第12話
困難の打倒とは麻薬である。
一度乗り越えれば再び、そしてより苛烈な困難を求める。
──ロベルタ・ベスカチオ、旧き民より新世界へ送る啓蒙。一章より。
シュテルン・
端正な顔立ちは痛苦に歪み、身体の末端では破壊衝動に準じさせろと内なる獣が荒れ狂う。感情に呼応して沸騰する血液など、顔には出さまいと意識している事情にお構い無く表皮に汗を滴らせた。
生徒会長としての責務に追われることが常の彼が、何故心を迸らせながら国統領へ足を急がせているのか。
理由は簡単。
自らが生徒会長を務める聖ミカエル学園の生徒が二人も、四校同盟のお世話になっていると耳目にしたためだ。
道中、会長としての活動中は護衛として連れ添うガブリエルからの連絡にも返事を返さず、ただ逸る気持ちに準ずるままに足を進める。
モノレールを乗り継ぎ、辿り着いた先は一つの留置場。
名を
事前に話をつけていたことに加えて、彼自身の知名度が幸を相してか、面倒な手続きもなく顔パスに近い手順で二人が腰を下した牢へと到着した。
「おう。なんじゃ、随分と待たせてくれたの──」
邂逅一番。雑音を遮るように、背後に立つ警備員にも構わず額を全力で鉄格子へと叩きつける。割れた額から滴る一条の赤線は、呑気に腰を下していた二人から余裕を奪うには充分に作用した。
アークは頬を一層に引きつらせ、殺叉丸もまた呆然と口を開いている。
「シュ、シュテルン様ッ。い、一体何を……!」
「すみませんが、貴方には席を外していただきたい」
「席って、いきなり言われても……」
「必要でしたら謝礼金でもサインでもします。ですから」
向ける口調だけは務めて穏やかに。
だが、口から零れる白煙と硬く握られた左手が彼の内に宿る激情が臨界寸前であることを何よりも雄弁に物語っている。
それを背中越しながら敏感に掴み取ったのか、もしくは単に交渉条件に上げられた物品につられたのか。能咬に判断する術はない。
振り返らずとも遠ざかる足音と閉じられる扉の音の二点が、交渉の成立を主張する。
「あ、あぁ……あのな、俺は何度も静止したんだぜ。もっと平和的に会話しようぜ、初手からドスはヤベェってよ?」
「ワシを売る気か。えぇ、飼い主殿よぉ?」
「うっせぇわ狂犬。でな、それでも奴についていってたら、そりゃあ
人の目がなくなった途端、アークは保身へ全力疾走を開始。
元より今回の失態は、病院へ勝手に赴いた挙句に受付でドスを見せてみせた殺叉丸に責任がある。それを自身は押し留めようと検討したものの、結果として彼に付随する形で留置されている。というのが、アークの組み立てた粗筋であろうか。
物事の一側面として決して間違った話ではないものの、所詮は一側面。
そも、留置場に足を運ぶまでの道中で一切の情報を仕入れていないとでも思っているのか。
「ならば何故、静止を訴えたトレーナーへガブリエルの切先を向けた?」
「あ?」
「仕方のない行為の割には、実に能動的じゃないか。それとも君は
「あ、あ、あ……それ、は……」
国統のトレーナーへの所業まで把握されているのは誤算だったのか、指摘された次の瞬間には視線を逸らし、言葉もまた不明瞭さを増す。
他方で時間を置いたためか、殺叉丸はシニカルな笑みをアークへ注ぐまでに余裕を得ていた。
ならばと、能咬は瞳だけを動かして視線を日系の顔立ちをした少年へと合わせる。
「何が可笑しい。君に笑みを作るだけの余裕があるとでも?」
「大有りじゃ。何せ、おんしにワシは斬れんからのぉ」
「ッ……」
生意気な態度に歯軋りを一つ。
聖ミカエル学園に於いて、漆黒の制服を纏うという意味。
微妙かつ複雑な関係が殺叉丸には余裕を、生徒会長の座につく能咬には苦渋を与える。
とはいえ、今回の蛮行を無罪放免とあらば規則という概念は瓦解し、無法者が跳梁跋扈する事態となりかねない。
故、鉄格子を捩じ切らんばかりに握り締める。
「それよりも、じゃ。おんしの権力でアバドの居場所を突き止めるとかは出来んのがか?
居場所の特定さえしてくれりゃあ、後はワシが一人で仕留めたる」
「……」
厚顔無恥な質問に、能咬は人差し指を突き立てる。
殺叉丸も最初は怪訝な顔を浮かべるものの、解を得たりと掌を重ねた。
「なるほどのぉ、ここにおるんか。こりゃ不幸中の幸いじゃのぉ」
「違う」
「おぉん?」
意味することが外れたことに再度怪訝の声。
しかして、彼の探し人は留置場にも国統領にも、久遠の内にも存在しない。
なれば指の指し示す場所などただ一つ。
「あの世だよ、殺叉丸力児。アバド・ンドゥールは逮捕後、飛び降り自殺した」
「…………は?」
埒外の答えに間の抜けた口を開けるも、それで答えが変わるなどということは在り得ない。
彼らが留置場に叩き込まれた翌日の速報。
大々的な見出しにセンセーショナルな文字列で描かれたそれは、国統領の人間のみならず能咬を始めとする一部の聖ミカエル領の人間にも驚愕を以って受け入れられた。
アバドの辻斬りは国統領での一件でこそ表面化したものの、それ以前に一度、聖ミカエル領で行われたことがあったのだ。だからこそ、能咬も腰を入れて太平の申し出に協力を示した。
当然、現行犯で逮捕された人物が容易に飛び降りなど敢行できる訳もなし。
能咬も疑問に思い、国統へ問い合わせたのだが──
『残念ですが、この一件は既に内々で処理することが決定しています。これはユニオンの下した結論です』
電話に応じたマリステラにこう返されては、表立って言及することは不可能。
「あ、在り得る訳がなかろう。何の冗談がありゃあ、犯罪者が飛び降りなんて愉快な事態になるんじゃッ?
国統の警備はザルがかッ?!」
「そう、在り得る訳がない。
……真実の露見を恐れる誰かの介入がなければ」
「おいおい、それはここでぶっちゃけちゃっていいヤツ?」
能咬の言葉に思わず口を挟むのは、先程まで蚊帳の外であったアーク。
国統領で起きた事件の露見を恐れる存在の第一候補など、国統関係者かアバドの在籍しているクオンハイスクールの二択。
即ち二分の一の確率で、彼らの会話は元凶たる存在が把握し得る場所に保管されるのだ。アークでなくとも動揺を見せるのが常というもの。
「構わない。他校の生徒会長に手を下せる地位に犯人がいるならば、最早久遠は大戦の時代に逆戻りするだけさ」
「それに俺を巻き込むな、って話なんですがねぇ……!」
「んなもんどうでもよかッ!」
鉄格子を震わす叫びが牢全体へ木霊し、殺叉丸は怒気を零す。
鋭利な視線を突き立てられながら、能咬は身動ぎの一つもなく極寒の眼差しで応じる。
「重要なのは
「候補は、ですが」
それは、と怒気を込めて詰問する少年に、能咬が一瞬だけ背後へ──正確には壁の隅に設置された監視カメラへと視線を注ぐ。
尤も、今更カメラの一つで動じる訳もないが。
「釘……国統の抱えていると噂の裏方部門だ」
六月某日。
梅雨も本格化し、外出にも折り畳み傘の手放せなくなった時期。
天空を支配下に置くには未だに達せぬ人界で、今日も降雨が道路を叩く。
人通りも確実に減少している中、
相手方からの指示で制服を纏ってはいるものの、端々が水気に湿っているとなれば移動時だけでも私服を用いるべきではなかったかと後悔を抱く。
「呼び出すなら車の一つでも用意すればいいのに……」
「諦めろ骸銘館。こういうのはいつだって、呼ぶ側が偉いつもりだ」
「私が行かなかったら記事が成り立たない癖に」
いくら愚痴を零した所でUターンする訳もなし。あるいは、不満を垂らしながらも事には及ぶのが彼女のスタンスなのか。
それ以降は甘粕も言及を控え、移動を優先。
角を二度曲がると二人は足を止め、目的地たる眼前の建物を見上げた。
いくつかのビルを隣接させ、その中心部にあろうことか逆三角錐の展望室が併設されている特異極まる外観。四方から通路で補強されているとはいえ、宙に浮かぶ現代のピラミットは単に一報道機関としてだけではなく、国統領の観光スポットないしシンボルとして存在感を高める。
名を、通信総合商社本社ビル。
取材という名目で桜子を呼び出した張本人である。
「……テレビでは何度か見たけど、実物は本当にイカれた外見してる……」
「言うな。アレでも世界的に有名なデザイナーが設計したらしいぞ」
「アジム・アザム・アテム……建築に逆三角錐の意匠を取り込むことに定評のある建築家。久遠の建築にも一枚噛んでいる有名人です」
横から割り込んできた声に振り向くと、そこに立つは一人の少年。
土色のブレザーにチェック模様のズボン。日本人らしい黄色系の肌に赤みを帯びた短髪。国統の一生徒として埋没しかねない容姿に、だが絶対的な強さという指針が重厚な在り方を補強する。
彼の名を呟いたのは、かつて敗れた過去を持つ桜子。
「どうも、随分と早いご到着なこと……
刺々しい物言いに、司馬は意に介することなく本社を見上げ続ける。
ブレザーの下、本来なら無地であるはずのシャツにはやたら達筆な『生涯無敗』の文字。
試合に赴く際の勝負服ならいざ知らず、取材を受けるに当たって着用するなど背水の陣にも限度がある。背負うものを最近得たばかりの桜子には到底理解できない領域の話とも言えた。
自身に注ぐ視線を漸く認識したのか、司馬もまた視線を彼女へと返す。
「そうでもありません、何せ貴方達と同じ時間」
言い、彼女達へ向けた腕時計はデジタル表示で一〇時を指し示す。
事前に連絡された時刻丁度、その点では司馬の言がご尤も。
しかし、そも素直に約束を守った事実を褒めた訳でもない骸銘館は露骨に表情を歪めて舌打ちを一つ。
側で一部始終を眺めていた甘粕もまた、嘆息すると頭を掻いた。
今日の取材は選抜戦本戦へ向け、有力な選手二人と前年の選抜戦優勝者を交えたもの。と事前に聞かされてはいた。
司馬重工の御曹司にして才覚に溢れる司馬国近は、事前評価から既に優勝候補。そして桜子は辻斬り犯逮捕に貢献した点──表向きには二番人気として白羽の矢が立ったらしい。
が、始まる前から剣呑を突き詰める調子では先行きが不安である。
「あぁっと。お待たせしましたよ、司馬様に骸銘館様ッ」
自動ドアが開き、ビルから姿を現したのは白髪交じりの黒髪をオールバックに纏めた小太りの男。身につけた黒地のスーツも彼の体躯に押されてか、ボタンの辺りから無言の悲鳴を訴える。
男の言葉に司馬と甘粕が頭を下げ、桜子だけが鋭利な眼差しを注ぐ。
「いえ、今着いたばかりですからお気になさらず」
「これはこれは。流石司馬の御曹司、礼儀作法も整っております」
「言われてっぞ、骸銘館」
「……うっさ」
甘粕の言葉に素っ気なく返し、桜子はそっぽを向いた。
「おっと、申し遅れました。私は今回の取材を担当させて頂きます、アルトリウス・バッドマンでございます」
アルトリウス、と名乗った男が名刺を差し出し、桜子を除く二人が丁寧に受け取る。
そこには確かに先程口にした名と、通信総合商社の企業ロゴ。
「ささ。立ち話も何ですし、まずは入って下さい」
自動ドアを潜り、まず最初に飛び込んできたのはロビーに設置された銅像。
甘粕や桜子には見慣れない容姿。だが会社の重役にしては妙に若々しい。どちらかと言えば、会社の重役の趣味が反映された銅像といった方が適当か。
一人得心がいったのか、司馬がアルトリウスへ口を開いた。
「ロベルタ・ベスタチオ……ですか。過去の思想家でしたよね?」
「はい。とはいえ、私には何が言いたいのかサッパリですけどね」
「彼の思想は過激で、当時から賛否が酷かったらしいですね」
「なんか知らねぇけど、確かマリステラが良く読んでるのもそいつが著者だったな」
二人の会話に割り込み、甘粕は金糸の少女が度々引用する言葉を思い出す。
彼らの会話に混ざる切欠も話題もない桜子だけは、どうでも良さげに三人の後を追った。
そうしてアルトリウスに追随して辿り着いたのは、一つの個室。
グリーンバックを背景にした場所に椅子が四つ。内一つは残りからやや離れた場所に設置され、三人へ会話を振るには都合のいい配置がなされている。
先客は影が一つ。
「……」
剣の如く鋭い視線を来客へ注ぐは、国統の制服越しにも分かる屈強なる体躯の男子。
銀の髪を短く揃え、右頬には歯茎が剥き出しになる痛々しい傷痕。寡黙な雰囲気に一滴の危険を垂らしたような印象を与える男は、体重の大部分を椅子に預けていた。
思わず身構え、背負った重斬刀へ手を伸ばした甘粕を制するとアルトリウスが頭を下げる。
「すみません、
「……別に構わん」
銀次、と呼ばれた男は首を鳴らし、目を閉じる。
瞑想であろうか。夢の世界へ旅立ったようには見えないが、口を開かぬままでは判別もつかない。
「何あれ」
「
「ふーん」
聞き慣れない大会名でこそあるが、彼女の愛刀の製造元が主催した大会とあらば、僅かばかしでも関心が現れる。
それは業界内でのシェアを奪い合っている司馬重工の御曹司としても同様なのか、無意識の内に視線が研ぎ澄まされる。唯一関係のない甘粕のみが、彼に対してフラットな視線を注げていた。
時間がどれだけかかるのかは分からない。
それでも結構な間、甘粕が暇を持て余すことは疑う余地もない。桜子の付き添いとして足を運んだものの、現地に着いてしまえば彼は用無しに等しいのだ。
「なぁ、骸銘館。オマエ、絶ッッッ対問題起こさないよな?」
「何、いきなり? 起こす訳ないでしょ」
「だよな。じゃあ、俺がここを離れても大丈夫だよな?」
「当然でしょ、わざわざ問題を起こすつもりもないし」
彼女の言葉を受け取ってか、甘粕はアルトリウスに許可を取り、個室を後にした。
特筆すべき目的はない。強いて語れば時間潰しか。
有名人の一人でも見つかれば御の字であったが、残念なことに右を見ても左を見ても有象無象。皆必死に働いているが、裏方を支えている人々が大半であった。
不安定に道を進めて、どれだけの時間は経過したであろうか。
「……ここは、例の逆ピラミットか?」
辿り着いた先は、通信総合商社の中でも普段から一般に解放されている展望室。外観から衆目を集める特異な外観の内側である。
尤も今日は生憎な雨模様、わざわざ足を運ぶ物好きもそういない。
実質的な貸し切り状態の中、甘粕は窓辺へと向かう。
「……ここから本戦か」
専属トレーナーなど初めての経験だが、一生に一度の高校生活がかかっている桜子に言い訳できる訳がない。
必要なのは、結果。
それも誰にも文句を言わせない相応の結果。
司馬を打倒し、本戦を勝ち抜き、更に先へと駒を進める。
「そのためにも、次の結果を……」
額と手を当て、一人ごちる甘粕。
ふと、背後から視線を感じて振り返ると、そこには一人の女生徒が立っていた。
「九頭竜の制服……誰だ?」
「……ん、私か」
銀の長髪を腰まで伸ばした少女は、甘粕からの指摘に周囲へ首を振り、間を置いてから自身が対象かと指を差す。首を傾げる仕草からも、どうやら本心から質問していると推測可能。
呆れたように嘆息し、甘粕は改めて口を開く。
「そうだよ。他に誰もいないだろ、この部屋」
「うん、そうだな」
忙しなく頷く様に、内心でガキかと毒づくと少女の容姿へと意識を傾ける。
九頭竜第三の制服である枹と学ランを組み合わせた服装に、零下数十度の極寒を前提とした毛皮のロシア帽。素肌の露出は少ないが、首筋や顔から窺える色合いは初雪を彷彿とさせる純白。
瞳は深海の如き溶け込む青を宿して、何を考えているのかが甘粕には予想もつかない。
高校生としても低身長に過ぎる体躯は、確かな足取りで観察者との距離を詰める。
雪と戯れる妖精、と称することができる感性であらば幸福な光景なのだろうか。尤も、無機質な展望室では如何に想像の羽を広げても限界があるのだが。
「な、なんだよ……」
「丁度良かった。私はジナイーダ・ツァリアノフ、頼みたいことがあるんだ」
妖精が何気なく紡いだ名は、展望室の気温を下げるに充分であった。
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