな瞳で、

「好きになりました」

 と言ってくれた。吸い込まれそうだった。彼が最低だとは思わない。きっとたまたま私より娘との出会いが早かっただけだ。そのことに後悔はしない。だって出会えたんだもの。好きになりましたと、真摯に告白してくれたんだもの。娘は私に、

「かっこいい彼でしょ?」

 と言った。

「そうね」

 と私は言った。

 娘は初めての彼氏で嬉しそうだ。その彼氏は私のことが好き。その娘に対する優越感が不思議と心地いい。私は基本、いじわるなのかも知れない。今は娘の気持ちより、私の気持ちが大事。彼は、娘の体には触れていない。魅力があるのは私。そう思うだけで静かに濡れてくる。娘がいなければ彼に出会うことはなかった。専業主婦として、このまま時間は過ぎて行った。そういう意味では娘がいてよかったのかも知れない。子供は特に欲しい訳ではなかった。娘を特別かわいいと思ったことも、それほどないような気がする。義務感で結婚し、義務感で子供を産んだ。そんな感慨しかない。彼の唾の味。それは私の記憶になった。いつでもその味を、記憶の中から取り出すことが出来る。だから私は孤独じゃない。彼の皮膚の温度が、私を孤独にさせない。抱いてほしい。と素直に思える自分に不思議だ。堕胎の経験から、性に対して嫌悪感があった。それでも夫婦だからという理由で、私は夫を受け入れた。彼に抱かれることで女として、私は開いた。夫は彼との関係に気づいてはいない。私に挿れた時の感覚に疑問を持っただけだ。馬鹿な男だ。私の心は彼にある。彼は私の心を抱いてくれる。だから抱かれるたびに、癒されていくのだ。今まで私は夫にこんなに自分をさらけ出したことがあっただろうか?こんなに自分のことについて、会話をしたことがあっただろうか?自分のことを聞いてもらえる心地よさ。彼はそんな私に寄り添ってくれる。これが恋愛というものなのかも知れない。寄り添い合う。自分を必死に理解しようとしてくれる。彼には母親がいない。記憶にないらしい。その時はそこまでしか訊かなかった。私は自分の話に夢中だった。彼との距離感が苦しい。彼のことが好きという気持ちがいっぱいいっぱいで苦しい。でも彼の事を、ひとつずつ、飲み込んでいかなければいけない。彼と秘密裏に会うことは楽しいけれど、ちょっと距離を取ったほうがいいのかも知れない。娘に、

「ママちょっと痩せたね」

 と言われたし。

「でも最近きれいになったね」

 とも言われた。

「恋でもしてるの?」

 と、からかうように言われた。だから、

「カレシとはうまくいってるの?」

「う~ん」

「うまくいってないの?」

「ふつう」

 とだけ言って行ってしまった。


「娘とは、うまくいってるの?」

「ふつう」

「あの子も、同じこと言ってた」

 と私は言い、笑った。 

「年下と付き合うのは初めてだから、距離感がよく分からない」


 娘から告白をしたらしい。同じ大学で、ただ、バイト先で知り合ったらしい。娘には、彼氏が出来たと言われていたけれど、細かいプロセスは知らなかった。特に知りたいと思わなかったけれど、不意に入ってくる情報が私の中で線になっていく。娘と、

「別れようと思う」

 と、彼が言った。

 大事なのは私なのだと。彼は母性を求めているのかも知れない。簡単に付き合ったことを、私に詫びた。娘とキスもしていなかった。そんなことはどうでもよかった。それからある夜、娘が淡々と言った。

「彼と別れた」

「そうなの?」

 と私も淡々と言った。

「どう思う?」

 と娘が言った。

 って言われても……

「年下は合わないみたい」

「そっか」

「ママと仲が良かったのにね」

「もう遊びにこないんだね」

「寂しい?」

「ちょっとね」

「ママ……」

「ん?」

「好きになるって、どういうことなのか、よく分からない。ママはパパのこと、好きで結婚したんでしょ?」

「……うん」

 直ぐに私は答えられなかった。

「何それ?」

「好きというか、ママを大事にしてくれたから」

「ただそれだけ?」

「それだけ」

「それだけで、結婚しちゃうんだ?」

「しちゃったの。で、あなたが生まれたの」

「激しい恋愛の果てに、という事じゃなくて?」

「いま、してるけどね」

 と思ったけれど、

「そんなものだと思うよ?結婚て」

「つまんなーい」

 と娘は言った。

「家族が健康で幸せだったらよくない?」

「そうだね」


 私はずっと孤独だった。娘には、私を大事にしてくれたから結婚したと言った。私には堕胎の経験がある。だから私と結婚した?責任を取って?夫婦とはいえ、夫の本当の気持ちなんて分からない、分からなかった。今でも分からない。きっと夫婦としての精神的繋がりがない。今の娘は恋愛に憧れている。私もそうだった。そんな時にたまたま夫と出会った。妊娠した時私は悩んだ。その時の光景が今になって私の脳に映し出される。私を大事にしてくれたから結婚した。私をただ、そう思おうとしているだけではないのか?周りの空気が結婚?という雰囲気になって、その流れに私は乗ってしまった。別れたら、もう出会いは無いかも知れない。そんな恐怖も心の底にあったかも知れない。今だから分かる。夫を好きで結婚した訳じゃない。結婚に至った背景があるのだ。娘にそんな背景を説明するほど暇じゃない。そこまでして、自分を理解してもらおうとも思わない。本当の私の気持ちは日々の生活の忙しさの中へ、埋没していた。彼と出会うことでそれに気づいた。結婚はしなければいけないもの。そんな認識があった。その認識のちょうど目の前に、夫がいただけだ。夫に対し、愛はない。それははっきり分かる。夫婦は年月ではない。二〇年近く一緒に住んで、何の繋がりもない。夫が明日死んでも、きっと私は悲しくはないだろう。もし彼が明日死んだら、私は冷静ではいられないだろう。精神が壊れてしまうかも知れない。私が時間に流されながらでも築いてきたものは何だったのだろう。考えなくていい事ばかり、考えているような気がする。彼と出会い、視点が変化したせいだ。彼に抱かれたい。彼を子宮から飲み込んでしまいたくなる。果てるとき、私に強く抱きついてくる時の彼が好き。愛おしい。舌を強く吸って欲しい。彼との時間を思い出すたびに濡れてくる。娘はまだ、女として開いてはいない。私は彼によって開いた。彼を離したくはない。彼は私のもの。私を綺麗にしたのは彼だ。男にしか埋められない部分が、女にはある。それを彼と出会うことで知った。彼のものを口に含むことが好き。それは初めての経験だった。夫からは今まで要求されたことはなかった。彼から要求され、初めは抵抗があったけれど、今は要求されなくてもしてしまう。そんな自分をいやらしいと思う。そんな私を見下ろしている彼の冷たい目が好き。私の頭をやさしく撫でてくれる。褒められているようで、そんな私が好きだ。敏感なこの部分を、かじりたくなってくる。

「痛い!」

 と言わせたこともある。思い出し笑いをそのことでしてしまった。娘に、

「ママ最近へん」

 と言われてしまった。恋をしているんだもの。そんな言葉が何気なく頭を流れた。私の人生の中で、今が一番楽しいのかも知れない。私は私の意思で、彼と会っている。

「ママ、最近出かけることが多いよねぇ。カレシが出来たの?」

「なに言ってるの?短大を卒業して働いていた時の友達」

「そっか。どうでもいいけど」

「そろそろ子供が大きくなって、自分の時間が持てるようになったから、みんなで集まってるの」

「楽しんできてね」

 と娘に言われ、ちょっと複雑な気持ちになったけれど大丈夫。言われなくても楽しんでいるから、と言いたい。夫も娘も、今までそうやって送り出してきたのだ。復讐している感じ?が心地いい。だから私は許されるのだ。こう自分を納得させられるくらい、家族に対して従順だった。二世帯住宅で両親と暮らしている。別々の空間で距離感は適度だけれど孤独だ。私は夫と娘を送り出し、そして帰りを待った。今度はその孤独を味わえばいい。彼は就職し、会うのは週末が多くなった。外に出ることが嫌いだった私が出掛けることに、娘は違和感を持ち始めている。きっと夫もそうだろう。彼と距離を取らなければいけないことは分かっている。頭では。夫とは、デートらしいデートをした記憶がない。彼はおしゃれな店に連れて行ってくれる。お給料はそれほど貰えないはずなのに。それが嬉しい。息子を持った経験はないけれど、きっとこんな感じなんだろう。彼は私に母を見ているのかも知れない。


「女は年齢じゃないと思う」

 と彼が言った。

「ん?」

「総務の人に、告白された」

 レストランで食事をしながら彼が言った。

「で?」

 と冷静に私は言った。

「断った」

「どして?私と付き合ってるから?」

 私は彼に幸せになってほしい。

 彼と一緒にいると楽しいけれど、幸せになって欲しい。彼との関係の外側の現実の世界は、大人だもの、理解はしている。いつかは終わりが来るだろう。

「ブスだから」

「?……だったら綺麗だったら、付き合ってたの?」

 彼は私に意地悪に笑った。それから私を褒めてくれた。

「四二歳には見えないよ」

 とか、

「二〇代から時間が止まっているみたい」

 とか。

 私は本当の自分の価値を知ったような気がする。娘と姉妹に見られたことはあったけれど。

「女って、年齢じゃないね」

 とまた言った。

「綺麗な人は、きれいだもん」

 と言い、私を見つめた。だから今日も彼に抱かれた。彼も、だから私を今日も抱いたんだろう。週末、ラブホテルに行くことが義務のようになってしまっている。これはきっと普通ではない。彼との時間が私の生活の中心になりつつある。自分を求められる快感から、距離を取らなければ危険なことになるだろう。分かっている、頭では。ぎりぎりまでうまくやろうと思う。それから先は泣いてしまおう。きっとお姉ちゃんと父と母が何とかしてくれる。今までそうやって生きてきたのだ。生き方は変えられない。そんなことより彼が告白された。どんな女なんだろう。それを考えると腹が立つ。彼は何でそんなことを私に言ったんだろう。感情が不自然に動いて苦しい。私だけのものにしてしまいたい。素直にそう思った。私が夫に抱かれることは、たとえ交尾レベルであっても彼は嫌なのかも知れない。私にとっては、もう何でもない十数分の義務的な事、なんだけれど。彼は告白された。ただそれだけなのに、私の心は動揺する。夫との行為を何気なくしゃべっていたけれど、彼は傷ついたのかも知れない。私は嫉妬しているの?彼のものを口に含みたくなってくる。娘と別れると聞いたとき、ホッとした。緊張感で、最近疲れている。今まで向き合ったことがない感情と向き合っている。彼のことがすべて、なんて初めての経験だ。娘はこんな私をどう思うだろう?精神は疲れているのに体はいい感じに締まっていく。

「ママ、最近おしり上がったね」

 と言われた。

「体のラインもきれいになった」

「そう?」

「浮気してるんでしょ?」

「してない」

「パパも言ってたよ?ママが最近変わったって。パパとエッチしてるの?」

「何それ?」

「してるの?ママ」

「してるよ?」

 と、感情を揺らさずに言った。

「だったらいいけど」

「だったらってなぁに?」

「別に」


「失恋の傷は?まだ痛い?」

「ママって意地悪だね」

「心配だから」

「失恋の傷っていうか。メールはたまにしてるし」

「そうなの?」

「おかしい?」

 彼からそんな話は聞いていなかった。

「おかしくない?別れたのに」

「別に嫌いになって別れたわけじゃないし。付き合ってみて、合わなかっただけだから。へん?」

「う~ん」

 私は言葉が出なかった。

「まぁいいじゃない。そんなことよりママ、パパのこと、今でも好き?」

「う~ん」

「好きじゃないの?」

「夫婦って、好きとか嫌いじゃないの」

 好きではない。はっきり

「好きじゃない」

 とは言えない。だから、大人っぽい言葉を記憶から探した。そしたらそんな言葉が出てきた。自分でも内心びっくりしている。うまく娘を丸め込めるかも知れない。

「好きとか嫌いじゃないって、仕方なく一緒にいるの?」

「気づいたら、今まで一緒にいたってこと」

「でもエッチはするんでしょ?」

 私は軽く頷いた。

「義務で?」

「義務というか。夫婦だから」

 と、私は淡々と言った。

「好きだから、するんじゃないの?」

 好きだからじゃない。

「ママも分からない」

「ママって素直だね」

 と娘は言い、笑われた。


「ママって、子供のまま、大人になったみたい。生活感ないし」

「そう?」

「自分のこと、美人だって思う?」

「今日はなんなの?いろいろママに質問するけど」

「悪い?」

「悪くはないけど」

「結婚しなければいけないのかなって、思ったから」

「ん?」

「しなければしないで、何とかなるのかなって」

「何とかって?」

「今はうまく頭がまとまらない。ママは、私に結婚して欲しいと思う?」

「どっちでもいい」

「何それ?私に幸せになって欲しくないの?」

「結婚したいの?」

「え?」

「したければ、すればいいでしょ?」

「私はママの気持ちを聞いてんの!」

「だからどっちでもいいの、あなたが結婚しようがしまいが」

「私のこと、かわいくないの?」

「ふつう」

「ふつう?」

「しつこいよ?」

「ママ、最近変だよ?」


 もし離婚するようなことがあっても大丈夫。ここは私の実家だ。婿に入ることを条件に、私の両親が二世帯住宅にリフォームしたのだ。だから出て行ってもらう。そんな覚悟が最近出来た。彼とは絶対に別れない。だって好きなんだもの。私のそんな感情の変化を、娘は敏感に感じ取っているのだろう。自分に対する視線の強さの変化を、敏感に感じ取っているのだろう。娘は娘。私は私。今までは娘の世界が気になっていたけれど、今は私の世界に入ってきて欲しくない。娘は娘で好きなように生きればいい。私は今、女として輝いている。この事実が嬉しい。私の体型は娘の洋服を着ることが出来る。だから短めなスカートも、最近買った。そのファッションの変化にも、変だと感じているのだろう。


「変でもいいの。ママはママなんだからって言って、出てきちゃったの」

「大丈夫?」

 と彼が言った。

「そんなことより娘とまだメールしてるの?」

「うん」

「俺からは、してないよ。向こうから来るから」

「どんな?」

「ママが最近へんとか。俺に相談してくるっていうか」

「変な子」

「浮気なんかするからだよ」

 と彼は言った。

 俯瞰した感じに、彼は言った。

「浮気はやめたほうがいいと思う」

「はぁ?」

 私は彼を見つめた。

「それでもいいの?」

「俺はやだけど」

 彼は純粋に私を好きになったと言った。その気持ちが嬉しい。私にとってはきっと初めての恋愛で、そして最後の恋愛だ。今度は自分の気持ちから逃げない。大丈夫。いざとなったら両親とお姉ちゃんがいる。夫とは、別れてしまえばいい。娘はもう子供じゃない。彼を好きという気持ちを無視できるほど、私は夫を好きではない。それに彼はカッコいい。娘に告白させるほどの男だもの。そんな人に私は告白されたのだ。これが、私にとっての最後の恋愛。輝いている感じが初めてする。お姉ちゃんはこんな私をバカだと言うだろう。その時は泣いてしまおう。でも彼を見たら、納得してくれるかも知れない。


「娘にお尻が上がったねって言われたの。体のラインもきれいになったって」

「腰をかなり振るもんね」

 と彼は意味あり気に言った。

「うん」

 と私。彼に抱かれ始めて体が健康的になった。生理不順だった。それが周期的になった。間隔を指で数える。ぴったりだ。そのリズムが何気なく気持ちいい。彼のものは真っ赤になるけど生理が早く終わる。周期が安定したので私の中で出してしまえる日が割り出せる。彼はそれをきちんと守ってくれる。きちんと守ってくれるから、きちんと生理が来る。夫より前に、私の中で出させてあげたい。と言ったら

「何それ?」

 と、彼はちょっと怒った。

「私が抱かれるの、いや?」

「うん。だからもうするな」

「なるべくしないようにする」

 とは言った。

「なるべくって何だよ!」

「今日はどうしたの?」

 彼の大きな声を初めて聞いた。

「夫婦なんだもん。でも交尾だから」

 と、あの時を思い出して、笑いながら言った。車の中だった。公園に停めていた。夜だった。

「口でやれ」

 と彼は怒ったように言った。

 だから私は言われるままに従った。助手席から体を伸ばして、彼のファスナーを下げて、ピョンと出てきた彼の固くなったものを含んだ。それでちょっと気持ちが落ち着いたらしい。私の背中をやさしく撫で、服をたくし上げて下着をずらし、左胸をいじくっている。私は何も考えなかった。彼が望んでいるなら、それでいいのだ。彼の奴隷。私はそれでいい。私は彼に愛されたい。もう少し、早く出会いたかった。そうすれば、私は彼だけのものだった。私がもし独身で、今出会ったら、彼は私と結婚しただろうか?訊いてみたい気がするけれど、怖い。私は今四二歳。彼は二三歳。きっと、彼の周囲が反対するだろう。私の周囲だって反対するだろう。もう子供は産みたくはない。彼は自分の子供を持ちたいとは思わないだろうか?新入社員として、彼は日々の生活に精一杯。そんな彼にやさしく寄り添えているのは、今の私だからだ。生活には困らない。結婚も出産も経験している。その上での恋愛。彼は彼で楽だろう。だって責任を取る必要がないのだから。したいときにしたいだけ、出来る確率は限りなく高いのだから。私は家庭を大事にしなければいけないのかも知れない。もちろん彼を失いたくはない。今更だけれど、家庭も失いたくはない。両方成立してこその私でいたい。困った。どちらも失いたくはない。彼も、私を失いたくはないだろう。男としては魅力がある。会社員としては無駄な美しさを持っている。その美しさが、総務の女を惹きつけたんだろう。ブスのくせに。見たことはないけれど。私が離婚したとする。私は実家を出て、彼の狭いアパートに引っ越すなんて嫌だ。今の生活の陰で、秘密裏に愛され続けたい。夢なんてもうない。彼と一緒にいられさえすればそれでいいという感覚を、現実化させる情熱はない。娘も気づき始めている。ここで、彼と本当に距離を取らなければいけないのかも知れない。それか……別れなければいけないのかも知れない。そう考えて苦しんで、二年ほど経ってしまった。まだ彼とは別れてはいないし、家庭も壊れてはいない。夫も何かしら感じているだろう。でも主導権は私にある。この家は私のものだ。私の両親が建ててくれたものだ。この家に住んでいるだけで、夫は何も言えない。ただ、この二年の変化として、寝室が別々になった。私に不潔感を感じているらしい。朝方、夫が求めてきた。下の私を長い時間いじくっていた。私は足を開く。その時夫は何かをはっきり感じたらしい。

「男と遊んできたな」

 と言い、そのままやめてしまった。次の日から、寝室が別になった。私としては、遊んできてはいない。愛し合ってきたのだ。好きになって少しずつお互いを理解して。夫は自分のイメージを私の体で興奮させるだけだ。

「はいはい……」

 そんなめんどくさそうな私の俯瞰した態度に、男をはっきり感じ取ったのだろう。夫は私の体を理解していない。理解しようともしない。彼は私の体を長い時間を掛けて、理解してくれた。もう簡単に別れられるはずがない。体の相性がいい。体に相性があることを、初めて知った。彼と出会わなかったら、ずっと知らなかった。それはそれで幸せだったかも知れない。満たされない部分は自慰をして埋め続けていく。そんな可能性があったことに、寒気がする。夫は何を考えているのだろう?会話もまったく無くなった。不気味だ。死ねばいいのに。


「パパと寝室別にしたの?」

 と娘が言った。

「そうみたいね」

 と私は言った。

「何かあったの?喧嘩したの?」

「別に。パパがママのこと、嫌いになったんじゃないの?」

「離婚したりしないよね?」

「パパに訊いてみたら?」

 寝室を別にしたことは、彼には特に言わなかった。でも知っていた。娘に「彼には言わなくていいから」とも言えない。彼は複雑な気持ちらしい。そうなったのは、自分に原因がある、というようなことを言った。私の家庭が揺れている。そのことに責任を感じている。彼との始まりは素敵だった。だからといって、まだ終わりにしたくない。結局終わりに向かっているのだろうか?このままの距離感が心地いいのに。夫としてきた回数よりも、彼との質のいい回数が残り香のように記憶に残っている。彼を嫉妬で巧妙に挑発し、貪られたい。そんな欲望も、私にはある。開いてしまった私。今後とも、彼にその責任を取り続けてもらわなければいけない。それを彼に言ったら、

「何それ?」

 と言われた。

 きっともう、夫婦以上の関係なのかも知れない。彼と出会い、女としての時間が動き始めた。その衝動が私にはあった。だから彼に出会うことで、その衝動に気づいたのだ。こんなにも、深く自分を見つめたことはなかった。そしてこんなにも、セックスについて、考えたこともなかった。抱かれたい、と素直に思える。彼は抱いてくれる。ただ、心で抱いてくれなかった時があって、その時は涙が出た。ストレスを発散させるような乱暴な抱き方で、買われているようで、やだった。彼に対して気持ち悪さを感じた。夫の抱き方のように、私の体でイメージを発散させようとした。男の人のそういう時は、きっと誰でもいいのだ。私は夫と彼しか知らないけれど、きっとそうだろう。彼はふつうの男ではないと思っていたけれど、彼も普通の男だ。夫のような一面を彼に見たとき、私は悲しくなった。愛撫をしようとしなかった。車の中だった。強引に、下の私をいじくっている。それを私は冷静に見ていた。そんな彼を見ていたら、涙が出た。彼はそれを察して止めた。自分を取り戻したようだった。

「ごめんね」

 と彼は言った。

「いいよぉ?」

 と私は言った。

 どれくらいの時間かは分からないけれど、長い時間、座席を倒して私も彼もジッとしていた。

「帰ろうか」

 としばらくして、彼が言った。

「うん」

「今日はごめんね」

「いいの。大丈夫?」

「ありがとう」

 と彼は言い、その日は別れた。彼には強くなって欲しいと思った。孤独にはさせない。だから、社会的に強い男になって欲しいと思う。素敵な男になって欲しい。そうしたら、私から羽ばたいていってしまうかも知れない。そう考えると私が寂しい。何となく母親になった気分。彼は母親の愛情を知らない。私は彼に甘えられるのが好き。私の胸を愛撫している時、彼はきっと母性を感じて癒されているのだろう。二十歳になった娘がまだ私のおっぱいを恋しがる。この前一緒にお風呂に入ったとき、

「ママ、おっぱい吸ってもいい?」

 と言われたので、

「ダメ」

 と言った。

 娘に甘えられても嬉しくない。子供のままでいたい気持ちは分かるけれど、気持ち悪い。娘も私に気持ち悪さを感じているだろうか?だったら一緒にお風呂は入らないよね?と自分を納得させる。

「ママの胸、きれいだね」

「そう?」

「びにゅ~」

 と娘が言って、つんつんした。

 彼と出会う前、左の胸の乳首がちょっと陥没していた。それを彼に吸われることで、きれいに修復された。びっくりした。夫は私の胸に興味はない。彼は

「関係あるのかな?」

 と言って照れて笑った。その記憶が頭を軽く流れた。

「早く出なさい」

 と私は胸を左腕で押さえて言った。

「ママ」

「ん?」

「私のママだけでいてね?」

 と娘が言った。

「何言ってるの?」

 とごまかしたけれど、ちょっと痛かった。

「でもママは女なの」

 とは言えない。両親の不仲は子供にとって嫌らしい。でも夫のことは嫌いだ。夫婦でありながら、夫のことは何も知らない。職業は公務員だけれどどんな仕事をやっているのか知らない。そんな会話を今までしたことがない。給料も、いくら貰っているのか分からない。毎月私の口座に決まった金額が夫から振り込まれるだけだ。私が食事を作っているので、両親からも年金から食費として渡される。特にローンはない。


「私が結婚してこの家を出たら、この家、どうなるの?」

 と娘が言った。

「結婚するの?カレシ出来たの?」

「しないし、まだカレシはいないし、今は欲しいとも思わない。私がもしそうなったらっていう話」

「どうにもならないと思うけど」

 と、興味無さそうに私は言った。

「跡継ぎがいないでしょ?」

「そっか」

 娘に言われて気づいた。

「どうするの?」

「知らない」

「知らないって、この家はじゃあ誰が継ぐの?」

「何とかなるんじゃない?」

 娘は笑った。

「私がパパとママの面倒を看なければいけないでしょ?」

「別に看てくれなくてもいいの。その時はこの家を売って、そういう施設に入ろうと思う」

「パパと?」

「パパとママのことは、心配しなくていいから、自分の幸せをまず考えればいいと思う」

「パパとママを見てると、結婚したいって思わないんだよねぇ」

「だったら結婚しなければいいでしょ」

「ママって、人生を深く考えたことないでしょ?」

「末っ子だったから」

「関係ないと思うけど」

「きょうだい欲しかった?」

「う~ん」

 と娘は考える。

「お姉ちゃんか、お兄ちゃんが欲しかったかな」

「実際はいたんだけどね」

 とは言えない。それを知ったら娘の感情はどう動くだろう。父親を最低だと思うだろうか?パパという視点から、最低な男という視点に変化するだろうか?その堕胎した場所から、娘は生まれてきたのだ。それを思うと私自身が気持ち悪い。私のここっていったい何だろう?今では彼のものを受け入れることに喜びを感じている。ここは、私の第二の目だ。男と女の裏側を見ている目だ。この目が彼を見、彼を欲しがった。彼は私のそこを見つめ、「綺麗だね」

 と言った。

 彼は私の第二の目と見つめ合い、綺麗と表現した。

「そうなの?」

 と言ったことを私は憶えている。

 早いとき、夫は数分で果てる。その効果で、色も形もそれほど傷つかなかったのだろう。無傷とはいかないけれど、それに近い状態で彼に提供出来たことは、奇跡。偶然の出会いと偶然の保存状態。これは奇跡。人生は素敵。初めてそう思える。娘には、本当に好きな人として欲しい。それだけが、私にできるアドバイス。いつか言葉として言ってあげよう。過去に戻れても、彼と出会うのは四二歳。本当に好きな人としたいと思っても、本当に好き!という感覚がどういうものなのか、あの時には分からなかった。付き合って、そういう雰囲気になって、私は夫に身を任せた。妊娠し、堕胎した。彼に最初の人になってもらえばいい。娘に対し、そんな馬鹿げたアイデアを持ったけれど、すぐに意識で掻き消した。娘はもう知っているかもしれないし、そうでないかも知れない。娘であっても彼女の事は、もうよく分からない。適齢期に、本当に好きになった人と結婚できる人は幸運だと思う。本当に好きでない人と私は結婚し、子供を持ち、家庭を築いた。夫と協力して生きてきたという感慨はない。両親と姉二人のおかげて子育ては楽だった。娘がもし結婚してこの家を出たら、一緒に旅行でも行こう。なんて夫に言われたら気持ち悪い。私はなぜあの時夫と結婚してしまったのだろう。ただ、一生結婚はしなくてもいいという選択肢はなかったような気がする。いつかは結婚する。漠然が現実になった時、こんなものかと思ったのも事実だ。私はただ、傍観していればよかった。話が勝手に進んでいく。両親は二世帯住宅を建ててくれ、子育てについては両親と姉二人が支えてくれた。夫はいったい何をしていたのだろう?結局、いなくてもいいのかも知れない。夫とこれからどういう風に付き合っていったらいいのか分からない。娘がいるから、娘を介して会話をしているようなものだ。娘が居なかったらと思うと吐き気がする。気づかなかったけれど、こんなに私は夫のことが嫌いだった。長い年月を掛けて嫌いになったわけじゃなくて、もともとこんな気持ちだった。これが私の本心だ。そのことに、長い年月を掛けて今、気づいた。私と夫の出発点にまで、私の思考は遡る。彼に言われた。私はどうやら年齢を重ねることで、綺麗になっていくタイプらしい。

「若い頃はもてなかったでしょ?」

 と言われた。

 そもそも恋愛に執着というものがなかった。

ただ漠然とした憧れは、私の内側に沈殿していたようだ。なぜなら、彼と出会ったことで、それに気づいたからだ。姉の彼氏が自宅に遊びに来たりして、周囲の友達にも彼氏が出来始める。それを私は無関心に眺めていたような気がする。それをもてなかったと彼は表現した。違うような気がするけれど、彼が言うからそうなんだろう。友達の紹介で知り合って、そのまま付き合ってしまった。それが夫との出発点だ。ばかみたい。過去のその時の自分に対して思う。彼との出会いは突然だった。娘が自宅に連れてきた彼氏。それも、擦れ違ったら振り返るであろう美貌を持っている。時間が私を熟成させた。ワインで言えば飲み頃で、その無名のワインを彼が見つけてくれたのだ。熟成されていなかった時の私と出会っても、彼はきっと無関心だっただろう。

彼とそんな話をしたことがある。

「ひどい」

 と彼の言葉に言った記憶がある。

 彼と早く出会っても、結局無理だったと結論した。彼の事は好きだけれど、結婚はしたくない。最近そういうふうに考えるようになった。料理で言ったら、毎日フレンチを食べるようなものだ。ドレスアップして背伸びして緊張して料理と向かい合う。彼と会う時はそんな感じだ。素敵な時間を過ごすことが出来る。ただフレンチはおいしいけれど、毎日は食べたくない。毎日ドレスアップなんてしたくない。車で高速道路を走っているようなスピードで、女としての時間が過ぎている。私の女としてのスピードは、二十代前半で止まっていた。そこから彼と出会い、ものすごいスピードで走り続けている。だからかも知れない。私は疲れている。リゾート地に独りで行って、バカンスをしたい気分だ。そして愛について考える。ただそんな才能は私には無い。皆無だ。彼に会う。私にとってはそれが自分の解放だった。解放であり家庭に対する復讐だった。私は家に、ただそこに居た。そんな存在だった。そこから私は解放されたのだ。解放されてこの場所から見える景色は、背徳感があってどきどきする。学校をサボって遊びに行ったら、きっとこんな感じだったのだろう……



 過去に溜まっていたエネルギーが今の私を動かしている。素敵だと思える人との恋愛。それを過去の私は、きっと望んでいたのだろう。私には無理だと思っていたから、夫で妥協をしたのだろう。それから私は少しずつ綺麗になっていく。そんな私を彼が見つけてくれた。眠っていた過去の私が、パッと目覚めた。望んでいた瞬間に出会えたのだ。残念なことは、簡単には切れないしがらみがある、ということ。結婚もしているし、子供もいる。それなりの資産もある。だから何?と過去の私が言う。彼のものを下の私の中に受け入れた時、勇気が必要だったけれど、嫌ではなかった。果てるタイミングをコントロール出来る彼に、素直にびっくりした。安心して一時間以上は身を任せられることに、感動もした。彼に抱かれることで、過去を乗り越えられたような気がする。若い頃はブスだった私。彼に抱かれるたびに、醜かった過去の私が頭を流れる。彼が私を激しく突く。彼が過去の私を壊していく。彼と繋がっているから過去の本当の私と向き合える。突かれるたびに、私は強くなっているのかも知れない。彼との体の相性はいい。体に相性があることを初めて知った。彼に抱かれる。その効果は私にとってはいい。それを、精神的にも肉体的にも実感する。夫の、私の体に対する思考と扱い方は稚拙。いったい私の何を今まで見てきたのだろう。私の内面を見つめてくれたことは無かった。だからずっと私は孤独だった。彼は私を女にしてくれた。私の内面を知り、傷ついた。私に対して傷つけば傷つくほど、私を抱きたくなるのだろう。だから私は彼の奴隷になると決めたんだ。彼の望むままに、体を提供しよう。だって彼のことを愛しているんだもの。彼の孤独や痛みを共有したい。私の肉体で彼を癒せるならと考える。彼から精神的に必要とされている。それが私を孤独にさせない。彼と私の精神は繋がっている。それが女としての私のプライド。彼との濃密な時間。これからも記憶として蓄積されていくだろう。寂しいと感じた時、孤独になった時、その記憶が私を助けてくれるだろう。ずっと私は孤独だった。孤独であるということに、気づきもしなかった。彼との初めてのキス。ドキドキしたことを憶えている。夫とは、キスなんてほとんどしたことは無かった。舌を入れられて、だから私も舌を絡めた。それだけで、濡れたことをはっきり憶えている。真っ直ぐな目で見つめられた。彼の唇を私の唇に感じた時、あの時私は女になったのだろう。

唇を重ねるたびに、くすんだメッキが剥がれ落ちていくような感覚があった。一枚一枚剥がれ落ちていく。そして私は過去へ遡っていった。彼が私を激しく突く。私の過去を突き上げ、壊していく。本当の自分と向き合わなくたって、きっと私はあのまま生きて行けただろう。質のいい突かれ方で、本当の自分を炙り出されてしまった。自分と向き合うために私は、彼の体を求めた。自分と向き合ったその先に、彼は必ず果てさせてくれる。過去を炙り出すには時間が必要だった。好きになった。だから自然と裸になった。自然とキスした。彼は夫と違い、果てるまでの時間が長い。意識のコントロールがうまいのだ。私自身も果てるまでの時間が長いことを初めて知った。肌を合わせる時間。それは過去が流れる時間。夫は早すぎて、そんな時間が流れることを私は知らなかった。夫との行為は交尾だった。ベッドはダブルで高かった。両親が家を建ててくれ、友達が見に来た。ベッドは自分たちで買った。寝室に入り、そのベッドを見、

「ここで何するの?」

 と意味あり気に友達が言った。

 友達と私は顔を見合わせ、ニヤッとしたことを覚えている。ここでしてきたことは交尾だった。何か笑える。ベッドの価値に見合わない行為。野良犬が自分の部屋のベッドの上で交尾をしていたら許せないだろう。私と夫が長年してきたことは、それだ。笑える。と彼に言われた。夫との儀式。それはそれとして妻として、私は務めてきたのだ。無意味ではなかったと思いたい。彼に嫉妬させるだけの材料にはなっている。嫉妬の解消として彼は、私の体を強引に貪る。そこがまだ子供。かわいいと思える。寝室が別になったけれど、たまに夫は私を求めてくる。それは彼に言ってはいない。それでも生活費を入れてくれる夫へのサービスだ。私は下の私を十数分貸しているだけ。キスもなく愛撫もない。それでも今まで濡れていたのだから笑ってしまう。そんな過去を彼に話すことで少しずつ客観視され、それはそれでいい、という悟りのような境地になった。夫はそういう人。それ以上でもそれ以下でもない。彼と相対的に夫を見ても。彼は出来る子で、夫は出来ない子。ただそれだけだった。夫では感じない体は、きっと女としての精神の成長の証だろう。生活費のために体を提供する。まるで援助交際だ。そんな冷めた私の心を、夫は感じているだろうか?好きなだけいじくればいい。それはそれでいい。そんな自分をみじめに思わないのなら、そこまでの男だ。夫婦だもの、いじくらせてあげる。私にも意地がある。そんな私の気持ちを彼は理解した。嫉妬による攻撃的な私の肉体への彼の欲望は、すべて受け入れてきた。きっと彼も、疲れ果てているだろう。疲れ果てているからこそ、呆然として受け入れるしかない。だからこそそれでも彼は、私を求めてくる。愛ではなかった。意地だったと思う。性的に忙しい日々。幸福感。そう!幸福感。求められる幸福感。あの時の私は幸福だった。彼は無性に私を抱きたがった。あの時の私は、それだけの体力があったのだ。夫は私を満たしてはくれなかった。解放されなかったエネルギーが凝縮されている。彼は華奢な体で、そのエネルギーと対峙している。私は彼のものが好き。意識を正しく認識できない状態にしてくれる、彼のあれが好き。意識で彼に会うことを止めることは出来ない。下の私が彼を求めている。どうしたんだろう?自分で自分が分からない。夫にこんな状態にしてもらったことがない。免疫がないからうまく感情をコントロールすることが出来ない。だから会いたい抱かれたい口に含みたい。友達なんてどうでもいい。本当に大事な事は言えない。彼に無性に抱かれたいの、なんて言えない。女には、男にしか見せられない顔がある。そして男にしか埋められない場所がある。そのことを彼と付き合うことで知った。彼を失いたくはない。私の心は彼の内側にある。彼の心を私だけのものにしてしまいたい。彼が私の名前を呼びながら、私を突いている時が一番安心する。その時彼は、私だけのものだ。彼が果てる時が好き。私をギュッと抱きしめるから。彼の精液が、私を満たしてしまえばいい。下の私から、一滴残らず吸ってあげる。一滴さえも、私だけのものだ。私の中でどくどく出ている感覚が好き。その時私は彼を強く抱きしめてあげる。いい子だねっていう感じに。その時彼は、私に甘えられる安心を感じているだろう。彼の無防備な荒れた呼吸に身を任せる。その呼吸が耳に近づく。それを思い出す度に彼が欲しくなる。下の私がぐじゅぐじゅする。夫に対してこんな想いを持ったことは一度もない。だからこそ彼との時間を大事にしたい。だからこそ、彼との時間が貴重に思える。性に目覚めた女。今の私はそんな視線でも見られる女なのかも知れない。でもそんな視線と闘おうとは思わない。彼と秘密裏に会い、ただ抱かれたいだけなのだから。理解はきっとされない。理解されようとも思わない。私は愛されている、という感覚を、共有しようとも思わない。この感覚は私だけのものだ。私は彼に必要とされている。

「俺はお前がいないとだめだ」

 と彼は私の上で言った。

 この言葉は私の存在を救った。

 女としてのプライドを持たせてくれた。だから彼に利用されてもいいと思った。男に騙される女は馬鹿だって認識していたけれど、女ってそういうものだと、彼を好きになって理解出来た。彼に騙されたわけではないけれど。ただ彼に、お金を無心されたらきっと私は言われた金額そのままを、渡してしまうだろう。それで責められることがあっても私は、絶対に後悔はしないだろう。なぜなら、愛されたから。幸せだったから。女は幸せになればなるほど不幸を予感する。だからその時の心の準備を、私はしている。きっと責められるだろう。娘の恋人だったこと、年齢差のこと。それでも幸せだった記憶が、私を卑屈にはさせないだろう。誰にも理解はされなくていい。彼との記憶は私だけのもの。女として、なんて私は幸せなんだろうと思う。最低という視線に私は動じない。彼と精神が繋がっている。それは絶対的な繋がり。相対的なものなんかじゃない。


……


思考が飛躍し過ぎて疲れた。

彼のことが好きだから、不安が大きくなるのかも知れない。彼との関係があたり前の様に過ぎて行く。それを望んでいたのに怖くもある。どこまで続くのかという不安。彼には未来がある。彼の未来を支えようと思う。

「俺の未来?」

「うん。このまま私と付き合っていていいの?」

「どして?」

「結婚だってしなければいけないでしょ?」

「結婚?」

「うん」

 と私は寂しそうに言った。

 彼と一緒にいると楽しい。でもこのままじゃ駄目。それはきちんと理解はしている。彼が駄目になってしまう。

「結婚はまったく考えてない」

 と彼は言う。

「まだ二十代だし」

「でもいつかはするんでしょう?」

「分からないよ」

 と彼は素っ気なく言った。嫌な空気が流れた。彼と一緒に未来を考えることが出来たら、どんなに幸せだっただろうと想像する。こんな家に住んでとか、子供は何人でとか。私は結婚し、子供もいるけれど、夫と未来について語った経験はない。だからきっと、そんな想像をするのだろう。


 彼との時間はあっという間に過ぎて行く。出会って三年が通り過ぎた。日常は何も変わらなかった。夫と娘は最近何を考えているのか分からない。それでも夫はたまに私を求めてくる。娘と彼のメールのやりとりは、もう消滅してしまったらしい。淡々と日常は過ぎて行く。だから私も彼と淡々と会い、淡々と裸になる。仕事のような感覚に、自分のことが滑稽になる。彼に会うということも、すでに日常のリズムになっている。だから彼が出張で会えないときは、おかしくなりそうだった。日常は淡々と過ぎて行くのに、私の感情は激しく動く。生きているという感覚にヒリヒリする。自分は生きているんだという実感がある。日常のあたり前のリズムの中で、私の感覚は死んでいた。彼と出会い、あたり前の日常のリズムの中に、ドキドキする瞬間が出来た。私は彼と会う時だけ、きっと生きているのだ。本当の自分を解放することが出来るのだから。私は彼の上で下で、無防備で激しい顔をしているだろう。それを知っているのは彼だけだ。そんな自分になりたいから、私は彼を求めるのだ。彼は彼でそんな私を見ることで、優越感を得、ストレスを解消しているのだろう。私はすでに、過去をすべて吐き出しているのかも知れない。彼と肌を合わせることで、過去と向き合うことが出来た。続けて肌を合わせることで、過去に決別出来ているのかも知れない。彼の嫉妬も、私を抱き続けることで、すでに解消されているのかも知れない。彼の求めることは、すべて受け入れてきた。それで私を愛してくれるならと、受け入れてきたのだ。私は彼の奴隷。それは手紙にも書いた。彼に求められる。私は無防備になり、彼の指示に従う。そんな私を彼は、俯瞰するように見ている。彼は彼で、きっと私に対する感情がギリギリなんだろう。彼も、私に対して苦しんでいる。だから私の心を試すために、私が嫌がるであろうことを指示するのだろう。でも私は嫌がらない。だって彼のことが好きなんだもの。彼の心をすべて飲み込んでしまいたい。だから私は彼の奴隷になると決めたんだ。私が愛した男だもの。こんなにも好き。この気持ちを分かって欲しいから、私は彼の奴隷になると決めたんだ。

「私だけは、ずっとそばにいるから」

 彼が果てるとき、私はいつもそう思っている。私は彼を裏切らない絶対に。彼に抱かれてきたことは間違ってはいなかった。彼は必ず私を果てさせた。私の気持ちを大事にしてくれる彼が好き。現実から逃げるために、彼は私を抱いているんじゃない。現実の世界に疲れ、そんな自分を癒したいから私を抱くのだ。そんな彼の癒しに私はなっている。夫は歪んだ欲望を私の体を使って満たしているだけ。そこに私の気持ちなんてない。彼は私の気持ちを尊重してくれる。その上で、自分の心も癒しているのだ。男と女はきっと、独りでは生きられない。私はずっと独りだった。彼もきっと、独りだったのだろう。娘には、彼の孤独に気づき、癒すことが出来なかったのだろう。ますます彼が分からない。母親の愛情を知らずに育った彼。彼もますます自分が分からないのかも知れない。仕事で疲れ切っている。私と会うことで、自分の闇と向かい合っているのだろう。そんな彼を、ますますかわいいと思う。こんなに肌と肌を触れ合わせているのに、彼の事が少しずつしか分からない。彼がどんな仕事をやっているのかさえ、よく知らない。今まで彼が、点として話してくれたことが、今になって私の頭の中で線になっていく。リアルタイムに彼の気持ちが理解できているわけじゃない。それが寂しい。私の心だって絶えず動いている。私だって、私を理解して欲しい。彼との距離感が苦しい。もちろん会いたいよ。でも彼と会うと緊張する。自分をさらけ出したい気持ちと、彼を受け入れたい気持ちと。彼が沈んでいる時、その時私がさらけ出したい気持ちの時は最悪だ。好きだから、私を理解してほしい。その気持ちが強すぎて、喧嘩をしたこともある。男はストレスが溜まると黙って考え込む。女はストレスが溜まるとしゃべりたい。きっと脳の根本が違うのだろう。抱き合っている時、彼と私の流れる時間の質はきっと違う。ふとそんなことを考えた。私が抱かれている時、流れた時間は過去だ。彼が私を抱いている時、流れている時間もきっと過去に違いない。コンプレックスや嫉妬や不安や憎しみを、彼と私は昇華させているのかも知れない。回数が増えれば増えるほど、私と彼の行為は洗練されていく。彼の肉体を理解する。彼は私の体を理解する。それは地道で生臭い。行為にも、努力と改善がお互いに必要であることを知る。夫の行為がますます稚拙に感じられる。それも仕方がない。生活費の為だ。行為が終わり、今日の行為について彼と考え反省する。彼が最中の私のものまねをする。

「そんな声出してるぅ?」

 と私は言う。

「うん」

 と彼は素っ気なく言う。恥ずかしい。でもそんな時間が好き。夫とそんな時間を持ったことは一度もない。抱き合った後のミーティング。

「長い」

 と彼は言った。

 どうやら果てるまでの時間が、私は長いらしい。

「もうそろそろかな~と思うと気持ちが沈んで、」

 と彼は私の状態を説明する。

「そこからが長い。しつこい」

「しつこい?」

 私はびっくりした。

「しつこい。そこからがお前は長い」

 と彼に言われた。

 私の性のポテンシャルを最大限引き出すことが出来る彼だからこその気づき。私はどうやらそこからが長いらしい。果てそうになると沈み、その波がだんだん細かくなっていき果てる。それを彼に指摘され、そんな自分に気づいた。

「容姿だけ見ると、早そうなのにね」

 と彼は淡々と言う。

「かわいらしいから、ちょっと、こういじったら」

 と言いながら、私のクリトリスをいじくる仕草を指でして、

「簡単にね」

 とぼそぼそ言葉を続ける。彼は私の容姿とのギャップを楽しんでいる。彼の話す態度でそう理解する。私だって自分の事をびっくりしている。こんなに長いとは知らなかった。夫には、それを引きだす才能が無かった。エッチとはこういうものという、漠然とした概念が彼によって崩された。私は彼のあれが好き。だから率先して口に含みたくなるのかも知れない。下の彼が好き。初めて口に含む時、もちろん彼に言われたからだけれど、抵抗があった。だって初めてだったから。口に出された時は飲んでしまった。そういうものだと思ったから。精子が喉を通過する感覚。ドロッとする。彼のことは好きだけれど、異物を飲み込んでいるようで、私は嫌な気持ちがした。それからはティッシュの中に吐き出すようにしている。そして私はその匂いを嗅ぐ。初めの頃は、無臭だったような気がする。でも最近匂いがつよい。臭いと表現したくなる。彼はそんな私を観察している。

「飲めよ」

 と彼は言うけれど無理。

 過去に、そういう女がいたようだけれど、だから私には余計に無理。彼が、私に過去の女を重ねて見ている視線がイヤ。だから私は余計に潔癖症になるのだ。もしかして娘?そんな疑念が私に芽生える。でも彼は、娘とは何もないとは言った。別に娘が、彼の精子を飲んでいようがどうでもいい。私には無理。ただそれだけのこと。彼は安全日に、私の中に放出する。私は入口にティッシュをあて、出された液体をそのティッシュで受け止める。彼はその行動を冷たい視線で見ている。私はそんな視線を無視してそのティッシュの匂いを嗅ぐ。

「くさい」

 と正直に私は言う。

 彼は知らんぷりする。彼は傷ついているだろうか?ただ、この汚物を処理しなければいけない。ホテルだったらゴミ箱に捨てればいい。でも今日は私の車。帰りにコンビニのゴミ箱に捨てる。それが不文律。ビニール袋の中に大量のティッシュが丸められて入っている。それをコンビニのゴミ箱に捨てる。捨て、そして私は何食わぬ顔でコンビニの中に入っていく。さっきまで、彼と抱き合っていたのだ。そんなことは、レジの店員には分からないだろう。あたり前だ。そんなことは私自身、理解をしている。コンビニに入っていく、いつもの状態とは違う。その違和感に、私は違和感を感じているのだろう。罪悪感のような。いつものコンビニ。そこに入っていく、さっきまで乱れていた私……みたいな。買い物が終わるまでに、いつもの自分に戻らなければいけない。特に買いたいものはないけれど、生臭いゴミを捨てるだけでは申し訳ないような気がして。家族に対する罪悪感もあるからかも知れない、だから新発売のデザートを買ったりしてしまう。彼は性的に私を満足させてくれる。その余韻が残ったまま、私はコンビニの中に入っていく。まるであの明りに吸い寄せられていくようだ。私はその時、どんな顔をしているのだろう。女の顔をしているのだろうか?トイレに入って鏡を見たい欲求を消す。自分はいつもと同じだと思いたいのだろう。鏡を見て、いつもと違う自分であったらどうしようと想像する。そんな自分を受け入れる器は、今の私にはない。現実は、私は彼に抱かれている。きっとだから私は、女の顔をしているのだろうでも、それを受け入れる器は、今の私には無い。



 彼と出会い過ごした時間は私にとっては夢の時間。それはきっと封印しなければいけない時間なのかも知れない。私は彼と“愛”を高めた。そろそろ現実の世界に帰らなければいけないのかも知れない。彼は彼の時間が流れ始めている。もう学生ではない。社会に出、視野が広がり、私との時間を異常に感じているかも知れない。私にとっての彼は、この世の中で一番だけれど、会社にとっての彼は一番ではない。会社にしがみつくことで精いっぱいの彼は私には、とても不細工に見える。最近、夫に抱かれているような感覚に、

「つまんない」

 と不意に会話の中で言ってしまった。

 それは彼のプライドを傷つけたらしい。

 社会的な地位の低さを指摘されたと、強引に頭の中で結びつけたらしく、

「お前、誰の女だよ?」

 と彼は乱暴に言った。

 私は彼の名前を棒読みで言った。それが気に食わなかったらしく、

「舐めろ」

 と彼は言った。私は彼の言葉に従ってやった。彼のものは、私の口の中で膨張しなかった。それでも私は続けた。

「ごめん」

 と彼は謝った。車の中で、そしていつもの公園だった。私は彼のものを口に含んだままだ。彼は私の髪を撫でている。それでも彼のものは大きくならない。それはそれでかわいかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それでも彼が好きぃ 魚麗りゅう @uoreiryu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ