世界に火を放て

「そういえば、あのGRUのエージェントって何だったんだろうね」


 ホットドッグスタンドで、ピクルス多めにした特製ホットドッグを買う。二つ。ベンチに腰掛け、鉄腕とクリスは早速頬張る。かぶりつく。


「はひが?」


 鉄腕はもぐもぐとホットドッグを咀嚼しながら、まるで歴戦の刑事のようにクリスに尋ねた。


「要はあのヴィガってお姉さんを、わざわざオールドハイトくんだりまで放流して実験してたってことでしょ? で、君とかミスタ・フェイスレスとか集めて大騒ぎするなんて、時間も金も無駄じゃない? 日本とか中国とか、イギリスとかフランスでもいい。オールドハイトでやる意味は? もっというなら、あの国西側の方でいまドンパチやりそうになってるじゃない。そっちのほうがよっぽどいいデータが取れそうだけど」


 いつ食べたのか全くわからないほど早く、クリスはいつの間にか自分の口元を拭いていた。ホットドッグは消滅していた。


「さあな。アタシが有名人だから?」


 鉄腕はおどけて茶化した。ヴィガは警察病院を経由して、即入院と相成った。今はオールドハイト郊外のグリーンウェル州立特別高等刑務所なる、厳重な施設に収容されているらしい。

 GRUの影は消えた。そのエージェントも。目的が何だったのか、おぼろげなままだ。


「有名人? 配信用のアカウントも持ってないのに? WWEのアカウント数で殴られたら君即死だよ」


「はあ? じゃあアタシはアンダーテイカーをサシでボコボコにして墓に埋めアンダーテイクてやるよ」


「彼はもういないでしょ……ふざけるなら残してるホットドッグちょうだい」


「誰が食わないって言った?」


 オールドハイトの淀んだ空の下、川べりのベンチ。犬の散歩、ジョギングに勤しむランナー、カップ・マジックを披露するマジシャンの卵、バップするジャズマンたち。

 リバーサイドパークは趣味に興じる人々のるつぼだ。平和そのもの──。


「……君なんじゃないかな」


「なんの話だ」


「この間のナチの軍人もそうだったけど、君なんか変な組織に狙われてない? 昔、なんか恨みを買ったとか……君のことだから女絡みとか?」


 女。過去。マリア。この腕が殺した女。フラッシュバック。ストロボ。

 鉄腕は止まったように地面を見つめていた。ホットドッグからピクルスのかけらとケチャップが落ちて、地面に血痕のように広がった。


「……どうしたの?」


 フラッシュバックがおさまる。光が川の水面に重なる。隣にはクリスがいる。彼女は笑いもせずに、つまらなそうに川を見つめている。


「いや。なんでもない。……女絡みか。いや考えたこともなかった。デートの途中じゃみんな楽しいって言うからな」


「後のこと考えたことある? あーあ。女絡みのセンじゃ追うのは厳しそうだね」


 鉄腕は残りのホットドッグを口に放り込む。川の水面のきらめきの向こうを見る。向こう岸にも人の営みがある。

 サイクリングするライダーの群れ。駐車場で歓談するバイカー。青いBMW。黄色いクーペ。白いオンボロのカマロ。

 その白いカマロの前をうろつく小さな影。首輪のない犬──。


「後、ランス警部から仕事の話あったろ。あれ、どうすんの」


「ヘイ! やめてもらおうか。あのヤクザヘッドと三合会から報酬二重取りして懐具合がいいんだ。アタシは当分意地でも働かねえ」


「そ。じゃ、しばらく休暇ってわけだ。稼いだ金でやりたいことってある?」


「ああ、もちろんある。サブウェイでトッピング全部盛って、ポテトとコーラを付けるんだ。で、それを大口開けて食うんだ」


 クリスは、指を鳴らしてそれに同意した。彼女の意志は順位は食欲が優先なのだった。


「それ最高」




 わたしはカマロに戻り、車載電話のやかましい着信音を聞く。NukePurpleの1本を取り、紫色のタバコに火を点ける。人類の炎。叡智の輝き。地獄への狼煙が上がる。


『『時代遅れ』と呼ばれているそうだね、ディアナ。こんにちわ』


 どうしてこの電話を知っているのか、とは言わなかった。ディアナ。わたしの名前。殺し屋の名前。追跡者の名前。


『我々は君のことをよく知っている。今も見ている。オートマグ。NukePurple。1988年式のカマロ。まるでパルプ・フィクションだ。携帯も持ち歩かないし、仲介人は長いこと雇っていないそうじゃないか。……だが、君にはそうするだけの実力と秘密がある。違うかね』


 電話の声は人間ではなかった。合成音声。正体を明かさぬ者は、誰だってそうする。そうした依頼を受けたのも一度や二度では済まない。

 わたしは眉一つ動かさない。動じない。わたしは殺し屋だ。仕事は単純。依頼に怖気づいている暇など、どこにもありはしない。

 サイドミラーのキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルが牙を剥く。イミテイションの紫色の骨を噛り、舐め回す。


『君に興味を持ったのは、鉄腕アイアンナックルをここ一週間追跡し続けているからだ。我々の排除対象である彼女に。それも、極めて近い位置にいながら、君は彼女に認知されることなく、情報を収集し続けている。君にとっては大したことがなくても、これは驚異的なことなのだ。鉄腕は極めて攻撃的で、襲撃や悪意的行動を鋭敏に察知する。君はそれをまるで気づかせていない。今の依頼を断れとは言わない。我々にも協力させて欲しいのだ』


 わたしはオートマグのマガジンを落とし、弾数を確認する。NukePurpleの箱を見る。残りは三本。依頼を受けたそのときに、残しているタバコと同じ数の弾で相手を仕留める。無ければ依頼は断る。それがルールだ。

 ルールの積み重ねの先に『わたし』がある。ミラーの中のわたしと、いまここにいるわたしのどちらかが本物なのかは未だにわからないが、ルールを重んじる殺し屋『時代遅れのディアナ』は確かにここにいる。

 わたしは返事代わりに、カセットテープをカーステレオに押し込む。

 世界に火を点けたいわけじゃない。古い歌が流れる。わたしが引き金を引く行為は、そういうこととは異なる。


『仕事を受けてくれると、インクスポッツの曲を流す。なるほど、つくづく『時代遅れ』だ。……ところで、君のことをよく理解してのことなんだが。……君は知りたくないか? 狂っているのは君なのか、鏡の中の世界なのか』


 キャバリアが歯を見せる。わたしは苛だつ。知りたいという欲求から逃れるために、わたしはルールを設けたのだ。インクスポッツが歌う。

 世界中から拍手を浴びたいわけじゃない。ブツリ。キュルキュル。世界に火を──世界に──火を──。


『我々は君の世界を一つに出来る。歪んだ世界を、元通りに。どうだね、我々の施術を受けてみないか。我々科学の子──SOHKSソークスのね』

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