君が殺れ 僕が葬る

 乾いた風。ちぎれた新聞紙。空き缶が転がり、からから音を立てる。深夜。人気はない。街灯がランウェイを照らすがごとく、女をかの地へといた。

 倉庫街。放棄されたコンテナ。油の臭い。産廃と化した油の入ったドラム缶の山。

 ハーレーダビッドソンを停めて、女は鉄馬を降りた。懐から葉巻──ヘンリエッタ・Y・チャーチルズ──を取り出す。吸い口をギロチンのごとき真っ赤なシガーカッターで切り落とし、長いマッチで火を点ける。

 紫煙が夜空に漂う。古めかしい茶色のロングコート。右手にだけ嵌めた白い手袋。サングラスで目元を覆った女の顔を、マッチの炎がゆらりと浮かび上がらせ、そして消えた。


「デートの約束には早めに来るたちでね」


 女は虚空に向かって言った。


「アタシはいつもそうだ。時間以外は適当にしかできない。逆に言えば、時間だけはきっちり守るって事さ」


 潮の香り。埠頭のそば。小さな灯台。波打つ音──。突如、コンテナ移動用の巨大クレーンから協力なライトが照射され、積み上げられたコンテナの上の人物を照らし出す。


「高いところが好きとは知らなかったな、ハニイ」


「クリスでいいって言ったろ」


 黒髪おかっぱ頭の男装少女は、不機嫌そうに言った。椅子に縛り付けられた彼女は、さながら古代文明によっていけにえに捧げられた哀れな供物のように見えた。


「連れてこられたんだ。見れば分かるだろ」


「それで? そこまで持ち上げた野郎はいったいどこに──」


 突如、音もなくコンテナが地面を薙ぐように滑ってきた。コートの女の姿がコンテナの影に消え、まるで車のワイパーに追い立てられる虫のごとくトマトペーストになるかと思われたが、その心配は無用であった。


「参ったな。大した歓迎だ」


 女は片手でコンテナを止めていた。茶色のコートの袖をまくる。鈍色の機械の右腕が露出し、最後に白い手袋を外した。『鉄腕』。この街に住む者は、みな彼女の事をそう呼ぶ。トラブルを食い物にする女、アンナ・マイヤー。彼女は人差し指を猛禽類のカギ爪のごとくまげて、躊躇なく鋼鉄製のコンテナへ指を突き立てる。そして躊躇なくそのまま下へ引き裂いた。


「なんだ、空っぽか。プレゼントの箱には大きすぎると思ったぜ」


「……ふざけた女だ」


 いつの間にか、哀れな供物の肩に手を置く者の姿があった。月明かりで輝く金髪。小柄な影ながら、そのシルエットは異様である。左側の肩だけにはためくマント。そこから伸びる異形な三本指のカギ爪のごとき手。


「よお、いつぞやの」


「世話になったな」


「ああ、世話したぜ。そういえば名前を聞いてなかった」


 マントを羽織った軍服の女は、体を投げ出しコンテナにカギ爪を突き立てながら、ゆっくりと地上へと降りた。


「第四帝国特任少佐、ミリィ・ハーネ」


「ミリィ。いい名前だな。……その腕、良く似合ってる。どこで買ったんだ? Amazonで手に入るのか?」


「減らず口はそこまでだ。……今日、私は貴様を殺すつもりだ」


 鉄腕はクリスを見上げ、肩をすくめて笑った。


「人質まで取ってか? お嬢さん」


「私は黙れと言ったぞ鉄腕」


 軍服の女は眉をひそめる。左肩に手を伸ばし、狂気のエンブレム──カギ十字を回転させた。にわかに左腕が放電し始め──鉄腕が裂いたばかりのコンテナを宙に浮かせ始めた!


「いくら力が強かろうが、この質量に耐えられるか!」


 浮遊していたコンテナが、再び重力を得て鉄腕めがけて落下する。まるで神の鉄槌がごとき光景。もっとも鉄腕は神を信じていない。所詮はコンテナだ。彼女が葉巻を咥えなおしながら右腕を虚空に突き出すと、古代の石造りの橋のごとく、コンテナに美しいアーチが生まれ、彼女の居場所を作った!


「腕がだりい」


 鉄腕はひときわ多めに紫煙を吐き出しながら、ゆうゆうとコンテナの下から出ると、手ごろなコンテナを右腕で持ち上げる。そして宙に投げ出すと、大きく振りかぶって殴りつけた。縦回転しながらコンテナが超大質量弾と化し、ミリィを襲った! 今度は彼女がトマトペースト化の危機だ!

 しかし、様子がおかしい。鉄腕が殴りつけ、フィットチーネのように折れ曲がったコンテナは、彼女がそうしたようにぴたりと静止している。直後、なんと左腕を放電させながら宙に浮いているミリィの姿!


「スーパーガールだったとは知らなかった。あー……いや違うな。マグニートーだ」


「冗談はそこまでにしてもらおうか」


 ミリィは勝ち誇った笑みで、いびつなコンテナに降り立つと徐々に放電が収まっていく左手を高く掲げた。

 その直後、鉄腕の足元でコンクリートが砕けた。銃弾。周囲に銃弾を放った者の姿は見えない。


「動くな、鉄腕。これは性能試験ではない。殺し合いだ。勝者は生き残り、敗者は死ぬ。そして私は勝つ。そのためにはどんな卑怯な事でもやってみせる。それが合理的な方法ならばな」


 鉄腕はゆっくりと両手を挙げた。ここでとびかかっていくのは簡単だ。ミリィの部下、何と言ったか忘れてしまったが──やつはかなりの腕のスナイパーだった。


「もう動くのはやめろ。動けば、そこにいる哀れな女の子の頭を、私の部下が吹き飛ばさなくてはならない」


「じゃ、アタシはどうしたらいい? この場でタップダンスでもしようか」


 月を背負って軍人は笑う。勝利の笑み。


「いいや、もう何もする必要はない。貴様はそこで潰れていろッ!」


 ミリィがそう宣言し、鉄腕の墓標にふさわしいコンテナを持ち上げようと、左腕から放電をはじめたその時であった。鉄腕はにやりと笑い、叫んだ。


「いいのか? あんたも失うぞ」


「何?」


「アタシはクリスを失う。……あんたそう言ったな。だがあんたも失うぜ。なんとかって部下をな」


「この期に及んで戯言を抜かすな」


「嘘だと思うなら、あんたの部下へ聞いてみるといい」


 ミリィは懐から拳銃──ルガーP08を抜くと、つまらなそうに椅子の上でぶらぶらと足を投げ出しているクリスへ照準を合わせた。


「少しでもおかしな真似をすれば撃つぞ」


「言いたかないが、もうしてる。早く聞いたほうがいいぜ」


 鉄腕はへらへらと笑う。いらつきながら、ミリィは左腕の放電を止め、耳につけた無線機で部下へと通信を飛ばす。


「聞いていたか。遠距離から仕掛けてくるかもしれん。警戒しろ」


『ヤー。しかし狙撃ポイントはすべて調査済みのはずです。ここだって──』


 無音。直後、絶叫。この世の苦痛を、文字に起こしたような叫び声。


「どうした!」


『撃たれ……ました……ッ! 左、耳たぶ……』


「耳たぶだと?」


 スナイパーがスナイパーに撃たれる。耐え忍び孤独と戦う彼らにとって、それは耐え難い恐怖だ。捕食者が捕食者に狙われた時ほど、弱い時はない。


 そこから1.8km離れたビルの上。灰色の都市迷彩柄のケープを羽織り、ビルのヘリから伸びるトリコロールカラーのバレルが、熱と共に硝煙を吐く。

 偉大なるカリスマが歌う。

 古めかしい、携帯用CDプレーヤーからは、宇宙へ還った男が出会った男の真実が語られている。

 伯爵は自作のハーブクッキーをかじり、たった今撃った男の事をスコープ越しに見ていた。十字架は彼の耳たぶをとらえ、銃弾はそれを食いちぎった。


「God Bless You……(お大事に) 」


 トリコロールカラーで塗装されたL96A1のバレルがにわかに熱を帯び、硝煙の香りが鼻孔をくすぐる。

 世界を売った男。孤独と共に死んだ男の話。僕がそうしてやる。スコープ越しのスナイパーへのメッセージだ。

 伯爵は笑う。ハーブクッキーで高揚した精神で、だらしなく笑う。クッキーから手足が生え、十字架の間を飛び回る。


「ハンターの仕事とはかくあるべきさ……猟犬の捉えた獲物を逃さない」


 伯爵はつぶやく。CDプレイヤーが音を立て止まる。あまりにも古すぎて、まともに再生できないのだ。再びカリスマが唄い、ある男の真実が語られる。孤独に死んだはずの男の話。


「猟犬は命を奪う者。ハンターとは葬る者さ──」


 伯爵はその視界からスナイパーを外し──港で対峙する二人の女、即ち猟犬とその獲物に十字架を合わせた。




「あんたが犯行を伯爵に見せたのは間違いだった。……視界に入る人間を狐と見なして狩ろうとする女だぜ。イカレてんだ。どこのアサイラムだって諦めてる。……だが、銃弾をやらなきゃ、伯爵もただのイカれた貴族気取りで済む。だが、どこかの誰かが、銃弾を与えたとしたらどうなると思う?」


 鉄腕は既に手を下ろしていた。ドラム缶へと寄りかかりながら、ミリィに向かって右手で銃の形を作り、ふざけて撃つ真似をした。


「アンタの眉間に穴が増える。だけどそれじゃ、アタシの気分が悪いのさ。同じ女にゃ優しくするのが、アタシのモットーでね。……だから、あんたの部下には悪いことをした」


「貴様……!」


「おっと、卑怯だとかなんだとか、そういうのは無しだぜ。あんたも言ったろ。卑怯でも合理的なら何でもやるってな。これがアタシの合理さ。こっちも一応ドイツ人の血が混じってるし、同類ってわけだ」


 ミリィは激高し、ルガーの引き金を絞って銃弾を放った。マタドールのごとく、鉄腕は自身のロングコートを翻す。通常の拳銃弾程度であれば、特殊繊維を編み込んだ彼女のコートは、まるで虫をからめとるが如く銃弾の運動性を吸収してしまうのだ。

 流れるように、鉄腕はドラム缶をひっつかみ回転しながら投擲。ミリィは即座に腕から放電させ、ドラム缶を停止させる。憤怒の表情を浮かべ、地面にドラム缶を叩きつける。辺りに廃油がべったりと漏れ出した。


「きたねえ」


 鉄腕はサングラスをコートの袖で拭う。その間に、ミリィが地面に降り立っていた。ルガーを投げ捨てた彼女は、おもむろに放電をとあるコンテナに向けた。炸裂ボルトでコンテナの扉が吹き飛び、中から放電に導かれるように巨大なシルエットが引きずり出される。

 FlaK37。かつてのドイツ軍が数多の戦車軍団を破壊しつくした、五メートル近い砲身を誇る高性能高射砲。むき出しの発射機構から伸びる雑な溶接で組み上げた持ち手を左手で掴み、彼女の腕はその発射機構ごと電気を帯びさせる。電磁石がまるで生命を与えるように、各所を駆動せさしめ、明らかに釣り合わぬバランスのそれが、まるで元からそうだったかのように地面から宙に浮きはじめる。


「おっと、やめとけよ。なんとかって坊やに反撃できる力はあんのかい」


 正直、冷や汗をかいていた。まさかあれでお遊戯会をやるわけでもあるまい。あんなものは予想していなかった。だから、伯爵の狙撃による恐怖が機能しているうちに、ケリをつけてしまいたい。


『やあ、鉄腕。僕だ』


 突如鉄腕の耳の中に声が響く。イヤフォンタイプの無線機から、伯爵の声と、とぎれとぎれの唄が聞こえる。嫌な予感がした。


「今いいとこなんだが」


『悪い、一発外した』


 伯爵に『ハンティングを依頼』する方法は複雑怪奇を極める。依頼内容を狐狩りに例えながらブリーフィングし、7.62ミリNATO弾を渡す。ただし、その弾丸はイギリスにあるダラム大聖堂で非常に高位の司祭から祝福を受けたものでなければならず、伯爵御用達のルートでも一発あたりの費用は五百ドルは下らない。

 確かに腕は良い。それだけ取るだけの事はある。ただ、オールドハイトでは、百ドルも出せばそれなりのヒットマンを雇える。それも条件なしでだ。ただでさえ非合法ハーブをやっているようなヤク中を使うような人間はいない。

 鉄腕は別だ。こうしたサイドキックが必要な時は、面倒でも多少割高でも彼女を使うことにしている。ぶっちゃけいつかヤれると思っているからだ。


「はあ? あんた、ふざけてんじゃ……」


『契約は二発だったな。いや本当にすまない。何しろ暴れて弾を避けられるとは思わなかった。じゃ、契約通り先に失礼するよ』


 無慈悲に通信が切れる。月を隠すほどの巨大な砲身の影が、鉄腕を覆った。持ち上げた砲身を、まるでこん棒のように振り下ろしたのだ。

 鉄腕は口にくわえた葉巻を取りこぼさないように苦労しつつ、地面を蹴り、横っ飛びに回避しくるりと一回転。砲身が砕け、半分以上短くなったそれを再び持ち上げつつ、ミリィは地面を踏みしめた。直後形成されたクレーターが、その大質量を物語る。ふたたび原住民が振るう無慈悲なこんぼうのごとく、ミリィは横薙ぎに砲身を鉄腕に叩きつける。右腕が間に合わず、ふっ飛ばされコンテナに叩きつけられる。胃の中身が逆流しそうになるのを耐え、コンテナの表面をくるりと寝返りを打つ。直後、砲身がコンテナを衝き、鉄腕が居た場所を完全にえぐった。


「待てよ」


 鉄腕は冷や汗を拭い、息を吐く。へらへら笑いも途切れてしまいそうになる。だがそれは彼女の流儀だ。絶やすわけにもいかない。


「勘違いするな、鉄腕。わたしは軍人で、部下に対して責任がある。だが部下の耳たぶふっ飛ばされたくらいで、前後を無くすような人間じゃない。報復にあの女の子の頭を吹っ飛ばそうなんて考えない」


 右手で破片と埃を黄金色の髪から払いながら、ミリィは笑う。彼女は一歩下がり、アハト・アハトを構えた。黒い砲口が、真闇が鉄腕を呑み込まんとしている。


「だが借りは返してもらう。弾で失ったものは、弾で取り返す。もっとも、私の弾を喰らった後貴様の体は残っているかな?」


 ミリィは笑う。鉄腕はその笑みに笑みで返す。ゆっくりとコンテナから背中を剥がし、アハトアハトの射線軸正面に立って見せた。獰猛な笑み。葉巻から漂うポート・ワインの香り。クリスが少々心配そうな顔で、こちらを見下ろしている。

 心配するな、ハニイ。

 鉄腕は、ウィンクでその視線に答えた。銃口を向けられることには慣れ過ぎている。黒いのから白いのまで、さまざまいた。共通していたのは、ファックされたらファックし返してやったことだ。鉄腕は逃げない。たとえそれが、己を穿つ死の砲口の前だとしても。


「撃ってきな。レディ・ファーストだ。もっともアタシも女だがね……」


「それじゃあ、遠慮なくッ!」


 発射機構が帯電し、8.8センチの徹甲弾が轟音を挙げて飛び出した。世界に流れる時間が軟化し、鉄腕のニューロンが加速する。コンテナに塞がれて逃げ場はもはやない。それに、相手は想像以上に素早く動ける。砲身を砕く前に、鉄腕の右腕以外の骨が砕かれてしまうかもしれない。

 鉄腕は覚悟を決め、大きく体をひねり、右こぶしを叩きつけた!

 その対象は、飛来する徹甲弾だ。弾頭が潰れ、ひしゃげ、すべてを穿ち直進するはずの徹甲弾はベクトルを真逆に変えて、発射をしたアハトアハトの砲口に向かって戻っていく。

 炸裂。

 発射機構が、砲身が、ミリィの左腕が、爆炎に飲まれ、彼女の軍服を、黄金色の髪を、白い肌を覆いつくす。

 炎に飲まれ、軍人は絶叫する。一歩、二歩、三歩──。ミリィは倒れ伏し、動かなくなった。炎に飲まれた彼女の周りから、廃油に火が点き、炎上しだした。ここもいずれ、すべて炎に飲まれてしまうのかもしれない。

 鉄腕はボルダリングの要領でコンテナの山を素早く登る。直後、風切り音が鉄腕の耳に入った。鉄腕はとっさに右手を虚空に向けた。着弾。顔に向かった二弾目を、再度手で防ぐ!


「スナイパー君か! それどころじゃねえってのに」


 鉄腕は苛立つが、どうにもならない。三発目。高らかに鳴り響いたであろう銃声が、ぱちぱちと燃え上がる炎の音を裂く。鉄腕の元には、銃弾は届かなかった。


「ねえ、まだなの? 熱いんだけど」


 クリスはつまらなそうに、状況が見えてないかのように客観的にそう言った。彼女の指摘は当然だ。既に倉庫街のコンクリートは火の海、熱いとかそういうのの前に、酸素不足になりかねない。


「ちょっと待っててくれ、ハニイ。……なんだよ、焦らしがうまいな」


『鉄腕か』


 ぶつぶつと途切れるカリスマの唄声。伯爵の声。鉄腕はさらに苛立ちながら、その声に返した。


「契約は終了じゃなかったのか?」


『アフターサービスだよ』


「あんたにゃ珍しいサービスだ。殺さなかったのか?」


『ああ。殺すのはいつだって君だけだぜ、鉄腕。ハンターとはそういうものだ。では、また会おう』


 身勝手な通信が切れ、炎の音だけが倉庫街に響いていた。頑丈な砲身が、まるで朽ち果てた十字架のようにそびえ立ち、それも炎の中に消えた。


「おなか減ったんだけど」


 クリスは黒い前髪をくるりとねじりながら、こともなげにそう言った。彼女の目の前では、何も起こらなかったかのように、淡々と。

 鉄腕はそれに笑ってしまい、彼女を縛り付けていた縄を断ち切り、抱きかかえた。


「帰るか。……ただし肉は勘弁だ。喰う気無くしたからな」


鉄狼の陰謀 終

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