鉄狼の陰謀

来客はブランチ前に

「ひでえなあ、こいつはよう」


 パトランプが闇を切り裂き、惨殺死体を浮かび上がらせる。数人の男。着ているものはボロであったことから、ホームレスと推測。被害者五名。生存者一名。その男は左足を折られただけで済んでいた。

 白髪頭のレイン・コートを羽織った偉丈夫。オールドハイト市警、ランス警部。市警きっての汚職警官。もっとも現場のここでは、そのようなことを指摘するものはいない。


「警部。一人ようやく落ち着きました」


「おう。どこにいる」


 ホームレスは何歳なのかわからない。みすぼらしい格好の彼は、救急車のストレッチャーに乗せられたまま、まだがくがく震えていた。


「犯人を見たのか」


「さ、サツの旦那! 俺は見た、見たんだよう。き、機械の腕の女が、仲間を殺っていくのをよ!」


 ランス警部は部下の黒人刑事と顔を見合わせた後──思わずぐいと胸ぐらを掴んでいた。それを阻止しようとする部下をも振り切り、なおもホームレスに尋ねた。


「どんなやつか、よく聞かなきゃならねえな」




 天井で古びたサーキュレーターが回転している。

 オールドハイトは暑い。高層ビルからの照り返しで、オーブンに入ったチキンになったような気分になる。栗色の髪を振り乱し、女はあまりの暑さに跳ね起きた。


「あっちい」


 これまた古びたキッチンへと移動し、缶ビールを取り出し、一気に飲み干す。乾いた喉を炭酸が通り越す感覚が気持ちがいい。


「知ってる?」


 薄いシーツにくるまったままの何かが、声を発した。


「どうした、ハニィ」


「暑い日の朝にアルコールなんて取ったら、脱水で死ぬらしいよ」


「今日は死ななかった」


 缶ビールをダストボックスに放り込むと、鉄腕はようやく自分が裸であることに気づいた。鈍く輝く鉄の腕も、日に照らされて熱せられたように感じる。彼女の名前は、アンナ・マイヤー。鉄の腕を持つトラブルシューター『鉄腕アイアンナックル』である。 

 昨日は久々に盛り上がった。お気に入りの映画を見て、一晩中語り合って、ビールを飲んで──クリスはジュースを飲んだ──、アホみたいにデカいアイスを食べたりした。

 後は一緒に寝た。色んな意味を含むが、そういうのは牛みたいに反芻するんじゃなくてまた機会を持つのが大事だと思う。


「あとハニィっていうのやめて」


「なんでだ? 昨日はあんなに盛り上がったじゃないか」


「クリスでいいよ。名前、気に入ってるんだ」


 鉄腕は毒々しい紫色のショーツを履き、ファスト・ファッション店で買い置きしているキャミソールを身につけ、ようやく文明人を装った。


「じゃクリス。ひとつ聞くがな。お前はまだ子供だろ。アタシがやるのは、クズ共を殴って金を貰うタフなビズだ。ガキ、それも女のガキが首突っ込めるようなことじゃねえ」


「君、頭悪いだろ」


「ああ?」


 さすがの鉄腕も、あからさまに不機嫌な表情を見せた。普段はゴーグルで隠れている眼光は鋭い。クリスはようやくシーツから顔を出した。黒髪の切りそろえた前髪。年齢不相応な怜悧な瞳。クールな少女だ。


「世の中全ての事件が、殴って済むなら君は大金持ちさ。……嘘だと思うなら、僕を連れてってよ。ここ漫画一冊も置いてないだろ。退屈なんだよ」


 鉄腕は舌打ちした後、コートがけにかけている自分のコートの裏ポケットを探り、葉巻を取り出した。赤いシガー・カッターで吸口を作ると、台所から長いマッチを取り出すと、キッチンにもたれかかったまま火を点ける。ヘンリエッタ・Y・チャーチルズ。高級葉巻。文明人の証。


「わかったよ。じゃ、すこしお出かけとしゃれこもうじゃないか」


 葉巻を左手に取ったまま大きく伸びをした瞬間、何かが葉巻を弾き飛ばした。火が点いたまま転がる葉巻。遅れて薄い窓ががらがらと崩れる。

 撃たれた。

 鉄腕はベッドのそばのコートかけからコートを取り、下着だけの自分の体にかけた。防弾防刃だ。死にはしない。


「ヘボ野郎。殺り損ねやがった」


 ベッドの上のハニイはすでに下に移動していた。キャビネットの上にあるサングラスへと手を伸ばすと、サングラスが銃弾で弾き飛ばされた。


「わざとじゃないの、これ」


 ベッドの下からクリスが顔を覗かせた。


「なんで」


「君の葉巻とサングラスを破壊せずに弾き飛ばしただろ。どこから撃ってきてるのかしらないけど、凄い腕だよ」


「つまり、アタシをいつでも殺れると?」


「そういうこと。……使う?」


 クリスの手には携帯電話。ひったくるように奪う。とにかくこの場から逃げなければ殺される。残念ながら、彼女には心当たりが多すぎた。その時であった。彼女が別の者に電話をかけようとした直後、面倒な人物からの着信。舌打ち。


『よう。ブランチは済んだか』


「鉛玉じゃ腹は膨れねえ」


 いけ好かない野郎の声。ランス警部。敵でも味方でもない。ビジネス相手。今、別に聞きたくもない声だ。


『なんだあ、何をイラついてやがる』


「ブランチの前に鉛玉を二発ぶち込まれてんだ。うらやましいか」


『そりゃ豪勢なこった。それより鉄腕よう、お前、昨日やらかしたみてえじゃねえか』


 鉄腕はイラつきながら、何の話だと返した。いつ頭をぶち抜かれるかもわからない。そもそも誰が何のために狙っているのかもわからないのだ。ぐだぐだと話を引き延ばす気もない。


『ティフォード・ストリートの路地裏で、機械の腕をくっつけた女がホームレスを何人かぶっ殺しただとよ。証言も取った。この街で、お前みたいに機械の腕を持ってるやつは何人いるんだろうな』


 面倒ごとに面倒ごとだ。そもそも昨日は、一晩中クリスと楽しんでいたので外にも出ていない。喧嘩や殺しなどもってのほかだ。


「アタシじゃねえ」


『別にお前だと言ってる気はねえよ。ただまあ、お前を引っ張られるとこっちが迷惑なんだ。ペラペラ何を話されるかわかったもんじゃねえ。お前はムショになんか入れねえよ。それくらいなら俺がバラしてやる』


「それもごめんだ」


『そうかよ。じゃ、忠告はしたぜ』


 何か言う前に、通話は切れた。くそったれ。結局、埃っぽい床に寝そべって、気に食わねえおっさんの声を聞いただけだ。


「どうすんのさ」


「このまま餓死するか? ごめんだね」


「どこに電話かけるの」


「情報屋だ。この街の事なら大抵知ってる」


 鉄腕が電話をかけようとしたその時、なんとクリスが電話を奪い取り、ベッドの下で埃を被っていた古いノートパソコンを接続すると、何やらタイプし始めた。


「おい!」


「僕、おなか減っちゃってさ。まどろっこしいのはやめにしようよ」


「電話を勝手に使うなよ!」


「要は、襲撃者が知りたいんだろ。直接聞けばいいんだよ」


 ビープ音。ダイヤル音。クリスはそれを確認すると、携帯電話を鉄腕に返す。


『……誰だ』


 男の声。まだ若い。ドイツなまり。鉄腕は自信たっぷりにうなずくクリスの顔から、この男が襲撃者であろうことを察した。


「あんたこそ誰だい。朝から騒々しいじゃねえか」


『なぜこの番号が……』


「おおっと。言いっこなしだぜ、そいつは。何のためにアタシを狙う。目的は? 雇い主は?」


『くそッ』


 短い呪詛。ぶつりと途切れる通話。図ったようなタイミングで響くノック。招き入れるのは簡単だ。しかし、招き入れられるのは間違いなく災厄だ。


「クリス。ベッドの下から出るなよ」


 古いパソコンが気に入ったらしいが、彼女はイラついていた。


「インターネットも繋いでないの、君の部屋? どんだけ情報弱者なのさ。……退屈じゃないのは結構だけど、お邪魔なら言うとおりにするよ」


 鉄腕は立ち上がる。コートは羽織ったまま。外に出れば変質者の類だろう。窓の外から、銃弾は飛んでこなかった。ゆえに察する。本命。今までのは前菜。メインディッシュがドアの外にいる。


「新聞なら間に合ってる」


「アンナ・マイヤー。別名『鉄腕』。間違いないか」


「FedEXか? サインしたら帰ってくれ」


 ドアをわずかに開けると、そこには金髪の小柄な女が立っていた。作業着めいたモスグリーンの服。革製のコンバットブーツ。三白眼気味の鋭い眼。左腕は、鋼鉄に覆われている。


「殺害命令が出ている。拒否権はない!」


 女が左拳を繰り出すと、木製のドアが砕けた。飛び散る破片を、コートを巻き付けて防ぐ。鉄腕はキッチンに回り、包丁に果物ナイフ、ペティナイフを次々に投げる。女は包丁を避け、果物ナイフを拳ではじき、ペティナイフを掴んで砕いて見せた。


「綺麗なお嬢さんだ。いったいアタシの家に何の用だ?」


「第四帝国。聞き覚えがあるだろう」


 第四帝国だって。なんの映画の話だ。最近とんと映画館に足を運んでなくてね。ポップコーンも満足に食べていないんだ。よかったら、今度一緒に付き合ってもらえないかい。そんなセリフが浮かんで、すぐに消えた。言うことは簡単だったろうが、このきれいなお嬢さんにはそんな余裕はないだろう。肩口には、翼を広げた鷲が、カギ十字のマークの入った円形を掴んでいるワッペンが縫い付けられていた。ネオナチ。ゆがんだ思想を信じ続ける者たち。その使者がやってきたのだ。何故かはわからない。心当たりは──ないといえば嘘になる。何せこっちは毎日恨みを買っている。


「何の話だい」


「その腕は、帝国の技術を盗んで制作されたものだ。どういう経緯かは知らないが、この世界に存在していてはいけないものだ」


「そうかい。そりゃ知らなかったな。何せ寝て起きたらくっついてたもんでね」


「なら引きはがすまでだ!」


 左腕から小さなモーター駆動音。振り下ろされた拳を、鉄腕は右腕でつかむ。ブルドーザーが突っ込んできているような、すさまじい力だ。


「……撃つな。私がケリをつける。出過ぎた真似は許さんぞ、ミッターマイヤー!」


 よく見ると、女の耳には小さなイヤホンマイクが入っていた。狙撃手はこの女の部下、つまり同じネオナチ野郎だったわけだ。迷惑な話だ。鉄腕はわずかに力をそらすと、手を放して体ごと女のこぶしを避ける。


「なるほどねえ。大体の目星がついたぜ。悪いことは言わないぜ、お嬢さん。アタシを本気にさせないうちに、帰ることだ」


 鉄腕は床に落ちていた葉巻を拾い上げ、口にくわえた。紫煙を肺へ取り込み、ケミカルな落ち着きを取り戻す。余裕のなさ。技術を盗んでという言葉。


「減らず口を」


「アタシの腕とあんたの腕の力比べに来たんだろう。命まで落とすことはないだろう」


 実戦訓練。それも、新型兵器のテストを兼ねて。何の目的のためなのかは知らないが、同じような腕を持つ鉄腕に、その相手の白羽の矢が立った。迷惑な話だ。


「ならば、後悔させてやる。命を落とすのは貴様だ!」


 女はブーツで床を蹴り、拳を振り上げ跳躍! 同じように鉄腕も腰を落としてひねり、鋼鉄製の右手を広げて掌底を繰り出した。女の拳を受け止めた瞬間、アパートの床が放射状にひび割れ、ぐらりと揺れる!


「実戦テストは済んだかい」


「……何?」


「じゃあ、次は耐久テストといこうじゃないか」


 受け止めた女の拳を握りこんだ。いかに頑丈なガントレットといえど、中には女の生身の拳が入っているのだ。ガントレットはゆがみ、中の腕を押しつぶし、砕く。女は悲鳴を上げる。非情なる軍人の顔をかなぐり捨てて、まるで本物の腕のように血を流すガントレットを右手でかばう。


「勝負ありだ、お嬢さん」


「なぜ……なぜだ……貴様の非効率的な鉄の腕より、こちらのほうが圧倒的に……」


「ホームレスで実験した結果で言ってんのか? おいおい、場数が違うぜ」


 青ざめた顔の女を鉄腕は肩に担ぎ上げると、玄関から外に出て、廊下に下ろしてやった。女は懐から拳銃を取り出したが、鉄腕はすばやくそれを取り上げた。


「殺せ。任務に失敗した兵士に居場所など……」


「仲間が一緒なんだろう。迎えに来てもらえ」


 ぶっきらぼうにそう述べてから、鉄腕は彼女の顎を持ち上げた。鉄腕より、若干年下に見える。まだまだ若い。鉄腕は彼女の唇にキスをした。触れただけのキスだ。


「アタシもあんたも、女ざかりはこれからだぜ。──また会おう」


 言うが早いが、鉄腕は女の襟首をむんずと掴み、廊下の先の窓──今日は暑かったので、たまたま開いていた──めがけてぶん投げた。

 悲鳴が遠ざかっていく。みみかきのようにカーブを描いた街路灯にぶつかって、ガラスが砕ける音が響き渡り──一際大きな音の後に、クラクションが断末魔をあげた。

 連れが見つけてくれるだろう。

 鉄腕は大きく伸びをして、今度こそ何か食べようと自宅へと戻っていった。


続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る