屍の国から愛を込めて(前編)

「しかし、手詰まりになっちまったな。ミスタ・フェイスレス、あんたもあそこにいたところを見ると、ゴードンの世話になろうと考えてたクチか?」


 夜霧が漂う街。人工の星がばちばちと明滅し、影が地面に出入りした。女たちと怪人が一人。赤いマスクの男が、ソフト帽を抑え、喉を震わせた。笑っているのだ。


「そういうことさ。ぼくにも情報源は必要だ」


「そりゃそうだ。ミス・ボンド。あんたはどうだい」


 鉄腕は不機嫌そうに葉巻を上下させながら、ジェイミーに尋ねた。彼女は頭を振ったが、手の中のものを握りしめながら返す。


「分からない。……彼女に近づいていることは分かる。でも、分からないことが多すぎるわ」


「例えば?」


 クリスが二個目の肉まんをかじりながら言う。奇妙な四人パーティは、夜のサウスパークを聖人モーゼが海を割るごとく歩く。常人が同じような事をすれば、生死以前に夜明けまでに骨が残っているかどうか怪しい。ここの住人は、鉄腕やフェイスレスに喧嘩を売ることがどのような末路を招くか知っている──。


「ヴィガは幸運を引き寄せる。絶対的な幸運よ。生き残るためと意志を定めたら、どんなことも捻じ曲がる。彼女はいくらでも逃げられるはずなの。理論的に言えば、各国の情報機関にそもそも存在を掴ませないくらい、朝飯前のはず」


「だろうな。盲目なんだろ? いくらなんでもハンデがありすぎる。アタシだったら、もう少し利口に逃げる」


「ええ。だから、おかしいのよ。じゃあなぜ彼女は私たちに捕捉されたの? 他の連中を迎撃するほど近づけたのは? 彼女の能力なら、そんな隙も与えないことができるはずなのに」


 殺されていた古代戦士。殺されていた傭兵集団。殺されていた奴らは、ヴィガが殺した。そしてそのあと、自分たちがその現場を訪れた。二度も。


「出来過ぎじゃない?」


 ぺろりと肉まんを平らげたタイミングで、クリスはそう言った。


「温かいままの空薬莢が落ちてた。彼女は近くにいる。なんでさ? 僕だったら、近くになんていたくないよ」


 人工の星が瞬く。バチバチと音を立てる。ひときわ大きくばちん、とはじけ、星々が一斉に消えた。近くの雑居アパートメントからも、遠くのビルからも光が失われる。停電だ。それもかなり大規模な。

 それこそ、一瞬の出来事であった。暗闇に堕ちたオールドハイト。復活した街灯が一つ。ばちばちと点滅するその下で、女は佇んでいた。ウォッカの大びんを口づけて、口端からこぼれていくのも構わずに飲んでいた。サングラスの女。フライトジャケット。遠目からでも分かる赤ら顔。銀髪。


「……ヴィガ!」


 ジェイミーは言うが早いが、スーツの裏、肩に釣ったホルスターからサイドアームのワルサーPPKを抜き、立膝のままトリガーを絞るが、弾き飛ばされた!


「邪魔ですあなた。黙っててもらえますか少々?」


 ウォッカの瓶をその場に置き、女はきりきりと銃のシリンダーを回転させていた。ナガン・リボルバー。ヴィガの銃。


「ミスタ・フェイスレス。ハニーとミス・ボンドを頼めるか」


 鉄腕は怪人に言った。フェイスレスは紳士だ。こういうことは信頼できる。彼はジェイミーの前へ立ち、手を広げクリスを庇った。


「構わないよ、マイフレンド。友人の頼みは断らないことにしている」


 ヴィガは撃たなかった。理由は分からない。だが、これだけは言える。彼女の目的は、おそらく自分だ。鉄腕の死だ。何故かなど分からない。だが、鉄腕は自らに降りかかってくるトラブルを識別できる。殺しの意志を。


ラズリシーチェ・プリスターヴィッツア初めまして。ヴィガ・オルトロフ言います私。あなた、『鉄腕』言いますか?」


「ああ。そのとおりだぜ。……素敵なレディ、当ててやろうか。答え合わせだ」


 鉄腕はゆっくりとヴィガへと近づく。その距離五メートル。銃の射程距離内。ヴィガが撃てば鉄腕の頭は爆ぜることだろう。


「サンフラワーに集められたのは、あんたが殺すに値する人間たちだった。……あんたはバカツキ人間だそうだな。しかも祖国から逃げ出した。あんたはツいてる。どんな人間、組織からでも逃げ出せる。じゃあ、わざわざ殺し屋の目の前に身を晒す必要なんてないだろ。わざとそうしたんだ」


 彼女はウォッカ瓶を持ち上げると、残っていた酒を全てラッパ飲みし、そのまま放り投げ叩き割った。


「ハラショー。とても優秀ですあなた」


 ヴィガはそう笑い、サングラスを外し投げ捨てた。左目は白く濁っている。右目もそうだったが、奇妙なことに黒い渦が巻き、熱を通した魚卵のような目が生き生きとした瞳に変わるのを、その場の全員が見た。


「だから死にますあなた。死ぬの優秀ですからあなたは」


 トリガーに指をかけたヴィガが取り戻した右目の視界には、鉄腕の姿が映っていなかった。直後、ヴィガの頭に衝撃が走った。鉄腕の左裏拳がヴィガの頭をとらえる。鉄腕は彼女の目が『一時的に再生』していくその瞬間を把握し、身をひるがえし視界の光届かぬ左側から拳を放ったのだ。

 鉄の右腕と比べれば数段以上威力は落ちるが、それでもヴィガは吹っ飛び地面を転がる。これが右手ならば、彼女の頭はボルシチの中のトマトのごとく潰れていただろう。


「ツイてるってんなら、アタシも自信があるぜ。もっともアタシにあるのは、悪運だがね……」


 鉄腕は地面でうめくヴィガに近づき、右手のリボルバーを

蹴り上げようとした。しかしその瞬間ヴィガはくるりと寝返りを打ちながら立ち上がり、再び光を失った視界に歯噛みするようにトリガーを引く。


「オイタはやめるんだな。残念だがアタシには、あんたを警察経由で引き渡す仕事が残ってるんでね」


 ナガン・リボルバーの銃口に、鉄腕は左人差し指を詰め、右手でバレルを掴んだ。勝負あり。ヴィガは乱れて落ちた銀前髪の間から、白く濁った瞳で、恨めし気にこちらを見上げるばかりだった。


「どうしてですかあなた。私は、銃を……」


「外したことが無い。事実、そうさ。『当たってる』」


 鉄腕はナガン・リボルバーを奪い取ると、まるで一流モデルが服装を見せつけるようにくるりとその場で回った。街灯がフラッシュをたく様にバチバチと点滅する。

 金属音が二つ、静かな大通りに響いた。潰れた弾頭が転がり、アスファルトの上で澄んだ音を立てた。

 鉄腕の防弾コート──それも心臓のある背中側の部分──に焦げた着弾の跡が残っていた。鉄腕が防弾コートを着ていない女だったなら、確実に彼女の心臓を後ろから貫いていた。ヴィガは外した銃弾を『全くの偶然で』着弾させていたのだ。


「正直、あんたの目が完全に見えていたら勝負は分からなかった」


 鉄腕はヴィガに手を差し出した。酒も無く、リボルバーもない。そうなれば彼女はただの盲目の女だ。


「どこへ行く気ですかあなた、私を連れて」


「大騒ぎの代償を払ってもらうのさ。……もっとも、あのサンフラワーってカジノが金を出すかどうかわかったもんじゃないがね。どうせ、グルなんだろ?」


 ヴィガは笑みを浮かべた。鉄腕も笑っていたが、何かがおかしいことに気付いた。彼女は敗北した。武器もない。なぜこのように笑えるのか。


「そう、グル。カジノも、あなたのお友達も」


「そういうことよ、鉄腕さん」


 鉄腕はリボルバーを持ったまま振り向いた。振り向きざまに、ナガン・リボルバーに銃弾が当たり弾き飛ばされ、ヴィガの目の前に転がる。彼女は苦労しながらもそれを拾った。

 ワルサーPPKの銃口から漂う硝煙。左手でクリスの体を小脇に抱えた、ジェイミー・ボンドの姿。鉄腕は思わず舌打ちしながら言った。


「修羅場は慣れてるつもりだが、ドライヴデートの後すぐにこれは酷かないか、ミス・ボンド。ミスタ・フェイスレスはどうした?」


 赤いマスクの怪人が地面に横たわっている。不意を突かれたか。鉄腕は舌打ちする他なかった。


「見た目は怪人でも、彼には睡眠薬が良く利くみたいよ。覚えておいたら?」


 鉄腕は、ゆっくりと後ろで立ち上がるヴィガの姿を見て、ようやく両手を挙げた。まさしく前門の虎、後門の狼。


「ロシアにはあります、こういうことわざが。『猫にいつまでもカーニバルが続くとは限らない、太齋もまたやってくる 』」


 きりきりと回転するナガン・リボルバーのシリンダー。ワルサーPPKの銃口。無表情でこちらを見つめるジェイミー・ボンド。そしてヴィガ。


「カーニバルか、太齋か。わかりますか? あなた?」


続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る