アイアンナックル Re:run

高柳 総一郎

アイアンナックル颯爽登場

摩天楼に死す

 夜の街を鉄の馬が駆ける。鉄の心臓から轟音が鳴り、高らかに空気を裂いた。ファイアパターン・エンブレムのハーレー・ダビッドソン。モンスターマシン。それに跨る人物が一人。簡易なヘルメット。鈍色のゴーグルが、道路側のランプから放たれた光を反射する。

 オールドハイト。霧だけが漂うくそったれ共の街。ゴミ箱の底。はいよる蛆虫どものパラダイス。そんな街のアスファルトをハーレーが切り裂き、闇より黒いタイヤ跡を残し、鉄馬は止まった。

「よう」

 その人物はヘルメットを外した。ひっつめただけの栗色の髪。ゴーグルははずさない。声を出さなければ、女とは分からなかっただろう。洗いざらしの白いドレスシャツ。男物のスラックス。古めかしいロング・コート。右手だけに、洒落た白い手袋をはめていた。天空に伸びるコンクリート・ビルディング。そびえたつクソだ。


「誰だい、あんた」


 門番は黒服にサングラスのタフな男二人組だった。


「ここ、ヴェンデル・ビルかい」


「ああ。だが今日はやすみさ。帰んな、姉ちゃん」


「パーティ会場だって聞いたぜ」


 ペットボトルを開けたような音。黒い銃口が女を捕らえた。男たちはいつだってそうだ。銃で遊ぶのが好きだ。アタシは嫌いだがね。女はくだらない事を考えながら、コートの裏ポケットから、銀色のシガレット・ケースを取り出した。太く長い葉巻。ヘンリエッタ・Y・チャーチルズ。一本二十七ドル。真っ赤なシガレット・カッターで、先を切り落とし、女はそれを咥えた。


「ドレスコードを聞いてこなかったんだな、姉ちゃん。パーティ会場にゃそんなかっこじゃ入れねえ。帰れよ」


「じゃ、いいよ。……火、持ってねえかい」


 男は顎をしゃくり、相棒にガス・ライターを取り出させ、女の葉巻へと火を点けた。じりじりと葉巻に火が移る。


「知ってるかい」


 女は葉巻を咥えたままだというのに、うまく喋った。腹話術のパペットのようだ。


「葉巻にガス・ライターはご法度だ」


「へえ、そうかよ」


 男は相棒の肩を叩く。彼はガス・ライターを引っ込ませた。ヘンリエッタから、芳醇な赤ワインの薫りが漂う。彼女は紫煙を吐いた。辺りに白くそれが漂った。

 直後、紫煙がふた手に分かれた。女は右手を動かし──いや、拳を繰り出したのだ。どうってことない右フックだった。男は笑って、男は右頬でそれを受けた。

 男は笑顔のまま、右を向いていた──正確には、首が『一回転』したのだ。

 相棒の首が回転し、地面に倒れ伏して動かなくなったのを、男はただ見ていた。何が起こったのだ? 男ができたのは、すぐに銃を構え直し女を捉えることだった。


「加減を間違えた。悪かったな、ドアボーイ」


 肘を伸ばし、男の銃は確かに女を捉えていたはずだった。手首が地面を向いている。銃口も。手首が、完全に折れている。次の瞬間、男が見たのは、女の絹の手袋で覆われた右拳であった。





 レッド・ホット・ファミリー。

 ピザ屋みたいな名前のイタリア坊や。血の掟で結ばれたパスタ野郎ども。南部の田舎者、乱暴者。そのくせ頭が多少いいらしい。最近は、人さらいでビジネスをやっている。チーズみたいに頭のとろけた野郎のやりそうなことだ。

 女の仕事は何でも屋だ。フィリップ・マーロウほど頭は良くない。こんな腕を付けてやれるのは、暴力だけだ。だから女は暴力を仕事にした。金をくれれば、なんでもやれる。

 たまにへますることもある。ファックしてやるつもりがファックされるのさ。女だからな。別に気にしちゃいない。

 女の口癖のようなものだった。女はしぶとかった。ファックされたらファックし返してやった。たとえどんな相手だろうと。オールドハイトのタフ・ガール。女の名前は『鉄腕アイアンナックル』。

 白い絹の手袋を外し、女はぐるぐると右腕を回す。コートの袖をまくり上げ、思い切り振りかぶり──鋼鉄製の防犯シャッターに叩き付けた。

 まるでクッキー生地のように、シャッターに穴が開いた。中からけたたましいサイレン。鉄腕はゆうゆうとその穴を抜けた。


「ぶっ殺してやる!」


「死ね!」


 粗悪な悪口を合図に、黒服たちがトリガーを引く。銃口から発射される弾丸。鉄腕はニヤリと笑みを浮かべ、コートを翻し自分の身体を覆う。弾丸がコートに絡め取られ、速度を失い地面に落ちる。


「次からはジョークのセンスを磨け」


 驚愕の顔の男二人へ、地面を踏みしめ鉄腕は跳躍。右手を振りかぶり男の顔に叩きつける。男は重力を失ったように空中で二回転し背中から地面にたたきつけられた。直後逃げようと後ずさった男の顔に、鉄の裏拳を叩き込む。やはり男は縦回転し地面に叩きつけられる。死んだだろう。多分。

 鉄腕はそうして、ビルを登った。向かってくる人々は殴った。死んだものも、そうでないものもいる。最上階。社長室。お決まりのプレート。マフィアでも地位は欲しいらしい。


「よう、ランス警部」


 鉄腕は舌打ちした。

 くたびれた偉丈夫。白髪頭の男。グレイのスーツ。よれたレイン・コート。だらしのないネクタイ。たばこを片手に、壁によりかかっている。


「よう。……逮捕しに来たぜ、アバズレ」


「だろうと思った。先回りとはな」


「エレベーターを使った」


「アタシは階段だ。おい、どこにあったんだ、エレベーターなんて」


「裏口のVIP用さ。お前と違って、俺には利用価値がある」


 汚職刑事。クズのために這いずりまわって小金を稼ぐのが彼の仕事だ。主に、鉄腕以外のクズのために──。鉄腕はへらへらと交渉しにかかった。


「アタシも仕事なんだぜ、警部。かんべんしてくれ」


 ランス警部も舌打ちした。彼は鈍色に光るリボルバーを出し、鉄腕へと向けた。憎悪。彼にはトリガーを絞るだけの理由があった。


「俺も仕事さ。……なんなら最後にしてやってもいいぜ。娘の仇を討ってな」


「やめろ」


 鉄腕にも憎悪の感情があった。過ぎ去ったものに対しての憎悪であった。自分への憎悪。なんともしがたい感情。マリア。唯一、意図せずして死に追いやった女の記憶。


「じゃ、ビジネスだ」


 ランス警部はあっさりとそう言い放ち、手を出した。鉄腕はまたそんな彼の態度に辟易した。彼の憎悪は、ビジネスと表裏一体だ。金や手柄で簡単にひっくり返る。反吐が出る。鉄腕ならば、この差し出した手をミート・ボールに変形させられる。だが彼女はそうしなかった。彼女は生身の左腕で彼と握手をした。


「何しに来た」


「誘拐された親からの依頼。娘を取り戻してくれってよ」


「ここのポルノムービーならまだましだ。場所が場所ならスナッフムービーになるからな。……証言がいるな」


「じゃ、ボスはあんたにやる。後は煮るなり焼くなり、さ。その代わりといっちゃなんだが」


「なんだよ」


「いいのがいたら持っていく」


「またか」


 ランスは呆れ顔でこめかみに手を当てた。鉄腕はレズビアンだ。女が好きだ。こればかりは自身の性だから、仕方がない。どうせ、こんなところに連れてこられるような女に未来などない。国籍も何もかもすべて引っ剥がされて、ただの『女』にされたのだ。『女』として利用される以外に、未来はない。それが、このオールドハイトという街だ。


「行けよ」


「レディ・ファーストに感謝するよ、警部」


 鉄腕は扉を押し開けた。机に座っていた社長は悲鳴をあげた。机の下から這い出てきた年増の女も悲鳴をあげた。


「ハロウ」


「だ、だ、誰だ、てめえ!」


 ひどいイタリアなまりに、吃音ときていた。最低の音色だった。声楽隊には不要だろう。鉄腕は壁にかかっていた絵を外し、手始めに彼に投げつけた。枠が割れ、絵が破れ、社長はまるで子供がシャンプー・ハットをかぶりすぎたようになった。年増の秘書は金切り声を上げて逃げた。どうせ口でも使っていたのだろう。鉄腕の好みでもなかったので、そのまま捨て置いた。


「商品はどこだい」


 彼女は右頬を軽く張った。恐怖からか社長は答えなかった。彼女は左頬を張った。答えない。右頬。答えない。左頬。三往復したくらいで、ようやく彼はゲロった。


「そこの、本棚の裏に、扉が……」


「ありがとう。御礼は言ったぜ。だが痛みは覚えとくんだな」


 鉄腕は彼の頭を、机の後ろに広がる夜景──強化ガラスにたたきつけた。彼は動かなくなった。死んではいないだろう。多分。

 鉄腕はとりあえず、本棚を掴み、根本から引っこ抜いてどかした。社長の言葉は嘘ではなかった。確かに扉があった。


「やあ、スイートハニー達」


 女達がいた。うずくまって、鎖に繋がれた女達。みな酷く焦燥していた。鉄腕が鉄格子の扉を握力で捻じ曲げて、頭をかがめてそこに入り込む。葉巻を吸う。最低の空気だ。植物ならすぐに枯れてしまうだろう。鉄腕は丁寧に手錠や鎖をねじ切ってやり、白髪の大男のところへ行けと指示した。彼女のお気に入りになれそうな少女はいなかった。みな疲れていた。生命力が失われていた。花で言えば枯れていた。


「……助けに来るのが遅い」


 牢屋の奥で本を閉じたものが居た。聖書。鉄腕とは真逆の位置にある本。よく見ると、彼女は本を積み上げることでできた椅子に座っていた。


「本、読み飽きた」


 か細い声だが、彼女の声は不思議と惹かれるものがあった。切りそろえた、美しく黒い髪。同じく黒い宝石のような瞳。


「お前、名前は」


「クリス」


 クリス。鉄腕は繰り返した。そしてにやりと笑った。


「一緒に来るかい、クリス」


 クリスは何でもない風に答えた。彼女はクールで、何事にも動じない、何か強い意志を持っているように感じさせた。


「別にいいよ。攫われるのにはなれてる」


「なんだって?」


「誘拐は慣れっこ。……もう二桁は誘拐されてる」


「なら、アタシのところで打ち止めさ」


 鉄腕はおどけていった。彼女はクリスが好きになっていた。


「そうしてもらいたいところだね」




 摩天楼に死す 終

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