死の渦を超えて


「それで、ミス・ボンド。あんたはそのヴィガって女を消す事を望んでるわけだ」


「そうね」


 夜風が吹き荒れる。バランスを取ろうと開けたサイドウィンドウから、夜の闇が流れ込んで来る。


「アタシは違う。アライヴ。やつを生かして連れ帰らなきゃならん。アタシもこんな仕事なもんでね、依頼は絶対に守んなきゃならない。ビズには信用第一。信用はお互いへの尊敬から始まる。そして、裏切らないことによって完成する」


「よくわかっているわ。……でも、あなたが彼女をもし拘束するつもりなら、殺す以外の方法を取るのは不可能じゃないかしら。相手は絶対的な幸運の持ち主よ。目が見えないことがハンデになんかならない。彼女に不可能はないの」


 ジェイミーはそう続けた。それ自体に鉄腕も異論はない。幸運。ラッキー。あの映像が単なるフェイク映像などではなく、何かのアーカイブだとすれば。

 星空が瞬く。霧の中へと消えていく。高速道路を降り、南地区──サウス・パークへ。


「まあ、やりようはあるさ。だがまずは本人を見つけないとな」


「同感ね。あてはある?」


「ああ。アタシは超能力者だぜ。WOW! あー、そこ左に曲がってくれ。電波を拾った。情報は近いぜ……」


 サウスパークの住民は貧しく、治安が悪い。ヴァンキッシュの外では、白人ホームレスがバットを持った黒人ギャング少年に襲撃され、ヤクをぞんざいにキメた娼婦が客を待つ。寝静まったはずの小さなアパートメントから、やりきれぬ言い争いが怒号となり響く。そして銃声。広がる血溜まり。面倒くさそうに起動するやる気のないサイレン。そんな音がこの街のすべてだ。

 鉄腕の事務所兼アパートメントも、この地区にある。トラブルを楽しむ性分の鉄腕にとって、ここは夢の国、最高のアミューズメントパークだ。

 そして同時に、こうした底辺の掃き溜めには、海の汚濁が沈殿するように情報が集まってくる。その底は寂れた中華料理屋。店の灯りはすでに落ちている。


「二十四時間営業のはずなんだがな」


「腹ごしらえのつもり?」


「味は保証するよ」


 様子がおかしい。

 軽口を叩きながらも、ジェイミーは油断なくヴァンキッシュを降りた。手には銀色に輝くスタームルガーⅢ。鉄腕も何かを感じ、咥えていた葉巻をつまみ取り紫煙を吐いてから咥えなおす。


「肉まん買ってきてよ」


 クリスがのんきな調子で後部座席から声をかけた。鉄腕は振り返らずにひらひらと手を振り、答える。目線は中華料理屋の中へ。

 その直後であった。赤く洒落た格子の嵌った扉を砕き、ガラスを巻き込みながら何者かの体が飛び出してきた。鉄腕はとっさにコートを翻し、ジェイミーを抱き寄せガラス片を防いだ。

 頬骨を砕かれた血みどろの黒服男。奥から現れたのは、全身を厚い装甲で覆った二メートル級の人物だ。軽々と首を掴んで持ち上げられた黒服男はもがいていたが、一際大きな音が鳴って、ぐったりと力の抜けたそれを投げ捨てた。


「ハロー」


 くぐもった友好的な──それでいて電子的な音声が不気味に感じる暇もなく、両腕の先からぎらりと輝く鈍い刃が伸びた。ジェイミーがすかさずトリガーを絞り銃弾を放つ。銃弾は一歩踏み出した装甲人間の肌を舐めて弾かれた。さらに踏み込んで、右手の刃を払ってスタームルガーのバレルをきれいに落としてしまった。

 すかさず鉄腕は割り込み、振りかぶった右義腕を繰り出した。左ジャブ、左ジャブ、渾身の右ストレート。ガラにも無く鉄腕はヘヴィ級ボクサーのごとくコンビネーションを繰り出すが、装甲人間はなんと腹でそれを受け、足を踏みしめてそれを耐えきってみせた。異常なほどのタフネスだ。


「クロガネ・キャッスルとはこの僕のコトだ……その程度のパンチじゃきかんぜ」


 怪人物は鉄腕の拳を今度は、右手で受けて名乗った。どうやらこのまま腕をねじり上げようとしているようだったが、全く無駄な努力だった。


「偶然だな、アタシも同じだ」


「しかし僕のほうが堅いぜ、カチカチさ……柔らか人間ども、轢き潰してくれるぜ」


 鉄腕は返答代わりに左から脇腹めがけフックを繰り出した。   義腕でない左拳でも、鉄腕の握力は常人のそれを軽く超えており致命的だ。しかしクロガネは全く意に介さず、今度は左手で鉄腕の頭をむんずと掴んで締め上げてきた。メロンのようにかち割る気か。


「……ッたいしたもんだ。目的はなんだ?」


「賞金だよ、柔らか人間。それ以外にないだろ。僕より柔らかいくせに、邪魔をするんじゃないよ」


 クロガネは厚いマスクの中で勝利を確信したのか、不敵に笑う。鉄腕も負けずに笑い、自由な左手でコートの襟を正し、右手に力を込め、クロガネの手を自分側に強引に引き寄せた。彼の装甲が軋み始め、苦痛の声が漏れる。


「なら、お前も邪魔ってわけだ」


 力比べが決しそうな、その時であった。

 暗がりからぬっと何者かの手が伸び、鉄腕の右腕を握るクロガネの手に置いた。まるで死にゆく定めの者に寄り添うように、優しく。


「こんばんわ」


 クロガネは影から現れた男を見る。顔のない、赤い肌の男を。ソフト帽にトレンチコート、赤い全頭マスクの怪人の姿を。


「挨拶をしてくれないか」


 装甲が──そして、骨が砕ける音がした。手と装甲がまるでこねたひき肉のようになり、遅れて傷から血がにじみ始める。絶叫。あらぬ方向に砕けたクロガネの指。膝をついた彼に、鉄腕は容赦なく顎に向かってアッパーを叩き込んだ。

 今度は顎の骨が砕け、クロガネの巨体が放物線を描きヴァンキッシュのボンネットに叩きつけられた。


「ミスタ・フェイスレス。まさかあんたに助けられるとはな」


 鉄腕は握手のため、赤い怪人に右手を差し出した。フェイスレスはそれに応じたが、どこか悲しそうであった。彼は挨拶を重んじ、軽んじる者を許さず、制裁も辞さない。しかしそれでいて、挨拶に応じてもらえないことを悲しむ。世界が自らに優しくないことを感じ取り、無力感に苛まれるのだ。


「友人を助けるのはとても大事なことだ。君は僕に正しく挨拶をしてくれるからね」


「ゴードンはどこ行ったんだ? リフォームが要るだろ、こんな様子じゃ」


 中華料理屋にして、サウスパークのみならずオールドハイト一の情報屋ゴードンはどうやら不在のようであった。フェイスレスによれば、旅行中であるらしい。さぞかし旅先から戻れば驚くことだろう。奥のキッチンには改造V8エンジン搭載ベンツの車体が突込み煙をあげているし、数人の男女の死体がそこらに転がっている。銃で撃たれた男女の遺体。


「……ミスタ・フェイスレス。私はジェイミー・ボンドよ。挨拶が遅れてごめんなさい。これは、あなたが?」


 フェイスレスは深々とジェイミーにお辞儀をしてから、ゆっくりと首を振った。


「対話は挨拶から始まるものだよ、ミス・ボンド。ぼくは挨拶ができればいい。対話に銃を向け合う必要はない。違うかい?」


 ざりざりと喉を震わせ、フェイスレスは穏やかにそう言った。彼でもなければ、クロガネか。しかし彼が銃を持っている素振りはなかった。

 いつの間にかクリスが店内に入り込んでおり、なんと勝手に冷蔵庫を漁っていた。チン。業務用電子レンジ。ほこほこと湯気を立てる冷凍肉まんをかじりながら、死体と血まみれの床にしゃがみ込む。キラリと光る宝物を見つけたのだ。


「これ見てよ」


 クリスが持っていたのは、空薬莢であった。鉄腕はそれを左手で受け取る。まだ温かい。


「……7.62mmナガン弾! ……間違いないわ。ヴィガの持ち物よ」


「なぜわかるんだ?」


「ヴィガが唯一持ってる銃がナガン・リボルバーなの。これはその専用弾……彼女はここを訪れ、襲撃者を撃ち殺したのよ。MMSの連中も、彼女を追ってこの店にたどり着いたのね……」


 ヴィガ。盲目のガンマン。幸運を呼ぶ女。死を招く女。鉄腕は血の海を見ながら笑う。ますます面白い。

 これだけの騒乱を招く女は、どんな顔をしているのだろう?


続く

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