第91話 扉の前でのひと騒動
僕達が連行されたのは、名も無き街の中央にある一際大きい建物で、そこには大勢の人が忙しそうに出入りしていた。
「親父ぃ、お疲れ様です!」
「おう」
菊と大きく描かれた暖簾を跳ね除けて、中へと入って行った菊五郎さん。
「おら、さっさと入れ」
「わっ、押さないで下さいよ」
「喧しい! 口答えすんなタコこら」
何だろう? 僕はタコじゃないんだけど?
建物の中は入るとすぐに土間になっており、上がり框で履き物を脱ぐみたいだ。
この世界では靴を脱ぐ習慣が無かったので、なんだか新鮮だね。
所々穴が空いている廊下を進み、一番奥の部屋まで案内された。
木材はやはり貴重なのかな? 穴を塞ぐ事すら出来ないみたいだ。
「そこへ座んな」
菊五郎さんはただ一言そう言って、顎をしゃくる。
部屋はまるで日本家屋の様になっており、残念なのは畳がない事だけだった。
板の間には小さめの座布団が用意してあり、その内の一つを拝借して胡座をかく。
菊五郎さんの背後には誰が描いたのか、水墨画の掛け軸が吊るされていた。
その水墨画の前に置いてある刀に目を引かれる。
「刀……」
「ほう、これに興味があるのか?」
「はい、いずれ刀を作ろうと思ってますから」
「コイツは俺がこの世界に持ち込む事が出来た相棒なんだ」
へぇ、日本製か……
「菊五郎さんは何故この世界へ?」
「好きでここに居る訳じゃないさ。ある事故に巻き込まれてな、気がついたらオウバイの平原に寝っ転がっていたんだ」
「事故、ですか……」
「ああ、あれは俺がまだ高校生の頃だ。俺の爺様は居合いの師範をやっていてなぁ。夏休みで暇を持て余していた俺は爺様にお使いを頼まれたのさ」
「そんなに昔なんですね」
「もう、25年になる……あのお使いさえ無ければ俺はあっちで生きていたんだろうが、現実はこんな妙ちくりんな世界で生きている」
「それで、その事故って……」
「ああ、爺様に研ぎに出した刀を取りに行かされていたんだが、夕方に大切な用事があるのを思い出して急いで家に帰っていた」
「それで?」
「横断歩道を走って渡っていた時に大きな音が聞こえてきたんだよ」
やはり……トラックか。
「気がついた時にはもう遅くてな、暴れ馬に跳ね飛ばされていた」
「暴れ馬!? 何故に!?」
「さあな、そして気を失って気がついたらこっちに居たって訳よ」
まさか馬でも転移するのかよ……
「まあ、俺の話はそんなもんだ。それよりお前の事を聞かせて貰う。まずはあの扉の事だが、何をした?」
「今現在、あの扉は自由に通行出来る様になっています」
「何だと!?」
最下層で水竜と交渉し、扉を開放した事を説明すると菊五郎さんは苦虫を噛み潰した様な表情でこめかみを軽く揉んでいる。
「やれやれ、面倒なことをしてくれたな」
「いけなかったでしょうか?」
「いけなくはないが……おい、誰かいるか?」
廊下からドタドタと足音がして、二人の若い男が顔を出した。
「親父ぃ、なにか?」
「ちょっと外の扉まで行ってきてくれ。何も無いとは思うがしばらくの間、常駐して貰う。誰も扉に近づけるな! 交代の人員は後でよこす。頼んだぞ」
「わかりやした!」
男達はすぐに駆け出して行った。
「ふう、これでよし。さて、続きを聞こうか。お前達はこの街をどうするつもりだ?」
「どうって……」
「まさか、何も考えずにあんな事をしたのか?」
「あはは……」
「やれやれだ。良いか? 外へ出るのは皆が望んでいる事だ。それは良いが……この人数をどうやって外まで連れて行く? ダンジョンの中なんだから当然、魔物だらけだ。戦えない奴の方が多いんだぞ?」
「扉を開放すれば何とかなるかなーって」
「短絡的な考えだな」
「すいません……」
菊五郎さんに軽くお説教を頂いていると、慌ただしい足音が聞こえて来た。
「親父ぃ、不味いことが起こった。扉が開放された事が街の連中に知られて外への扉に大勢の人が殺到している!」
「やはりか……すぐに出る! お前達にも手伝って貰うぞ?」
「はい!」
扉の前まで慌てて駆けつけると、その前では大勢の人が大声で叫んでいた。
「何でだ! そこをどいてくれ!」
「駄目だ。親父ぃの命令で、今は誰も通せない」
「外に行けるんだぞ? 邪魔をしないでくれ」
今はまだ話し合いをしているが、一触即発といった雰囲気だな。
「ちょっと道を開けてくれ」
「アンタは……キクゴロウさん!」
たった一言で皆が道を空けて行く。貫禄だね。
その空いた場所をゆっくりと歩き、扉の前まで到着すると菊五郎さんは演説を始める。
「皆、聞いてくれ。お前達の気持ちはよーく分かる。だがな、ここを通す訳にはいかない」
「何故だ? 理由を教えてくれよ」
「無論、危険だからだ。考えてみろ、この扉の外はダンジョンなんだぞ? 大量の魔物が待ち構えている。お前達が無事に地上にたどり着けるとは思わんな」
先程まで騒いでいた群衆が少し静かになった。
「じ、じゃあどうするって言うんだよ」
「地上に出るにはどうしたって護衛が必要だろう。それも大勢を守るんだから腕の立つやつじゃないといけねえ。個人の力じゃ到底無理だな。そこでだ、コイツを皆に紹介しよう」
菊五郎さんは僕の背中をそっと押して群衆の前に押し出して来る。
「コイツがこの街の扉を開放した男だ」
皆の視線が集中する。
「コイツに地上にまで行ってもらい、ギルドへの橋渡し役をして貰う。それまでは俺たちはここで待機だ。なーに、ほんのしばらくの辛抱だよ」
「そんなガキに何が出来る!」
「そうだそうだ! その役目は俺に任せてくれよ」
「あっ、抜け駆けするつもりか。お前よりも俺が行く」
再び騒ぎ出した群衆に向かい、菊五郎さんの一喝が飛ぶ。
「お前達じゃ無理だ! 大人しく待っていやがれ!」
「菊五郎よ。それじゃあ俺ならどうだ? まあ、アンタの言うことなぞ聞く気もないがな」
人垣を押し退けて前に出てきた人物は巨大な剣を背中に背負い、ニヤニヤとした笑いを浮かべていた。
「そこを通して貰うぜ?」
「お前か……」
「そうさ、俺様だよ! このウィリアム = ハンフリー様が先陣を切ってやろうと言うんだ。ありがたいだろう?」
「待て」
「何だ? 邪魔をすると言うのか?」
「そうじゃない。おい、皆ここから離れるんだ。今から扉を開ける」
意外な事に菊五郎さんはウィリアムの言う事を素直に聞いている。
「菊五郎さん、あの人は?」
「あいつはウィリアムと言って、街の外れで脱出方法を探っていた奴らのまとめ役だ。元は腕のいいハンターだったらしいがな」
ああ、西の方の諦めの悪い人達か……
「良いんですか?」
「素直に言う事を聞く奴じゃないからな」
街の住人が扉から離れたのを確認して、菊五郎さんはウィリアムに軽く頷く。
ウィリアムが扉に手を掛けて一気に引く。
「なんだと?」
開け放たれた扉の前には絶望的な光景が広がっている。無数の魔物が群れをなし、通路が埋まっていた。
気がついた時には勝手に体が動いていた。
先頭に立っていたウィリアムの頭目掛けて魔物が放った魔法が飛んできている。
地面に置いてあった木箱を踏み台にして跳躍し、ウィリアムの頭を踏みつける。
「ぐあっ」
ウィリアムが地面に倒れた事で魔法はそれていったが、その勢いで僕は魔物の群れの中に飛び込んでしまった。
「くっ、マズイな」
一旦、街の中へ戻ろうと振り返ると、扉が閉まって行くのが見えた。
「マジですかー、やるしか無いみたいね」
―――――――――――――――――――――
街の中では春人を助けるべく扉を開けようとするエドと、それを阻止するウィリアムが大声を上げ対立していた。
「ハルト! おい、そこを退け」
「駄目だ、みんな扉を押さえろ。魔物がなだれ込んでくるぞ!」
「ふざけるなよ、ハルトはお前に助ける為に魔物の群れに飛び込んだんだぞ? それを見殺しにするつもりなのか?」
「俺はそんな事頼んでいない。アイツが勝手にやった事だ」
「テメェ……」
「それに、あの数だ。どうせ、もう助からん」
扉の外からは聞くのもおぞましい音が聞こえて来ていた。
「ハルトーーーーーーーー!!」
地面に膝をつき涙を流すエドと、それを気まずそうに眺める周囲の人々に菊五郎から指示が出る。
「街の住人の安全を優先する。扉の前にバリケードを築くんだ。急げ!」
大急ぎで樽や木箱が運ばれ、扉の前にうず高く積み上げられてバリケードは何とか完成した。
ドン! ドォン!
魔物が外から押し開けようとしているのか、大きな音が響き、扉が揺れる。
「お、おい。大丈夫なのか?」
「押さえた方がいいんじゃないか?」
だが、住人達が動く前に扉の前のバリケードは跳ね除けられて、扉が外から押し開かれる。
「そおぃ!」
だが、予想に反して扉から出て来たのは、魔物ではなく、全身血まみれになった春人だった。
「ハルト……お前、無事だったか」
「いやー、中々手強かったですよ。久しぶりに怪我しちゃいました」
頭を掻きながら歩いていると、魔力を限界まで使ったせいか、体から力が抜けて行く。
そんな僕の体を支えてくれる人が居た。
「エドさん?」
「無茶ばかりしやがって……」
「あはは、大丈夫ですよ」
だが、流石に限界を迎え、その場を腰を下ろして休ませて貰う。
「そういえば、エドさん。大声で僕の名前呼んでませんでした?」
「う、うん? 何の事だ?」
「あれ? エドさんの声だった様な……」
「聞き違いだろ?」
「えー、間違いないですよ」
「気のせいだ」
「心配してくれたんですか?」
「してねぇよ」
「目が赤いみたいですけど? もしかして……」
「黙って休んでろ!」
「顔が真っ赤ですよ?」
「煩ぇ!」
少しいじりすぎたかな? エドさんはそっぽを向いてしまっている。
「ハルトさん。大丈夫なんですか?」
「レスリーか。大丈夫、軽い致命傷だよ」
「致命傷に軽いも重いもありませんよ……」
「ふふ、しばらく休めば魔力も回復するから、それまで頑張れば治療もできるよ」
レスリーだけでなく、フィンレイとアリーセさんロザリンドさんが心配して駆けつけてくれている。
「ハルト君、これ使って」
アリーセさんが懐から出して来たのは液体の入った小さな瓶。
「アリーセさん、痺れるのは嫌なんですけど……」
「それは魔力回復ポーションよ。安心して」
「えー、信じられませんよ……」
「お願いだから使って、貴方そのままじゃ死んじゃうわ!」
大袈裟だなぁ。たかだか魔力が限界で、左腕の骨が折れていて、お腹の辺りが抉られていて、頭から血が流れているだけなのに……あれ? 落ち着いて考えると、結構ヤバいかな?
「有り難く貰っておきますね」
手渡されたポーションを飲むと少しだけだが魔力が回復した。
「アリーセさん普通のポーション、持ってたんですね?」
「それより、早く治療!」
「はいはい、今やりますよ」
治癒!
頭の傷は……大丈夫だな。後はお腹と腕だけど、こっちはまだ治り切っていないな。
治癒!
二回目の治療でお腹の傷と左腕も完治している。
「これで大丈夫です。後ついでに……」
浄化!
身体中の血と汚れも綺麗サッパリ落ちたな。
「ハルト君、本当に治ったの?」
「はい、問題無しですよ」
「良かったー、間に合わないかと思ってヒヤヒヤしたわ」
んん? 何の事?
「そのポーションはね、名付けて魔力回復沈黙プラスって言うのよ。効果は……分かるわよね?」
「普通のポーションにして下さいよ……」
「そんな物は無い!」
ポーションなんてその辺のお店で売ってるからね?
まあ、何とか治療は出来たから、良しとしよう。
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