現れた猟犬
二週間が経った。
それに気づいたのは、その日たまたま遊びに来ていたフェイであった。彼女は他人の視線に敏感だ。彼女の過去は、そう意識せざるをえないだけのものだったからだ。
強い雨が窓の外を打つ。霧の街、オールドハイトにはよくある風景だ。こんな日は、家で静かにコーヒーでも飲むのが一番だろうと、フェイがケーキと一緒にやってきていたのだった。
「実はこの前も感じたんだけど、あなたストーカーされてない?」
「非公式のファンがいるって意味か?
なら数えたことはないな。その都度ファンサービスしてはいるがね」
「そういう意味じゃないわ。……見張られてないかって意味」
鉄腕はコーヒーを口に運び、天井のシミを仰ぎ見ながらファンのことについて考えた。
「あ~……トラブルの種はたくさん持ってるんでね。花の種類はどれなのか分からなくなった」
「大したスターね」
「アタシにはジャスティン・ビーバーも敵わないさ」
「今も見られてるの?」
クリスがどこかのSFオタクとPCでやっていたTRPGセッションを切り、ヘッドフォンを外しながら言った。
「プライバシーは誰にだって必要なんだよ。勘弁してよ」
「そりゃそうだな。リアリティショーに出演したつもりもないし、ギャラも貰ってない」
鉄腕はおもむろに立ち上がる。窓の外を見ながら、咥えていた葉巻を吸う。ちりちりと炎が上がり、先が灰へと還る。
「フェイ、あんたは先に帰ったほうがいい。家で鍋が吹きこぼれちゃいないか?」
「今夜は外食のつもりなの」
「そーお、じゃキッチンの心配をするつもりもないと」
「目的が分からない相手なら、頭数が多いほうがいいわ」
フェイはゆっくりと立ち上がり、鋼鉄パンプスを直し、フリル付きのピンク色のツバ広帽を頭に載せる。
ノック音がする。
鉄腕も、クリスも、そしてフェイも答えない。ただ戦闘態勢を整え、扉を睨みつけるばかりだ。
「……クソ野郎のくせに、マナーはわきまえてるのね」
フェイがふと呟く。なおもノック音が続く。
「どうしてクソ野郎だって言える?」
「人のプライバシーは尊重されるべきだからよ。人の生活を覗き見て楽しんでいるだなんて、クズのやることだもの」
「悪かったな、アメリカン・ビンテージが好きで……今度からは見ないよ」
返事代わりに銃声! 四十四口径の弾丸が数発、ドアノブを砕き、扉を蹴り倒すものの姿が顕になった。
咄嗟にクリスが機転を効かせ、部屋の電気を全て切った。逆光。突如轟く稲光。濡れそぼった人影。右手にはオートマグ。左手には、テープ・レコーダー。
咄嗟に物陰に身を隠した鉄腕は、そばにあったクリスタル製灰皿を投げるが、人影は闇に溶けるように消える。並の反射神経ではない。
「なっ!?」
直後、鉄腕の口内にオートマグのバレルが突っ込まれていた。濡れそぼった金髪。素っ気のない黒スーツ。爛々と不気味に輝くアーモンド色の瞳。左手に握ったカセットテープが、ブツブツ途切れながら、出来損ないの自己紹介を始めた。
『どうも、わた、しの名、前は、ディ、ANAで、す』
合成音声をむりやり展開したような感情のないセリフの最中でも、鉄腕はオートマグのバレルをどかそうと叩く。
むりやり吐き出されたバレルから、四十四口径マグナム弾が暴発し絨毯をえぐる。
素早く立ち上がると、直後フェイが蹴って打ち出した缶ビールが影を貫いた。否、手応えはない。影を貫くように放った缶が貫通し、壁に突き刺さる!
何かがやばい。変だ。
確証は何もなかったが、鉄腕はカンでそれを察知すると、クリスの首根っこを引っ掴むと、フェイに叫んだ。
「何かヤバい! 逃げろ!」
鉄腕は窓を叩き割ると、クリスを抱えて雨の中に身を投げ出し、むりやり落下。運悪く止まっていた害獣駆除のバンの上に落下しバンが大破した。
しかし、鉄腕やクリスに怪我は無い。直接地面に叩きつけられるよりは、まだマシと言うレベルだが、とにかく生き残ったのだ。
その後すぐに、鋼鉄パンプスを高らかに響かせながらフェイも着地。自身の別名と同じ、重苦しい雨雲と、侵入者がいまだ巣食うのであろう鉄腕の部屋を見つめている。
「今すぐ逃げるぞ」
「クリスちゃんも連れて? 一体どこに……だいたいあれ、誰なの?」
フェイが首を傾げるのへ、鉄腕はクリスを小脇に抱えたまま立ち上がる。
「ヘイ、もうアンタも無関係じゃいられなくなったぞ。……ありゃ『猟犬』だ。まだオールドハイトにいたんだな」
「猟犬? どのへんが?」
小脇に抱えられたままのクリスが疑問を投げかけるが、鉄腕はバンから降り、運転席のドアを破壊。クリスを助手席におろしてから、慣れた手つきでエンジンを点けた。
「アタシがこの街の『スーパースター』になる前、オールドハイトには何人かのスターがいたのさ。彼女はその一人だ」
トロトロとバンが発進。頼りないワイパーが、雨の中を泳ぐ。
「聞いたことのない話ね」
「誰にだって歴史はあるさ。それを知らない人もいる。『猟犬』は、二十五年前からこの街で一番の殺し屋だった。ルールを重んじて、ルールに基づいた殺ししかやらない。……だが本人は変わらなくても、街は変わる。殺し屋なんて流行りの歌手と同じだ。アタシみたいになんでもやるならまだしも、殺しってのは同じやり口が通用するほど甘い世界でもない」
猟犬ディアナは、新たなスター達に取って代わられた。それでも彼女は、自分のスタイルを全く変えなかった。
いつしか彼女は鉄腕をはじめとする新たな世代のアウトロー達に埋もれていき『時代遅れ』と呼ばれるようになったのだった。
「でも、なんであなたを狙うの?」
「分からん。人気者はつらいね、いらない恨みをすぐ買っちまう」
「冗談言う前に、後ろ見てよ」
クリスの言葉に、鉄腕はミラーを確認する。少しだけ離れた後ろに、雨の中をとろとろと走る、ライトをつけた白いカマロが見える。
中は見えない。だが、鉄腕にはあのアーモンド色の瞳の輝きがこちらを射抜いたような気がしていた。
「どうするの」
クリスははあ、とため息をつきながら、バンの窓からカマロの様子を伺う。鉄腕は、猟犬ディアナのやり口を知っている。彼女は仕留めるまで、決してその追跡を留めることは無い。
マガジンに残った弾丸が尽きるまでに、相手を必ず仕留める。彼女は辛抱強くそれをやり遂げる。猟犬は諦めないのだ。
「逃げても無駄なら、こっちから殺るしかねえ。……残念だが、腹括るしかねえぞ」
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