ハイウェイ・ランウェイ
ベンツ。レクサス。ニッサン──車の中には、古代戦士ン・バとその相棒のスティーブ・ブシェーミにソックリな男の死体──。
カジノの地下駐車場は、想像以上に荒れていた。銃弾の痕、斬撃の跡、空薬莢のスパイス──。BMWはそれらの襲撃のあおりを喰って、ボロボロになってしまっていた。鉄腕のハーレーも。
「おい、ふざけんなよ。メンテしたばっかなのに。タイヤだって新品なんだぞ」
鉄腕はあたりを見回し、肩を落として言った。答えを出す者はいない。クリスはその代わりに提案をした。
「ここにとどまるのはまずいんじゃないかな。とりあえず、動かせそうな車に乗るとか」
「ま、それが一番いいだろうな。無事な車があればだが。どう思うね、ミス・ボンド?」
腕組みしたままのジェイミー・ボンドはふっと笑みを浮かべた。そして、いつの間にやら手にしていたスマート・キーを操作。空気が電磁的に震え、まるで転送されてきたように、何も停まっていなかった空間にクローム・シルバーの美しい車体が現れた。ステルス迷彩。話は聞いたことはあるが、見るのは始めてだ。
「アストンマーチンね。こりゃ本格的に007だ」
「ヴァンキッシュよ。最高級モデル。女三人でドライヴとしゃれこみましょう、鉄腕さん」
「そりゃ嬉しいお誘いだ。さしずめアタシはボンド・ガールってわけだ。……実はピアース・ブロスナンのファンでね」
「そうなの? ダニエル・クレイグのほうがセクシーだと思うけれど」
クリスは後部座席に、助手席には鉄腕。そして運転手はジェイミー・ボンド。うなる鉄の心臓。アクセルを踏むとゆっくりと、それでいて力強く発進。揺れはない。掛け値なしの高級車だ。
「ねえ。どう思う?」
クリスがひそひそと囁く。聞き返さずとも分かっている。どうにもこの『殺し屋バトル・ロワイアル』は臭い。カジノで暴れた謎の女。競争だと嘯いたサムライ。駐車場で死んでいた古代戦士。そして、隣のジェイミー・ボンド。
「私の事、怪しいと思っているんでしょう?」
「パジャマパーティで友達を疑うのは良くないことだぜ。
ジェイミーはサングラスをかけながら、小さく笑う。オールドハイトは既に夜。街灯が光の尾を引き、後ろへ消えていく。
「そんなことしなくても正直に話すわ。そのほうが、私にとってもあなたにとってもプラスに働く」
「そりゃ結構。ビズには信用が第一だからな」
「そういうこと。結論から言うと──」
ノースサイドから、ハイウェイへ。満天の星空のまがい物が摩天楼の間に広がる。人工的な星々の間を抜けて、ヴァンキッシュは奔る。まるで止まっているようにトロくさい車を吹っ飛ばしながら。
だからこそ、鉄腕もジェイミーも気づく。差し向けられた追っ手の気配に。その姿に。サイドミラーを一瞥したジェイミーが、叫んだ。
「つかまって!」
車にまるで隕石が落ちてきたかの如く、ヴァンキッシュが大きく揺れ蛇行した。追いすがる黒塗りの改造8気筒エンジン搭載型ベンツ。一般車両がふらふらと逃げ場を探すも、パワーとド迫力ボディを背景に、まるで一般車両がビリヤードのごとく吹き飛ばされ爆発炎上。黒いベンツのサイドには、八十年代ホラー名画フォントで染め抜かれた『MMS』のアルファベット三文字。
「クリス、伏せてろ」
クリスはどこから見つけてきたのか、ナチョ・チップスの袋を開けながら鉄腕の言葉に従い、シートの足元に伏せる。
「ミス・ボンド。アタシはお客さんにご退場願う。ハンドルを握っててくれ。ナスカーのトップスターになったつもりでな」
返事をする間もなく、超硬質のはずのヴァンキッシュ天井からすさまじい金切音。上に載った客が、早くもこの車を破ろうとしているのだ。鉄腕はラグジュアリーなパワーウインドウにイラつきながら右裏拳でサイドウインドウを破壊。窓にスニーカーをひっかけ、するりと高速走行するヴァンキッシュの天井へと立ち上がった。
そこにいたのは、肩から袈裟懸けにベルトを通し、手には古めかしいシカゴタイプライター。奇妙なのは、ドラムマガジンの形だ。バレルが埋まるほど太く大きなマガジンには、鉄製の鋲が打ってあり、同じくらいの穴が屋根に開いている。この男がそうしたのだ。
山高帽にサスペンダー付きのスラックス。両手には皮の手袋。マントの如きボロ布を羽織った、禁酒法時代から抜け出てきたような男は、ストックをバットのように持ってこちらを見下ろしていた。
奇妙だったのは、男の顔は山高帽の影に隠れているのに、ライトでも発しているのかと見紛うほど眼光が鋭い。
「高級車にちょっかい出したんだ。保険くらい入ってんだろ?」
ボロ布が風圧ではためく。それなのに、山高帽は縫い付けられたように動かない。その下で男は笑う。シカゴタイプライターがからから音を立てる。
「賞金から払う。……悪いがお前は死ぬが」
男がトリガーを引くと、シカゴタイプライターが、特徴的な音を出しながら銃弾を吐き出す。鉄腕はこちらに向けられたバレルを強引に押しのけ回避。銃弾が頬を掠めてわずかに赤い線。すかさず鋭いサイド・キック!
男は銃のマガジンでそれを防ぎ、再び銃口を鉄腕の顔の前に突きつけ、勝利を確信し笑った。そして、同じ理由で鉄腕も。彼女はヴァンキッシュの天井を踏みしめ、右手で上着の胸倉をつかみ、まるでナスカーのチェッカーフラッグのごとく振り回すと、改造ベンツの後部サイドウインドウめがけ投擲した。男は窓を砕きゴールイン! 改造ベンツはその衝撃で蛇行運転をはじめ、中央分離帯に乗り上げきりもみ回転し車内をシェイク。そして三百六十度回転しそのまま地面に落下していった。急速に遠ざかっていく改造ベンツに動きはない。危機は脱したのだ。
「何がお前は死ぬ、だ。十年早いぜ」
鉄腕は再びするりと助手席に戻ると、何事も無かったかのように、火が消えかけていた葉巻に、再び長いマッチで命を吹き込んだ。
「それで、さっき何か話そうとしてたな、ミス・ボンド」
「……やはりあなたを選んだのは正解だった」
ジェイミーはつぶやく。彼女は意を決したのだろう。静かに事の顛末を語り出した。
「ルビー・チューズデイ。名前は聞いたことある?」
「都市伝説でしょ。MI6にCIA。FSBとか東側の情報部にもコネがあるっていう、雇われエージェント。優れた殺し屋とも、女エージェントが使う『ジェーン・ドゥ』みたいなパブリックドメインとも言われてる」
ばりばりとナチョ・チップスの最後のひとかけらを砕きながら、こともなげに言った。人間データベース。クリスの知識欲は、食欲に匹敵するほど旺盛なのだ。
「らしいぜ。今知ったが」
「まあ当たらずとも遠からじと言ったところかしら。……ルビー・チューズデイの目的は一つ。ロシア連邦軍参謀本部情報局──GRUが開発した兵器の『抹殺』。その存在を遺すことなく、この世から抹消すること」
人口の星々が等間隔に吹き飛んでゆく。摩天楼が次々に現れ、次々に消えていく。霧がかった空気。淀んだ空気。オールドハイトの空気。
「兵器の名前は、ヴィガ・オルトロフ。元GRU能力開発局所属の局員で、能力開発の研究に携わっていた。彼女は開発局の実験によって、光を失ったと言われている」
「目が見えなくなったと?」
「そうよ」
鉄腕はジェイミーの青い瞳を見る。美しい瞳。悲しみのブルー。それを鋼鉄の装甲板で覆いつくした鋼の精神が、瞳の奥にちらついた。
「その代わりに彼女は、本物の超能力を身に着けた。絶対的な幸運。どんな不可能状況からも生き残る能力。彼女はそれを使って、実験動物扱いだった状況から逃げ出し、祖国を捨てた──」
「おいおい。まさか、あの映像に映ってたのは」
「ヴィガよ。彼女はこのオールドハイトに流れ着いたの。……そして、依頼主は動き出した。ヴィガは幸運を引き寄せることができる。逃げようと思えば、どこまでも逃げられる。でも、もし彼女が協力したいと思えば、彼女に施された強化実験の内容を明らかにすることができるでしょうね」
「バカツキ人間が増えるって事か。いいねえ。アタシも恩恵にあずかりたいもんだ」
「事はそう簡単じゃないわ。すでにあなたも含めた複数の人間が、サンフラワーの支配人の名前を名乗って動き始めてる。『あんな事件は存在しなかったのにも関わらず』よ」
鉄腕は興味薄そうな顔で、咥えていた葉巻を上下させる。どうにもきな臭くなってきた。美人のエスコートは歓迎だが、それを邪魔する人間が増えるのはいただけない。許容できる迷惑にも限界がある。
「さっきの改造ベンツ。『MMS』──ミステリアス・マーセナリーズのロゴを見て、確信した。おそらくヴィガの存在が、複数の組織に露見した。そして彼女をめぐって、賞金稼ぎ達に交じった『捕獲者』をこの街に放ったのよ。MMSのような、大物傭兵団を動かせるような組織にもね」
「なるほどね。迷惑な話だ。ほんとのことを知ってか知らずか、面倒ごとの片棒を担がされる人間も出てくるわけだ」
鉄腕はあの礼儀正しい狂人──顔が無い男の事を思い出す。このことを知れば、彼は静かに怒り狂うだろう。まるで自分に挨拶が無かったことを咎めるが如く。
「それでどうするね、ミス・ボンド」
「ここまで聞いても、協力してくれるの?」
「ああ。面倒ごとと美人とのデートはいつでも歓迎でね」
鉄腕はこともなげに言う。ポートワインの香りを載せた紫煙が、割れたサイドウィンドウから漏れ出て夜のハイウェイに消える。
「もしルビー・チューズデイとやらにも伝えるべきなら、そうだな。『報酬なら気にするな。追加でディナーでも奢ってくれ』とでも言うべきなんだろうな」
続く
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